第2話 そして少年は少女と出会った 4
「よう、円。
実に嬉し恥ずかしな災難に見舞われたもんだな。
たいした怪我も無くてなにより」
登校の際は朝倉善美から煩わしい程の労わりを受けた。
『病み上がりの身体には重かろう』と、キャンバス地の頭陀袋を早々に奪われる始末だ。
その上、競歩も中止という温情まで賜り、今朝の円は病み上がりなのにちょっと元気だ。
道すがらそこはかとない好奇の視線を受けたようにも感じる。
円は元より社交性に欠け愛想も良くない少年なので、入学この方かろうじて友人と言える人間は片手にも満たない。
クラスメートの殆どが円の顔と名前を認識しているかも怪しい所だ。
それが幸いしたのだろう。
事情を詮索しようと寄って来る人間は皆無だった。
たまさか円を少しでも知る同級の者であればなおのことである。
特に親しくも無い人間に話しかけられた円が、どんな態度を取るか知っている。
曰く、無礼なほどに不愛想なのだ。
さすればなおのこと、余計な接触を図ろうとする者など居るわけがない。
モブの本領発揮と言うところだろう。
気を失って学校の正門から救急車で搬送される。
昨日、そんな平凡な日常を突き破る稀有な椿事にはまり込んだサバイバーこそ誰あろう、加納円だ。
そのことは著しく級友の興を削ぐ人選だったということになる。
興味はそそられるものの時の人は円である。
ホームルームにたどり着いた時、円に積極的に話しかけてくる勇者はたったの一人だった。
昨日の事件は当日欠席したもの以外はみな知っている。
人並みの好奇心を持つ人間なら詳しい事情を当事者から聞きたいと思うのは人情だろう。
しかしそこは常日頃から無愛想で、友人認定した者としか碌に会話をしようとしない加納円だ。
かろうじて円を認識する数少ないクラスメートからすら、人怖じする冷血漢と評される加納円だ。
事情を尋ねるどころか、円から意識的に目を逸らす級友が続出したのもむべなるかなである。
円自身は別段人嫌いと言う訳では無い。
子供の頃に遭遇した不思議なできごとからこっち。
自分と自分を取り巻く世界が何処かズレている。
ただ、そんな風に感じ続けているだけだ。
なぜかそのことで、積極的に新しい人間関係を築いて行こうと言う意欲が持てずにいる。
世界と自分のズレは、奇妙なトンネルの向こうで出会った異国の少女と、彼女が連れていた変な犬との出会いにあることは確かだ(とも動物病院の日常と加納円の非日常)。
だが、自分の厭人的な気分とそのことに、どういった因果関係があるのか。
今の円には全く見当もつかない。
円自身としては、級友達とは仲良くしたいという思いがある。
彼らに対して下から目線や上から目線と言う隔意がある訳でもない。
現に幼少の頃からどっぷりと濃いめの付き合いをしてきた悪童連の面々とはごく普通に付き合えている。
高校に進学してからも、ごく一部の好事家とは、それなりの友人関係を結べている。
円に興味を覚える人間は、どうやら円が無意識に張り巡らしているらしい鉄条網を、跨いだり無視できる体質を持っているらしい。
円的孤立の事情はおそらくはこう言う事だったろう。
圧倒的多数の同級生たちは、円のまとう鉄条網みたいな気味の悪いオーラを好意的に斟酌した。
そうして彼を要も不要も無いアノニマスとして認識することにしたのだ。
それは円が友を求める気持ちを遥かに凌駕する世論と成って、クラスの中で短時間の内に広まり定着してしまった。
円は新学期の初動に失敗した数多のはぐれ者と同じ運命に取り込まれた。
要はそう言うことだったろう。
「で、昨日は本当のところ何があった?」
善美と別れてから初めて円に話しかけて来た、ただ一人の勇者は荒畑雄高だった。
荒畑は円の数少ない友達の一人であり、クラスの連中が言う所の好事家だ。
「・・・そんな昔の事は憶えていない」
事が事であるのにも関わらず、誰からもそのことを尋ねられない。
『それはそれで寂しいものだな』
手前勝手な疎外感を感じていた円だが、荒畑のストレートな物言いにはさすがにたじろいだ。
俗物根性丸出しな態度にも微かな反発心を覚える。
「こうこうこうでございましたと、朗らかに語れる事でも無いか」
周辺で耳をそばだてる連中の気配を察して荒畑は唇を歪めてみせる。
「これからどうするつもりだ?」
「・・・そんな先の事は分からない」
「上等じゃねーか。
時が過ぎゆく前にションベン行こうぜ」
ニヤリと片笑みを浮かべると、荒畑は頭陀袋を置いた円の肩を軽く叩き、すたすた教室を出て行く。
『あいつは僕が無視したらどうするつもりだろうか』と、妙な視座で荒畑の行動原理を心配する円だった。
そうは言っても荒畑は片手に満たない数少ない友の一人ではある。
捨て置く訳にもいかない。
円は軽くため息を吐くと、周囲から集まる好奇の気配を、たなびく煙のようにまといいつつ自席から離れた。
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