第10話 “忘れえぬ女”と“民衆を導く自由の女神” 1

 結局のところ最初の心配は的中して、円は国立から三鷹まで雪美を送る羽目になった。

どうせ明日は日曜日だし荒畑や上原とバカ話+ちょっぴりお酒という予定が入っている訳でもない。

『めんどくせー!

だけど、ふーちゃんも大学のコンパに顔を出すと言っていたしな。

本屋のチェックは明日でもできるし・・・。

これも浮世の義理?』

円は不平不満をぐっとこらえてボヤキを飲み込んだ。

そうして気乗りのしない重い二足に『情に棹させば流されるし、意地を通せば窮屈 なんだよ』と良く良く言い聞かせた。*夏目漱石<草枕>

 

 円は雪美に半ば引き摺られるような形で自宅とは逆方面の国電に乗る。

幸い上りの電車は空いており、車内ではシートにゆったりと腰を下ろすことができる。

考えて見れば能力や事件を離れた用件で雪美と交際した記憶のない円である。

それはジュリアへの思いやルーシーへの遠慮からだったろうか。

 円的には自分を物語る意識の中に恋愛じみた成分があるとは思えない。

だがキスを楔(くさび)にして雪美が告げてきた戯言が冗談ではないのならどうだろう。

ここいらで彼女にきちんと向き合って、普通の高校生っぽい世間話にじっくり付き合う。

そんな選択も悪くは無さそうだった。

 雪美もルーシー案件にはこれ以上触れるつもりが無かったのだろう。

“限りなく透明に近いブルー”の不透明さに対する雪美的異議申し立てだの。

“鬼火”を見て以来エリック・サティにはまった雪美が、楽譜を手に入れようと銀座まで出向いた際に遭遇した椿事だの。

さあ聞いておくれと言わんがばかりに繰り出されるどこか気持ちが明るくなる話題を、円は思いの他楽しんでしまうのだった。


 残念な円には良く理解できていないことだが、ルーシーも雪美も驚く程博識で女子高生らしからぬ耽美的な趣味人だった。

そうした背景があるからだろうか。

形而上形而下具象抽象を問わず。

彼女たちの価値観や美意識にまつわる興味のツボは、若輩ながら道楽者を自負する円と良く似ている。

ひょっとするとそのことが、ルーシーと雪美の連鎖的な能力発現と関係があったのかもしれない。

 今の所、『能力なぞ厄介事の種にしかなってないじゃねーか』と嘆息することしきりの円である。

だがしかし、能力にまつわる煩わしい関係性を割り引いてさえ言えることがある。

実のところ友が少ない円に取り、彼女たちは趣味仲間としても既に得難い友人となっているのだ。

 ルーシーが大変な時であることは承知している。

だが次第に楽しくなってくる雪美との雑談で、円には不謹慎と思う後ろめたさが不思議と湧いてこない。

なんといっても雪美にはこちらの把握していない気心まで知られている。

そればかりか雪美は、円の気心情報を遂次更新までしている始末だ。

今生ではルーシーと同様、雪美からも恐らく逃れようがないだろうし常識の通じる関係性でもない。 

 才知溢れる雪美の軽妙な語り口に耳を傾けている内に『こういう女性を世間は才媛と呼ぶのだろうな』と、円は雪美に対してある種の畏敬の念を抱く。

それは憧憬を成分として多く含む尊敬心だったろうか。

『丸投げだな』

ふと、天啓の様なアイデアが円の脳みそに落ちて来る。

考えて見ればルーシーも才色兼備を歌われている訳だし、双葉だって円より学力も倫理観も高いことは確かだった。

円に関わる女性は何故かこぞって、円よりハイスペックである。

『ワルキューレが駆るF14トムキャットの戦闘小隊に、スヌーピーのソッピーズ・キャメルが混ざってるみたいなものだな』

円はふと愛機を駆るスヌーピーを妄想する。

『どっちかってーと僕の役回りはスヌーピーじゃなくてチャーリーか。

・・・ライナスって線もあり?

ルーシーだけに』

 何をどうしたって円には、さんにんの淑女に立ち向かえる自分が想像できない。


 彼女らとの関係性が終わると言う未来は全く見えてこない。

だが、ルーシー案件が永遠に続く訳が無いのは確かなことだろう。

 それにである。

どうせ円が何をしたって『情報は先輩と三島さんの間で並列化されちゃう』のだ。

そうであるのならどう考えたところで、間抜けな自分より明らかにお利巧な彼女たちに分も理もある。

『脱力方々、自分の出処進退を全て“丸投げ”してしまえばいっそ気楽で良いのでは?』

そんな風に円がひらめいてしまうのも無理からぬところだろう。

 大らかというより、まんま迂闊な円はまだ気が付いていないが、既に行動の決定権はかなりの部分をルーシーに握られている。

こうして雪美の影響力にまで侵淫され、自由を奪われつつある今となってはそれこそ是非もない。

賢しらに“丸投げ”とエウレカしてみたものの、そのことは傍から見れば今更の感がある思い付きではある。

 円としては、何も考えず抗わず彼女たちの描く筋書きに身を委ねてしまえば良いと了見してみる。

さすれば『ふたりは守護天使として機能するのでは?』などと、恰好な言い訳が後付けできもする。

こうした思考が円を捉えた時点で、外形的にはすでに負け犬の遠吠えと変わりは無い。

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