第10話 “忘れえぬ女”と“民衆を導く自由の女神” 2

 ともあれ国立を発車したオレンジカラーの電車が、次の西国分寺を出てやがて国分寺に差し掛かろうかという頃には、円の考えもまとまり掛けていた。

『取り敢えずは三島さん、それから先輩に一切合切お任せで行くが吉』

それはうすぼんやりとした、決意とも言えない決意だった。

 主体性のないオヤジが呑み屋の暖簾をくぐり席に着く。

出されたおしぼりで顔を拭き、壁の品書きを見ながら一言。

「取り敢えずビール」

脊髄反射みたいなオヤジの振る舞いである。

『取り敢えず丸投げ』と考えた円の了見はそんなオヤジ以上でも以下でもない。

 特に意識はしていなかったが、円の“丸投げ”はその起源を辿れば何と言うことも無い。

双葉の弟として無難に過ごすための方便として、幼い円が編み出した技のひとつに過ぎない。

円は双葉に牛耳られていると嘆くが、実はただの依存であることは“丸投げ”と言う技を見れば明らかだった。

当人はそうと指摘されても絶対に認めないだろう。

もしかしたら雪美でさえ読み込めないかもしれない。

だが『頼みもしないのにせっせと世話を焼いてくれるって言うんだぜ。それを依存と言うなら依存の何処が悪いってんだ』と言う開き直りこそが、円の意識下に潜む本音である。

 過干渉の姉が三人もいるとなれば実に荷厄介なことに思える。

けれども視点を変えて、自由と引き換えに守護天使を三体標準装備と見るならどうだろう。

既に双葉のやり様に適応している円に取ってみれば、それはそれで悪くない取引だろう。

 ふと、最近上手く思い出せなくなってきているジュリアの面影が、ちょっぴりほっぺたを膨らませた気がした。

それは気のせいに違いないと円はすかさず逃げを打つ。

 

 この時まで円にとってのルーシーは、カテゴリーとしてなら雪美より少し上の重要度だったろう。

加えてルーシーが円の心の中で占める質量についても、親しくなった時期が先行している分だけ雪美より大きい気がしていた。

ところがである。

成り行きとはいえ、雪美と二人で過ごす時間がこうして長くなってみると、円の心理にも分かり易い影響が出始めている。

『僕が友愛を感じる程度については最早、両者甲乙つけがたいのでは?』

雪美が“トーマの心臓”を熱く語り始めた小金井辺りでだんだんとそんな気がして来た。

 ルーシーがこのことを知ったら顔色を変えるに違いないある種の変節だった。

円は理不尽だとしか思わないだろうが、浮気だと断罪される可能性もある心模様である。

 ルーシーにとっても雪美にとっても、おそらくは将来的に頭痛の種になろう程に。

円もまた凡百の男子と同様、半径五メートルの刹那に楽しみを求めてしまう。

そんな近視眼的で節操のないぼんくら男子であるのは確かだった。

 好意的に考えれば、円の恋愛とか異性愛についての受容体が、およそまだ未発達であるに違いないことはこのことからも明らかだろう。

円の受容体に結合してくる愛情伝達因子たる言葉や情感によって発火する信号はすこぶる弱いようだ。

その結果、円のふたりに対するトキメキは、今の所ストロボ光に似た瞬間的なそれでしかない。

 雪美にはバージニティ信仰について痛いところをえぐられた。

おまけのどさくさ紛れにファーストキスまで奪われてしまった円である。

そうした積極攻勢を仕掛けられてさえ円の心模様に大きな変化は起きなかった。

それは雪美も知っている。

そんな雪美が“トーマの心臓”を熱く語るだけで円の心が動いたと知ったらどうだろう。

愛情表現は無視されるのにオタク語りは愛されるのだ。

この時雪美が円をチェックしなかったのは幸いだったろう。

 思えば雪美も浮かばれないことだった。

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