第3話 垂直少年と水平少女 2

 「毛利ルーシー先輩。

・・・先輩はおかしいです。

いいですか。

前日にトラブルを起こした当事者同士ですよ。

それがほとぼりが覚めるどころかすぐ翌日にです。

一方の当事者が満面の笑みを浮かべて親し気に。

それも、もう一方の当事者の手を握って耳元で何か囁く。

・・・衆目の前で恥ずかしげも無く。

先輩の恥ずかしいという感覚と、僕の恥ずかしいと言う感覚の間には、隔たりがあるようです。それもどうやら太平洋を挟んだ日本とアメリカくらいの大きな隔たりが。

・・・巷には悪気わるぎのない天然自然な少女の振舞を、無邪気と称して珍重する変質者もいるとか仄聞そくぶんします。

ですが、申し訳ないですけれど、僕には生憎とそうした気味の悪い奇癖はありません」

円の容赦のない一撃を食らったルーシーは現実逃避を試みる。

「・・・わたしの名前をご存知なのですね。

少し嬉しいです」

密かに自覚する必殺の微笑みをおまけに付けてみる。

「・・・僕の話ちゃんと聞いてます?

客観的に見て今朝の先輩の振舞はいわくありげで、傍から見れば怪し過ぎるんです。

・・・はっきり言いましょうか?

迷惑なんです」

「加納君は意地悪な人なの?」

ルーシーは涙目になる。

「ハァアー?」

「そんなに怒らなくても・・・。

そんなに・・・。

もうすぐ授業がはじまる時間にしては、廊下にたくさん人がいるなって思いました。

だけど廊下の混雑は、わたしや加納君とは無関係のことでしょ?

加納君がわたしと面識がないと言い切るのと同じ。

わたしだって一年生に知り合いと呼べるほどの知り合いはいないですよ」

ルーシーの大きな目から大粒の涙が零れ落ちる。

「・・・これどうぞ」

「わたしだってハンカチくらい持ってます・・・でもありがとう」

「なにも泣くほどのことでは無いでしょうに。

勘弁してくださいよ。

・・・では、視座を変えてみてください。

先輩の目の前にはこれと言って取柄の無い無個性な男子生徒がいます。

そいつはクラスカーストの底辺にいて完全なモブなんですが、それに不満なんかありゃしません。

なんせモブですから。

これから半日、糞面白くも無い授業を受けなけりゃならない始業直前のことです。

そいつが教室前の廊下でモブダチと他愛の無いバカ話に花を咲かせていると想像してみてください。

そんなところに、あろうことか校内でおよそ噂に昇らぬ日が無いという学園のアイドルがですよ。

ニコニコと愛想を振りまきながらやって来るんです。

彼女はなにせ学園のアイドルです。

嫉妬、憧憬、悪意、好意、敵意、親近感、反感、好感、熱狂、恋情、愛慕、エトセトラ、エトセトラ。

彼女を見つめる人間の網膜の向こう側で波打ち泡立つ十人十色の感情や好奇心はどんなものでしょう。

考えるまでもありません。

マーガレットか少女フレンドに目を通せば、阿呆にだって理解できる情念の坩堝るつぼで決まりです。

兎にも角にも、彼女は人目を引くし良い意味でも悪い意味でも注目の的なんです。

そんな彼女がですよ。

『大人になったってこいつは一生うだつが上がらないだろうな』

なんて。

それこそ公式認定されているような男子生徒に、飛びっきりの笑顔を向けていそいそ近付いてくるんですよ?

どんな悪企みがあるのでしょう。

戸惑う哀れな男子生徒の手を握って耳元に甘い吐息を放ち、何事か囁くなり足早に立ち去るわけです。

さあ、もし先輩がそんな学園アイドルのスキャンダラスな振る舞いを目の前で目撃しちゃったらです。

どんな表舞台と楽屋裏を想像します?

どうです。

有象無象の連中にとっちゃ暇潰しには格好のネタでしょ?

きっと現場にいた奴等はみんな色めきだっちゃって、ボルテージ上がりまくりですよ。

仕舞にはあることないこと思いつくまま話を盛るに決まってます。

そうして哀れな小僧は、笑いや息抜きのソースとして骨の髄までしゃぶりつくされちゃうに違いありません」

円の声音の温度が更に下がるのがルーシーにも分かった。 

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