幽霊と話す屋上で
夏雪足跡
第1話
隣町の廃ビルは自殺の名所なんだって。そこには幽霊がいて、自殺しにきた人の魂を食べてしまうんだって。少女は絶望して人生を終わらせようと決意した時。ふと昔聞いた噂を思い出した。最期に幽霊に会うなんて体験をするのも面白いかもしれない、少女はそう思ってビルに向かった。
少女は目的のビルに着く。一段ずつ死の覚悟を決めるようにじっくりと階段を登って行く。屋上の鍵は壊れていて、、簡単に入ることができた。不意に風が吹く思わず目を瞑り再び目を開けるとそこにはひとりの少年が静かにビルの屋上からの景色を眺めていた。とても不思議で神秘的な雰囲気の少年だった。
しっかり見ていないと空の青さに透けて見えなくなってしまうほど色素が薄い少年だ。そして足がない。足が透けている。
「いらっしゃい。君も死にたがり?それともただの肝試しかな?流石にこんな真昼に肝試しはないか。」
少年はそう言って笑った。
「あなた誰?本当に幽霊?」
「まさか僕は幽霊じゃないよ。そうやって言う人もいるけどね。僕はただのこのビルの管理人だ。」
「管理人?」
「そう。僕はずっとこのビルの屋上にいるんだ。長い間ここにいてたくさんの人と話してたくさんの人を見送った。このビルには死にたがりの人たちがよく集まってくるんだ。
僕も昔はこの屋上の利用者だったけど、今は縁あってこの屋上の管理人をしているよ。ねぇ死ぬ前に少しだけ僕の話を聞いてくれない?たくさんの死にたがりと管理人の最期のお話だよ。」
「これから死ぬのに話なんかしたくないですよ。静かに死なせてください。」
少年は少し残念そうな顔をした。
「これから死ぬんだったら少しは時間あるでしょう?手短に話すからさ、ね?君にとっても悪い話じゃない。」
どうしても話を聞いて欲しいみたいだ。
「わかりましたよ。少しだけなら。」押しに負けてしまった。
少年は目を輝かせた。
そうして少年は話出した。たくさんの人の最期の物語を。
一人目 裏切られた女性
夕焼けが終わりを迎え始めて空がピンクになった頃ひとりの女性があるビルの屋上にやってきた。
とても暗い顔をして屋上に上がった女性は落下防止用のフェンスの前で靴を脱いで屋上からの景色を眺めていた。
「こんにちはお姉さん綺麗な夕焼けだね。」
突如として背後から現れた少年に女性は驚きを隠せずにいた。
「あなた誰?」
「僕はただの傍観者だよ。お姉さんももしかして死にたがりの人かな?」
自殺しようとしてこのビルに来たのが分かっている。
「ええそうよ。こんなクソみたいな人生やってらんないわ。今すぐおさらばしちゃいたい。」
女性は語り出す。
「子供の頃からつまらない人生だったわ。特にこれといった才能もなく、個性もないし、顔が可愛かったわけでもない。平々凡々で社会人になってもやりたい仕事は出来ず、毎日会社で頭下げてばっかり。」
ないないづくしの人生だったわ。と負の感情をたっぷり込めたため息を吐く。
「でも彼と出会ってからは少し幸せだったわ。まぁそれが人生最悪の出会いだったと思うんだけどね。彼、最初は優しかったわ。いつも私を気遣ってくれてとても幸せだった。でもだんだんお金をせびるようになって来たの。
彼の役に立ちたかったからいくらでも貸したわ。とうとう貯金が尽きかけて来た時に別れようって言われたの。
私、彼にしがみついて懇願したわ。私を見捨てないでって。
彼にどうしても愛されたかった。運命の人だと思ってたのに。つい最近知ったんだけど、彼結婚詐欺師だったんだって。笑えるわよね幸せになれたってはしゃいでいたのに、騙されてたなんて。」
女性はいつのまにか泣いていた。
「だからどうせいいことのない人生なら死んでやろうと思ったの。どうせ社会には私の変わりなんていくらでもいるし怨霊になって彼を呪えるかもしれないしね。」
「もったいないね。そんなくだらないことで死ぬの?そんな奴のせいで死ぬならもう少しだけ頑張ってみればいいのに。お姉さんは綺麗だし、頑張ってると思うよ。」
「本当に?私の代わりなんていくらでもいるのに?」
「そうだよ。それにお姉さんの代わりはたくさんいるって言うけど今まで頑張って生きてきたのは他の誰でもなくお姉さんなんだよ。お姉さんならもっと幸せになれる。」
「そうだといいな。」女性は泣き止んで赤くなった目で屋上からの景色を眺めた。
「死ぬのはやめておくわ。なんだか自分の悩みが馬鹿らしく思えてきちゃった。話したら楽になったわ。ありがとうね。」
「僕も役に立てて何よりだよ。頑張ってね。」
「えぇ」女性は笑顔で屋上からの去っていった。
少年は優しげな笑みで女性を見送る。
「はぁ、好きな人と結ばれなかったくらいで死のうとするなんて。生きることをそんなに軽く見ないで欲しいよ。」
少年は小さくため息を吐く。
「また1人救えたました。律葉さん」
少年は屋上からの景色を眺めたがその瞳に街の夜景は映っていないようだった。
二人目 不幸なサラリーマン
世の中の人が帰路に着く午後7時ひとりのサラリーマンが屋上を訪れていた。くたびれた顔をしてへたり込んでいる。
「やぁおじさん。お仕事終わりかな?」
ふわりと現れた少年が男に声をかける。
「誰だお前!?」
「こんにちわ。僕はこの屋上の管理人だよ。もしお時間あったらお話ししない?」
「坊主と話すことはない!消えちまえ!」
男は少年を見るなり怒鳴りつけてきた。
「おじさん死ににきたんでしょ」
男は面食らったように少年を見る。
「なんで死ににきたのか話してよ。楽になれるかもよ。」
そう言うと男全てを吐き出すようにゆっくりと話始めた。
「俺の人生は不幸ばっかりなんだ。だっさい田舎の農家に生まれてろくな暮らしも出来ず、いい大学にも行けず、仕事に就いてもやりたいことなんかこれっぽっちもできない。」
男は何度もため息をつく。
「坊主も小さい頃はヒーローになりたいとかかっこいい夢を持ってただろ?俺も若い頃は自分は何かになれる人間なんだと思って頑張ってきた。でもなぁいくら頑張っても結局はこんなくたびれたおっさんになっちまうのさ。
未来に余計な期待は抱かない方がいいぜ。将来昔を振り返って自分が惨めに感じられるだけだ。聞こえるのは名声なんかじゃなく上司の文句だけ。
その上、奥さんも早くになくして、娘は家から出ていった。」
男は寂しそうに空を見上げる。
「俺は完全に一人ぼっちになっちまった。それに今日も実は仕事終わりじゃないんだ。会社が倒産して、職も失った。何もかも失ってばっかりだ。知ってるか?日本では年間約2万人が自殺、約10万人が行方不明になってる。そんだけ社会から人が消えてるってわけだ。でも世界は滞りなく回ってる。そんだけ人が消えてもなんの問題もないんだ。だから俺1人がここで消えてもなんの問題もないだろ?」
男は自嘲するように少年に問う。
少年はその問いを即座に否定する。
「それは違うよ。」
少年は真っ直ぐに男を見る。
「確かに沢山の人が死んでもこの世界は問題なく回ってるかもしれない。おじさんも今死ねば楽になるかもしれない。でもおじさんの周りの人は?おじさんが死んだらいい気はしないよ。
おじさんの娘さんが悲しむかもしれない。おじさんの友達も今まで会った人たちが悲しむかもしれない。それだけじゃないよ。ここから落ちたおじさんの死体を片付ける警察の人とかおじさんが死ぬのを見た通行人が悲しむかもしれない。たくさんの人がおじさんの死に心を痛める。僕はそういう…人の死に関わった人とか残された人達が悲しむ姿をずっとここで数えきれない程見てきた。おじさんには沢山の人を悲しませて迷惑をかける覚悟はできているの?死んで終わりだなんて思っちゃいけない。」
少年は男に覚悟を問う。
「確かにそんな覚悟は俺にはない。でもじゃあどうすればいいんだ。この不幸な世界で生きていく自信がない。」
男はすっかり弱気になって泣いている。
「じっと待つんだよ。この先起こるかもしれない幸せを待つんだ。いいことが起こるかもしれないって思うだけでも違う気がするよ。人は自分が想うほど弱くないし、完全な不幸も存在しないから。今だけ世界が不幸に見てるだけなんだよ。せめて今日を生き延びれば明日に何かが変わる可能性だって、きっとある。」
少年はある人から聞いた言葉を男に伝える。
男は少年の言葉を噛み締めた。
「今日のところは死なないでおくよ」
2週間後男はまた屋上を訪れていた。
男は満面の笑みを浮かべている。
「幸せはやってきた?」
少年は男の表情から何かを察して優しい微笑みを浮かべて聞いた。
「あぁ」男は短く、頷いて少年に事情を話した。
__2日前
ピリリリリ ピリリリリ
男の携帯から電話の着信が鳴った。
男は慌てて電話に出た。
「はい、もしもし‥……お前なんで………うん、うん、え!本当か?……おめでとう!!…え、俺でいいのか?……嬉しいよ……お前こそ嫌じゃないのか?あぁわかった。また連絡してほしい。本当におめでとう。」
それは音信不通だった彼の娘からの連絡だった。
電話を終えた男はとても幸せそうな顔をしていた。
「娘が、ずっと連絡ができなかった娘からの電話で今度結婚することになったらしい。結婚式でバージンロードを一緒に歩いてほしいって。」
男は涙を流していた。
「死ななくてよかった。本当にありがとう。本当に本当に…」
男は涙を拭って言った。
「しばらくはこの幸せで生きていけそうだ。未来を期待するのも悪くないな。」
男は笑って屋上から去っていった。
「僕もあのまま生きていたら幸せだったのかな……」
夜風がふわりと屋上に吹くが少年の髪も服も全く揺れなかった。
三人目 助けられなかった少女
夏の日差しがとても強い日、制服を着た少女が屋上を訪れた。
少女は屋上に着くとすぐに靴を脱ぎ柵を越える。迷いのない動きだった。
どこからともなく少年が現れる。空に透けて無くなってしまいそうな程曖昧な雰囲気の少年だった。
「待って!落ち着いて、すぐにこっちに戻ってきて!」
少年は焦った様子で少女に声をかける。
「誰ですか?あなた」
少女は少年を警戒した。
「僕はこのビルの屋上の管理人だよ。そんなことよりも危ないから戻って!早く!」
少年の表情にいつものような優しい余裕の表情がなかった。只事ではないのだろう。今までここを訪れた人は大半が死ぬことに対して多少の躊躇があった。だが彼女たちにはそれがない。本当の死にたがりだった。
「すみません。止めないでください。誰になんと言われようが死ぬので。」
その声はとても弱かった。彼女は今にも消えてなくなりそうな気配を放っていた。
「ねぇ君の話を聞かせて。何か解決策があるかもしれないだろう?」
「解決策なんてありませんし、私が死ぬことは確定したことです。それが私の復讐です。」
「なんの復讐なの?」
「この世界全てへの復讐です。この辛い世界と私を殺した人達に対しての。この世界で私には居場所がありません。こんな世界に生きている価値なんてありません。だから死にます。私が死が世間に広まれば私を殺した全ての人は社会的に死にます。あの人達には生き地獄を一生味わって醜く生きて無様に死んで欲しい。」
少女は死ぬことに強い意志を持っていた。
「私をいじめたクラスメイトに、私を見殺しにした教師に、私に痣を増やし続ける親に、全てに復讐したい!この世界の全てが憎く思えて仕方がないんです!」
興奮気味の彼女が一息ついてまた言った。
「全てが嫌いなんです。親も、クラスメイトも、いつでも助けると詭弁ばかり吐いて見て見ぬふりをする先生も!世界にある全てが嫌いです。何よりこんなに弱い自分が、強くなれない自分が一番嫌い…….。そんなわけで…死にます。来世か天国では幸せになれることを祈って。私の死が少しでも多くの人に広がることを願って。それが私の復讐です。」
「でも君が死ななくても復讐する方法があるかもしれないじゃないか!」
「すみませんが、そんなことはもう何千回と考えています。考えて出した最善が死ぬことでした。もう考えることも面倒になりました。せめてこの世界がもっと優しかったらよかったです。学校で嫌なことがあっても頼れる先生や友達がいて、家に温かいご飯がある。多くは望まないからそんな普通の幸せな人生を生きたかった。」
「でも‥……未来がそうなるかもしれない。」
「そうならない可能性だって十分にありますよね。というかあなたはなぜそんなに私に構うんですか?他人のあなたに私の苦しみがわかるわけないじゃないですか。それに、私が死んだところであなたにはなんの不利益もありませんよ?」
「利益なんて関係ない!」
少年は真剣な顔で少女を見た。
「僕と話した人がこの世から消えるってことが怖いし、悲しんだよ!この屋上では誰も死なせない」
少女はしばし無言で何かを考えていたが、やがて返事をした。
「すみませんが無理なお願いですね。私にはもう選択肢が残っていないんです。」
少女は申し訳無さそうに言った。段々空が暗くなってきた。
ずっと無言だった。少年はなんとか少女の自殺を止めようと言葉を浮かべるが、どんな言葉も彼女に届かず消えてしまいそうで、何も言えなかった。屋上はとても静かで世界から切り離された別空間のようだった。この少女の最期が迫ってくる。
「すみませんがそろそろ逝きますね。最後に話せたのがあなたみたいな優しい人でよかった。」
少女は柵から手を離して一歩下がった。
「さようなら」
少女は泣きそうな笑顔で僕に言った。
少年は走って彼女に近づきその手をつかもうとしたが、彼の手が彼女に届くことはなかった。
段々と少女の体が小さくなっていく。
その後すぐに悍ましい絶望の音が聞こえて少年は膝から崩れ落ちて泣いた。
「僕は、僕は救えなかった。………あぁ、あなたとの約束が果たせなくなってしまった。……律葉さん……僕はどうすれば良かった?どうすれば彼女を救えた?」
少年は己の無力さを嘆き泣き続けた。冷たい夜風がヒュッと屋上に吹き抜けた。
翌朝ビルの外には多くの警察車両が停まっていたという。
四人目 透明な少年
空がこれ以上ない程美しい青空だった日、一人の少年があるビルの屋上に訪れていた。色白で視界に入っても認識できるか曖昧で存在感が薄く、青空に透けて消えてしまいそうな少年だった。少年は空を見上げて一度深呼吸をする。少年は迷いのない足取りで屋上の端へ向かった。あと少しで落下防止用の柵に手が届くと思った時、目の前に1人の女性が現れた。
少年は突然現れた女性に驚きを隠せないようだった。
「あなたは誰ですか?一体どこから?」
「私は律葉、このビルの屋上の管理人だよ。」
少年は女性の足が透けていることに気づいた。
「あなたが噂の幽霊?」
「まさか!そう言う人もいるみたいだけど、幽霊なんかじゃないよ。もし私が幽霊なら君のこと呪い殺しちゃうかも。うらめしや〜ってね!」
律葉と名乗った女性はとても明るい人々だった。
「怖いこと言わないでくださいよ。でも、あなたが僕を殺してくれるなら好都合です。」
少年は無感情に微笑んで言った。
「やっぱり君も死にたがりなんだね。でも!私と会ったからには君には死ぬという選択肢は無くなったよ!わたしが君を死なせないから。」
女性は先程とは打って変わって真剣な表情で少年を見つめて言った。
「すみませんが、僕はもう死ぬつもりでここへ来ています。あなたに何を言われようとも自分は死ぬと思います。」
少年もまた真剣に自分の意志を律葉に伝えた。
「じゃあ、君はなんで死にたいの?」
「自分の未来に漠然とした不安しかないからです。」
「自分の駄目なところは変わることができるのか、この先に信頼できる友人はできるのか、進路はどうなるのか、就職先はどうなるのか、将来の自分はちゃんと幸せなのか、そういう自分のこれからの人生に全く希望を感じられません。」
「そんなのまったく根拠のない不安じゃん。なんでそんなに希望が感じられないの?」
「自分が平凡すぎるからだと思います。自分ができることは大体他人にもできます。まるでいてもいなくても変わらない、いるのかすらもわからない透明人間みたいな人間なんです。よく大人たちは"君しかできないことがある"といいますが、僕だけができることはありません。そんな人間を社会は求めていないでしょう?こんな平凡な人生にも生きる気力がなくなってきました。」
「でもさ正直私もそうだったし、世の中そんな人ばかりじゃないの?そんな中でも人は頑張って人生を生きていると思うんだよ。」
「じゃあ僕は人生から逃げる卑怯者ってことになりますね。」
「そういうことが言いたいんじゃないんだけど……」
「すみません。こんなひねくれ人間で……生まれ変わって素直な人間になれたらまた会えるといいですね。では……。」
「ち、ちょっと待て!死んじゃダメだよ!!」
「私が!君の日々を素敵にする手伝いをするよ!」
「どうやって?」
「ええと…….それはですね……。ええっと君!しばらくここに来なさい!私と話をしよう?幽霊と喋るなんてそうそうできる体験じゃないよ?」
(この人(?)自分は幽霊じゃないって言ってなかったっけ?)
翌日から少年は律葉に言われるがまま屋上に通う生活を始めた。
四人目 律葉さん
一言で言うと律葉という女性は「陽気な人」だった。肩あたりまで伸ばされたサラサラの黒髪に雪の様に白い肌、美少女というものに分類されるであろう容姿で、年齢も僕より少し年上で18歳だという。本人は「女性に年齢を聞くものではありませ
とたしなめたが快く教えてくれた。」僕はまだまだこの人?(幽霊?)について知らないことばかりだが、少なくとも悪い人では無いと思った。律葉さんとの会話は大体律葉さんが話して僕が話を聞くという感じだった。僕が話す時もちゃんと聞いてくれる。話している内容は他愛のない話ばかりだった。
家族の話や学校で起こったこと、趣味のことについての話、律葉さんの管理人としての仕事や世間話などどうでもいいことをずっと話していた。
僕に弟がいると言うと、律葉さんにも妹さんがいて、会いたいと言っていた。僕には弟を大事にしなさいよと言った。
趣味は漫画を読むことだが、ほとんどの作品は流行り物でみんなの話題について行くために読んでいると告げるとそれでもその本が君の魂の血肉になるんだよと教えてくれた。
僕が相変わらず自分のやりたいこともなくて進路に悩んでいると相談すると相談に乗ってくれた。
「普通にサラリーマンとかでもなんでもいいじゃない。大事なのはどんな仕事に就くかじゃなくてどう生きてどんな大人になるかでしょ?自分は普通で何もないって思うなら当たり前のことを当たり前にきちんとできる立派な凡人になればいいんだよ。それが出来る人は案外いないって昔誰かが言ってた。」
律葉さんは懐かしむ様に言った。律葉さんらしいアドバイスになんだか元気がもらえた。
何も話題がない時は空が綺麗だねとか、なんでもいいから話した。いつしか僕は死にたいと思うことがなくなっていた。未来への不安を考えるより、律葉さんと話すこの現実をずっと続けたいと思っていた。時々、律葉さんが屋上の管理人として仕事をする場面を見る機会があった。僕には律葉さんがまるで希望の天使みたいに見えた。
「あんな風に沢山の人を救ってきたんですね。」
僕が感慨深そうに言うと
「本当に救えてたらいいな。」と苦笑いをした。
そんな日々を過ごすうちに律葉さんのいる屋上が僕の居場所になっていった。ある時律葉さんとはこんな話をした。
「君は話す時、とても楽しそうな顔をするね。学校でもそんなふうに喋っているのかい?」
そう聞かれて僕は戸惑った。
(楽しそう?僕が?)
「そんなに楽しそうな顔してますか?僕、学校でも教室の片隅で仲良い友達と適当に喋ってるくらいですよ。」
「そうなの?じゃあこんな君を見られるのは私だけってことか。なんだか嬉しいね。」
「誰でも普通にこんぐらいの顔で話してると思いますよ。」
「いいや?私がたくさん会って話してきた人の中ではそんな人は滅多にいなかったよ。なによりはじめてあった時の君とはみちがえた。君はもっと、いや、君に関わらず人間はもっと自分に期待してもいいと思うけどね。」
その言葉に僕はなぜか反論してしまった。
「この世の大半のことは期待しても結果は悪いことの方が多いんです。自分に期待すると望んだ結果が悪かった時に何かに負けた様な気がしてきて……だから負けるのが怖くて期待はしません。自分はこのくらいの人間なんだって受け入れて身の丈に合った生き方をしているのが楽だと思うので。」
「じゃあ君はその”何か"に勝ったことはあるの?」
律葉さんが僕に聞いた。
「いえ、負けたことも勝ったことも無いと思います。」
律葉さんはそうだろうねと肯定して続けた。
「君はまず、勝負をすることからさえも逃げているからね。」
律葉さんは珍しく少し起こった様な口調で言った。
「負けたら何?人生の全てが終わるの?期待した結果にならなかったからって絶対死ななきゃいけなくなる法律でもあるの?
君はまだ私と違ってなんでも出来る体なんだから行動を起こすことを諦めちゃいけないんだよ。この世界は君が思うより案外優しくていい世界なんだ。それに人間ってやつは弱くて脆いけど案外強いってことも私は知ってるから。」
その後、僕は一人で自分がやりたいことをいくつか考えた。
今まで全く浮かばなかったやりたいことがいくつか出てきた。
どんな人になりたいか考えて律葉さんの様な誰かの支えになれる人になりたいと思った。
しかし浮かんだ「やりたいこと」はどうしてもできそうにないことで、たくさんの人に迷惑をかけは行為だった。
翌日、いつもの屋上で律葉さんと話した。
「律葉さん、僕、やりたいことがやっと見つかりました。しかも二つも。」
そう言うと律葉さんは嬉しそうに笑ってくれた。
「何がやりたいの?」
「僕は律葉さんみたいに屋上の管理人になりたいです。沢山の人を救ういい管理人に。」
そう言うと律葉さんは戸惑ってひどく悲しそうな顔をした。
「ごめん、それだけは賛成できない。君も薄々わかってると思うけど、私は死んでる。この屋上の管理人はこの屋上で自殺した人しかなれないし、死後もこの屋上に縛り付けられて次の管理人が現れるまでどこへもいけなくなって成仏もできない。君の大切なご家族や友人にももう会えなくなってしまうんだよ。それに、君が言うほどこの仕事は綺麗じゃないし、救えない人だって沢山いる。何より私は君に幸せになって生きていてほしんだ。だから、お願い。それだけは応援できない。」
律葉さんは僕を見つめて懇願した。
「でも、僕が管理人になれば律葉さんは成仏できて自由なんですよね?なら迷う意味もないです。もともと僕は死ぬためにここへきたんですから。」
僕も真剣に自分の意思を伝えた。
「本当に意志は変わらないんだね……。」
「はい。」
僕ははっきりと答えた。
「じゃあわかったよ。明日のこの時間にまたここにきて。それまでに大切な人に別れをちゃんと言うんだよ。」
少年は家に帰って弟と両親そして数少ない友人に軽く別れを告げた。皆怪訝な顔をして疲れているのか?と聞いてきた。
律葉さんはすうっと息を吸い込み宣言した。
「君を私の後継者として認める。」
すると屋上が光に包まれてやがて消えた。
「これで引き継ぎは終わったよ。後は私がここから飛び降りて成仏した後に君もここから飛び降りて自殺するだけ。君は第4代のこの屋上の管理人になる。後悔は本当にない?今ならまだ間に合う。」
僕は首を横に振った。
「後悔なんてありませんよ。」
律葉さんはやはり少し困ったような顔をしたがもう止めはしなかった。
「そういえばやりたいことは二つできたって言ってたよね?」
「もう一つはなんだったの?」
「あぁそういえばそうでしたね。僕、律葉さんのことが好きです。」
律葉さんは何を言ったのか理解できないかのようにしばらく動きを止めた。
「えぇ!!嘘!!嘘でしょ!?なんで!?」
「律葉さんとは話すこの時間が大好きだったし、いつも笑顔の律葉さんに惹かれてました。僕の気持ちを伝えたかったんです。」僕は真剣な眼差しで律葉さんを見つめた。
「ありがとう。すっごく嬉しい。ねぇ一つお願いというか、約束してもらっていい?」
「なんですか?」
「この屋上で誰も死なせないでほしい。この屋上には沢山の死にたがりの人たちが来ると思う。でもその人たちを死なせないでほしい。少し話を聞いて、彼らの重荷を少しでもいいから一緒に背負ってあげられるヒーローになってあげて。」
「わかりました。その約束、必ず果たします。」
「ありがとう。この先の未来で次の代の管理人が決まって君が成仏したら、天国であなたが出会った人たちの話を聞かせてね。その時まで、待ってるから。」
「はい。待っててください。律葉さんみたいな立派な管理人になっていきますから。」
「別に私にならなくてもいいよ。君が思う私なんかよりもいい管理人になりなさい。がんばってね。」
「はい。」
「じゃあさようなら。しばらくの間お別れだね。」
律葉さんは屋上から身を空へ投げ出し、だんだんと小さくなっていった。そのあとを追うように僕も屋上から飛び降りて屋上の管理人になった。大切な人に会えないのは悲しいけれど、沢山の人たちを救えるように、僕は人に寄り添える管理人になろうと誓った。
「見ていてくださいね。律葉さん。」
少年は屋上を見渡して呟いた。
そこへ、暗い顔をした人が一人屋上を訪れた。
屋上の管理人となった少年は今日もふわりと現れて、誰かを救っているかもしれない。
「こんにちは!君も死にたがりかな?君の話を聞かせてよ!」
六人目 心中した二人
天の川が空に煌めく七夕の日、あるビルの屋上には二人組の女性が訪れていた。
二人は星空を見上げて抱きしめ合う。
「来世では世間に誇れるようなパートナーになろう。絶対死んでも忘れないし、会いに行くから。」活発そうなショートカットの髪の女性が相手の女性の額にキスをする。
「私もあなたのこと愛しているわ。来世でも一緒になりましょうね」穏やかな雰囲気の長い髪の女性も相手をぎゅっと抱きしめた。
二人で手を繋いで屋上のの端まで歩く。二人がキスを交わして抱擁し、身を投げようとしたその時、ふわりと現れた少年に声をかけられた。
「こんばんはお姉さん方。橋が綺麗な夜だね。」
「ひやぁっ!」突然現れた少年に穏やかな女性が悲鳴をあげて尻もちをつく。
「あんた誰?!」もう一人の女性も驚いているようだが、もう一人の女性を守るためだろうか、少年を睨みつけている。
「いや、君たちに危害を加えるつもりはないよ。僕はこの屋上の管理人だ。」
「こんな寂れた屋上に管理人なんているの?しかも君、子どもじゃない。」
「あの、すみません。私たち今から重要な用事を済ませますので、少しの間だけでいいのでここから離れてくださいませんか?」
腰を抜かしていた穏やかそうな女性が間に入ってくれた。
「重要な用事をって心中?」
「なんで分かって!?」
「僕はこの屋上の管理人だよ?この屋上のことでわからないことなんてないよ。もちろん、この屋上に来る人達のことも丸わかり。」
少年はイエイとピースサインをつくる。
「ねぇ、なんで死ににきたのか話してよ。君たちにの話が聞きたいんだ。」
二人の女性は顔を見合わせて少しずつ語り出した。
「あたし達はさ、いわゆるレズビアンていうか、同性愛者同士のカップルなんだ。」
「私達はお互いに愛し合っています。出会いは大学の入学式で隣の席になったことでした。なぜか感じたことのない特別な感情が起こりましたが、彼女からはとても活発そうで自分とは全く住む世界が違うとなと思っていました。」
「あたしも優と初めて会った時、何かわかんないけど特別な感じはビビッときたんだよね。学部も一緒だったからよく会ってて優の優しいところに惹かれて仲良くなったんだ。そんであたしの方から好きだって伝えた。」
「正直驚きました。私は自分が同性愛者だと分かっていましたが、本当に同性の人と付き合えるだなんて思ってもみませんでしたから。」
「優と過ごす時間は楽しかったよ。ありのままの自分でいられてさ。あたし達は他の人との恋愛についての話題とか話せないし、なにかと誤解されがちだからさ。近くに自分と同じ人がいるってすっごく安心できたんだ。」
「私もみっちゃんの勇敢なところに惹かれて、すごく幸せな時間を過ごしてしました。」
「ずっとこのまま一緒にいたいと思ったからお互いの両親に挨拶しに行ったんだ。実はあたし達は同性愛者でどうしても一緒にいたいですってな。」活発そうな女性は過去の出来事を懐かしんで悲しそうな顔をした。
「両親には猛反対されました。そんなのはおかしい、子供もできないし、世間にどんな目を向けられるかわからないと。恥晒しになるからもううちの娘に近づくなって、みっちゃんを追い出したんです。」
「正直なところいい返事がすんなりもらえるとは思ってなかったけどあんなに嫌われるとは思っていなかったよ。」
「その後は私も両親にとても怒られました。
もう二度と彼女に近づくな、大学もやめろ、私たちで良い結婚相手を見つけてやるからちゃんとした幸せを掴めと言ってきました。でも、ちゃんとした幸せってなんでしょう。私にとって彼女と一緒にいることが幸せです。彼らが気にしているのは私の幸せなんかじゃなく、世間体の悪さでしょう。そもそも、たまたま生まれ持った性別が一緒だからと言って、愛するものと一緒にいられないのはおかしいことです!」
穏やかなそうな女性は興奮気味に怒ったが、活発そうな女性に宥められて冷静になった。
「世間の風当たりも強かった。あたし達がそういう関係なんじゃないかってちょっと噂が立った途端にみんなあたし達をまるで化け物を見るみたいに奇異の目を向けてきて、辛い日々が続いた。」
二人の女性はとても涙を目に溜めて悲しい表情を浮かべていた。
「それで、わかったんです。この世界では私達は決して幸せになれないって、この世界では無理ならば二人で死んで、来世こそ一緒に幸せになろうって約束して。」
「この世から差別がなくなることはない。人間は自分と違うものを酷く拒むから。差別がなくなるためには、人類全員が同じような思考を持った人間にならなきゃいけない。私たちみたいな例外は幸せになれないんだよ。」
「ふーん、わかった。確かに君たちは周りと違う例外なのかもしれない。でもそれで死ぬのはただ、現実から逃げているだけだよ。君たちはお互いにパートナーという心強い味方がいるんだ。世間では異常者でも、二人は孤独じゃない。それに、相手がどんな人間でも愛し合った相手と幸せになりたいと思っているのは君たちだけではないはずだ。その人達も例外と言われているかもしれないが、例外同士なら、例外の生き物ではなく、同じく必死に生きているもの達として、協力できる筈だ。そういう仲間と世界を変えるために活動することが、君たちの幸せな未来に繋がるんじゃない?逃げずに、まずは行動してみないと!世界をより良く変えることができるのも、君たちの使命であり、権利なんだから。」
二人の女性はお互いの手をしっかりと握り合う。「そうだね、まずは一緒に行動を起こさないと。」
「なんかあっても、あたしが優を守るよ。あたし達は孤独じゃない。」
二人は見つめ合い、微笑みあった。
「ありがうございました。やっぱり私達は死にたくありませんから。」
「うん。頑張って世界を変えてね。」
「やってやるよ!あたし達の未来のために!」
二人は決意のを胸に宿し、屋上から去っていった。
「僕たちも例外同士、お似合いですかね?律葉さん。」
七夕の夜空には静かに、美しい星が瞬いていた。
七人目 耐えられなかった青年
空がどんより曇って小雨が世界を濡らす日、ある屋上に一人の青年が訪れていた。
青年は屋上の落下防止用の柵に近づき一言ごめんなさいと呟いた。直後____青年は後ろから声をかけられた。
「やぁ!こんにちは!」
「うわぁぁ!何!ごめんなさい!」青年は飛び上がるように驚いた。
「あっはは!すごい驚き様だねぇ!」突然現れた少年は大笑いしていた。
「あ、あなた誰ですか!?なんでここに?」
「僕はこのビルの屋上の管理人さ。のんびりしてたら君が来たから声をかけた。」少年はにこにこ笑った。
「君、死にに来たんでしょ。」少年は先程の飄々とした態度とは打って変わって真剣な眼差しを青年に向けた。青年は驚いて少年の顔を見た。
「どうしてそれを……?」
「君が助けてって顔してたから。何があったのか話して。君の話を聞くことぐらいならできるから。」
青年は暗い顔を浮かべて話し始めた。
「もう、現実に耐えられなくなったんです。」
俺の夢はプロのサッカー選手になることでした。その夢のために本当に必死に努力して、でも、結果は全然駄目で……、今よく考えてみれば始まる前から結果のわかる戦いだったかもしれません。みんなが想像するような生半可な覚悟で挑んでいたつもりはありませんでした。」
青年はただただ暗い顔をしていた。その顔に浮かぶのは悲しみ、悔しさ、絶望。
「俺が入った高校のサッカー部はいわゆる弱小部ってやつでした。高校入ってサッカー本気で頑張って、みんなとも一致団結できたと思っていました。実際、大会も結構いいところまで進んでいきました。このまま行けば全国大会も夢じゃないってところまで来てて、でもやっぱり現実は厳しくて、あと一歩のところで負けました。このまま必死でやれば来年には絶対行けるってみんなを励ましましたが、帰ってきたのは予想外の言葉でした。」
青年の目には涙がたまっている。その目は遠い昔を見ているようだった。
___もういいだろ。俺たちここまで来れたんだから、満足だろ。
___なんで。まだ全国の夢は叶ってないだろ。
___そんなの最初から真面目に考えてないっ
て。
___お前らがそうでも俺は本気だった。
___現実を見ろよ。全国行ってプロになるなん
て絶対無理だ。
___大丈夫。俺たちならできるよ。
___いや、正直練習キツすぎて無理だったわ。
そんなに本気じゃなかったし。
___は?何言ってんだよ。一緒に全国みんなで行
こうって言ったの嘘だったのかよ。
___そんなんノリに決まってんだろ。
所詮弱小の俺たちがここまで来れたのも奇
跡だよ。
___なんでそんな……。信じてたのに。
___もう俺たち追いてけないよ。あとは勝手に
やっててくれ。
___待ってくれ!置いていかないでくれ。
一人にしないでくれ。
「結局僕は夢を追いかけて努力して一人になりました。それでもいいからと頑張り続けました。でも現実は理想通りには行きませんでした。それから努力し続け、体が追いつかなくなりました。足を怪我して、もうサッカーを続けることは厳しいと言われました。それで、もう何もかも駄目になる運命なんじゃないかって思えてきて。」
少年の声は震えている。
「努力は報われるなんて言うのは嘘で、自分の今までの人生って何なんだろうって思ったら虚しくなってきて、それでもう全部がどうでもよくなって死のうと思ったんです。」
「そっか、君はたくさん頑張ったんだね。すごいよ。でもね、厳しいことを言うかもしれないけど、そもそも努力は報われるものじゃない。報われるまでするものなんだよ。それに、人は何かを成し遂げる時、たとえ一人でも戦わなきゃいけない。むしろ、一人じゃなきゃいけないんだ。この世界は厳しくて君の苦しみも、孤独も、努力も報われるなんていう奇跡は死んでいる。」
青年は少年の話をただ、静かに聞いている。
「でもね、報われなかった努力を軌跡っていうんだ。努力が報われないことなんて死ぬほどあるけど、けっして無駄にはならないはずだから。今は辛くても大丈夫!いくらでもやり直しが効くのが君たち生きている人間の特権じゃないの。死んだら君の努力も全部無になって、何もやり直せないよ。君は努力の天才なんだから。」
少年は優しく笑った。
「はい。僕、また努力して、新しい人生を生きるように頑張ります!」
そう言った青年の顔は晴れやかだった。
「はぁもし僕もやり直しができるならあの人達を救えたのかな……」
少年はまだ雨の降り続ける空を見上げて救えなかった過去の人達のことを思い浮かべる。
八人目
殺してしまった男
夕立が降り止んで、世界が静けさに包まれる夕方、一人の男があるビルの屋上に訪れていた。
「本当に申し訳ない。今そっちに行って罪を償うから。」
男性はそう呟くと柵を越え、屋上の端に立った。男性が宙へ足を踏み出そうとしたその時、ふわりと一人の少年が現れた。色素が薄く、よく見ていないと透けて消えてしまいそうな少年だった。実際、足が透けている。男性の一歩先はもうビルの床はないはずだが、少年は男性と目線を合わせられる位置にいた。つまり、少年の体は宙に浮いている。
「お前誰だ!なんで浮いて……!」
「僕はこのビルの屋上の管理人だよ。細かいことは一旦置いておいて…おじさん危ないから戻ってきて。」
「俺はそっちには戻らないよ。どこかへ行っていてくれないか。」
「僕、おじさんが何したか知ってるよ。」
その言葉に男の顔色が真っ青に変わった。
「おじさん、昨日この屋上で人を殺したでしょう。」
「なんで…知って……。昨日この屋上には誰もいなかったはず。」
「そりゃぁ普通は僕の姿はおじさんたちに見えるはずないもん。」
少年はあっけらかんとした態度で男に説明した。
「あぁそうだ…俺…俺は……あいつを殺してしまった…だから俺も死んで、罪を償おうって思って……。」
「なんであんなことになったのかおじさんの話を聞かせてよ。」
少年が話を促すと男はゆっくりと話し始めた。
「俺たちは中学校からの親友で、高校も大学も就職先さえ一緒で、もういつのまにか一緒にいることが当たり前だと思ってた。昨日まではな。昨日の夜、あいつは俺に会社の不正の証拠を見つけたから一緒に会社を告発しようって俺を誘ってきたんだ。あいつが何か危ないことをしてるっていうのは前から知ってた。でも俺は断ったんだ。上の人間からあいつの入手した不正の証拠を消せってできなければお前の未来はないって脅されて…。俺には全てを捨てて正しさを貫くには捨てられないものが多くて、間違いを真っ向から主張できるほど社会が綺麗じゃないってことを知ってたから。あいつにも普通に幸せに生きて欲しかったから馬鹿なことはやめろって止めたんだ。それで言い争いになって、証拠を奪おうとした時、誤ってあいつを突き落としてしまって…。本当に俺はなんてことを……。」
「そうだったんだ。でもじゃあ、なおさらおじさんがすべきことは死ぬことじゃないでしょ。おじさんのすべきことはその友達の死を無駄にしないことだよ。死んだ人は新たな犠牲なんて求めてないんだ。その人が必死に抗って世界を正しくするために生きていたって証明できるのはおじさんしかいないんだ。大丈夫、一度死ぬ覚悟をしたならきっとなんでもできるはずだよ。おじさんも死ぬ気で理不尽に抗って必死に生きてみなよ。それがおじさんのできる償いだよ。」
「わかった。あいつの死を無駄にしたくない。俺は自首する。会社の不正もあいつに代わって俺が公にしてやる。それが俺の償いだ。一生、あいつの命を背負って生きていくよ。」
「うん。きっとおじさんの友達も見守ってると思うよ。」
「だといいな、たとえ許されなくても、俺は必死に生きて、あの世で、あいつに謝ったらまた友達でいられるように頑張るよ。」
そう言って男性は去っていった。
「これで満足できた?」
少年は振り向いて背後にいる男性に話しかける。そこには半透明の男性が静かに佇んでいた。
「ありがとうございます。これでちゃんと成仏できる。」
「あの人のこと、許せるの?」
「許せますとも。あいつが私の命を背負って生きていく限り、私はあいつの味方でいたい。ずっと一緒にいた親友ですから。あの世でもあいつに会えるまで気長に待つとしますよ。」
そう言って男性は静かに世界に透けて消えていった。
「貴方があの世で僕のこと待っててくれているといいな。」
屋上は再び雨上がりの静けさに包まれた。
九人目 残された者
よく晴れた夕焼けの綺麗な日、あるビルの屋上に一人の少年が白い花束を抱えて訪れた。
屋上の管理人である少年とよく似た顔をしている。少年は花束を置くと座り込んで誰かに語りかけるように話し始めた。
「兄ちゃん、俺、17歳になっちゃったよ。たくさん生きて、もう兄ちゃんと同い年だよ。来年にはもう兄ちゃんよりおっさんになっちまう。兄ちゃんより年上になんてなりたくないよ。」
少年の顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。
「いつもいづも俺のことちびって馬鹿にしてきて、頭わしゃわしゃしてきて、…子供扱いされて嫌だったけど、本当は嫌いじゃなかったんだよ。大人になってもごんな扱いなのかなって、でも兄ぢゃんどっ、一緒にいられるならそれでもいいやっで……思ってだんだよ。兄ちゃんのこと、俺、大好きだったんだよっ!あの日、兄ちゃんが死んで、警察から電話がかかってきた時、嘘だって思った。誰かの悪戯で、何事もなく兄ちゃんは帰ってきて、またちびって馬鹿にされるんだと思っでたっ。でもほんとに兄ちゃん帰ってこなくて、俺…俺が……なんか悪いことしたから兄ちゃん死んじゃったんじゃないかってずっとずっと思って。もう、づらぐてっ。うぅぅ……なんで死んじゃったんだよぉ兄ちゃん!」
少年は泣き続けた。
そこへふわりと少年が現れた。泣き続ける少年のそばに寄り添うが、その姿は少年には見えていないようだった。少年はずっと泣き続ける弟のそばにいた。やがて、太陽が沈み、だんだん、世界が闇に包まれていく逢魔時、泣いていた少年は確かに魔に遭遇した。ずっと心の中にいた兄の姿をした幽霊に。
「ごめん、ごめんね。不甲斐ない兄ちゃんでごめん。そんなこと思ってたなんて知らなかったよ。一緒に大人になれなくてごめん。」
「っ兄ちゃ、なんで…」
「僕は死ぬ前にある人に会ってね、今は縁あってこの屋上の管理人をしてるんだ。それにしても、大きくなったね。これじゃあ、もう、チビって……馬鹿にできないじゃないかぁ。」
兄の姿をした幽霊も気がつけば泣いていた。
「僕の身勝手で、寂しい思いをさせてごめん。でも僕は死んだことに後悔はないから、僕は、大丈夫だから。」
日が既に完全に沈みかけて、世界はだんだんと暗闇に包まれる。
「ねぇ、生きてね。亮の人生を必死に生きて。時には逃げてもいい。失敗したらやり直せばいい。とにかく、必死に、生きることをやめないで、なんとか生きてね。君の生まれた意味は、人として生きて、人として死んで、ちゃんと幸せになることだから。それが、僕からの最期の願いだから。どんなことがあっても、前を向いて、亮の人生を生きるんだよ。」
少年は微笑んでもう自分より大きくなった弟の頭を撫でる。しかしその手が弟の頭に触れることはなかった。ちょうど太陽が沈んで世界は完全に闇に包まれた。いつのまにか兄の形をした幽霊は消えていたが、残された少年の頭には確かに懐かしい兄の温もりが残っていた。
「兄ちゃん……、俺必死で生きていくよ。兄ちゃんの分まで。」
また来ると言い残して、少年は屋上から去っていった。屋上には美しい花束が残されていた。
十人目 約束の人
よく晴れた青空がとても美しい日、屋上の管理人は柵にもたれて屋上からの景色を眺めていた。屋上には彼以外誰もおらず、ただ街の喧騒が遠く聞こえていた。そこへふわりと一人の女性が現れた。
「やぁ少年!元気にやってるかい?」
突然屋上に響いた声に少年は驚きを隠せなかった。なぜならその声は少年にとってまったくの予想外の声であり、長年求め続けていたものだったからだ。少年は驚いて振り向き、自身の人生を変えてくれた恩人であり、また恋をしていた人の姿を視界に捉える。
「り…律葉さん!?なんでここに?」
「久しぶりだね!少年!いやぁ今日は君がこの屋上の管理人になって4年、つまり君の4回目の命日で私にとって2回目に死んだ日なんだ。それでふいに君に会いたくなってちょっと来てみちゃったよ。最近どう?しっかりやれてる?」
律葉さんの問いに少年は俯くしかなかった。
「律葉さん、ごめんなさい。僕はあなたとの約束を守れたかった。このビルで人を死なせてしまった……。本当にごめんなさい。」
久しぶりの感動の再会だというのに、少年は罪悪感で恩人の顔を見ることができなかった。律葉は少年の顔を手で包み、瞳を合わせた。
「知ってるよ。全部見てた。君がその人を助けるために必死に話してたところも、どうしても助けられなくて泣き続けたことも、その後も助けられなかった人の命を抱えて、たくさんの命を救ってきたことも、ぜんぶ見てきた。私が出来なかったことを君はやったんだ。あの少女も天国で君のお陰で自分の最期が救われたって言ってた。君は君が思うよりも立派なんだよ。誇っていい。」
その言葉で少年は心の荷が降りたようにぽろぽろと泣き始めた。律葉は少年が落ち着くまで大丈夫だと言ってくれた。
それから少年は屋上に訪れた人たちの話を語った。律葉さんの天国の話や、少年が出会った死にたがりの話をずっとしていた。とても穏やかな時間だった。長い時間がたち、もう空には星がチラチラ見え始める時間に差し掛かった時だった。
「申し訳ないね、そろそろ限界の時間だ。また来るよ。」
「残念です。もっとかっこいいところを見せたかったのに。」
少年は泣いて赤くなった目を擦って言った。
「君のかっこいいところなんてずっと見てるよ。」
律葉はクスッと笑った。
「これからもずっと見ていてください。いつか誰かにこの役目を渡してそちらにいくその時まで、僕のこと、待っていてくれませんか。」
「待ってるよ。ずっと待ってる。その時にまた君の話をたくさん聞かせてね。約束だよ?」
少年もまた笑って答えた。
「はい。約束です。」
律葉は笑顔でまた美しい青空に透けて消えていった。
「また、約束が増えましたね。」
少年は夜空に輝く星を眺めてつぶやいた。
エピローグ 十一人目 屋上を訪れた少女
「どう?今までのたくさんの人の話をしてきたけど、考えは変わった?」
「変わっていません。でもみんなが苦しむ中で必死に生きてきたことはわかりました。」
「君は自分が今まで本当に必死に生きてきたって自信を持って言える?」
少年の問いに少女は歯切れ悪く答える。
「分かり…ません。必死に生きてきたつもりでもそうじゃないかもしれません。でも、死ぬ気は変わりませんよ。」
「即答できていないね、それは君がまだ必死に生きていない証拠だよ。本当は君、生きたいんでしょ?本当に死にたいのなら、初めに僕の話なんか無視して真っ先に飛び降りればよかったじゃない。」
少女は本心を言い当てられて焦った。
「うるさいっ!あなたは簡単に人に生きろって言いますけど!それがどれだけその人にとって重荷になるか分っているんですか?!私のこと何も知らないくせに!」
「そうだよ。僕は君のこと、何も知らない。君が本当に本当に死を望んでいて、死しか救いがないのならそれでもいいと思う。でも、いくら現実が厳しくても、君の周りがどれだけ残酷でも、君が死ぬことで悲しむ人が少なくとも一人、ここにいるということを知っていてほしい。」
少年は少女に語りかける。
「ねぇ、君の話を、聞かせてよ。」
今日もあるビルの屋上で管理人の少年は静かに死にたがりの話を聞いている。
幽霊と話す屋上で 夏雪足跡 @asiatonatuyuki
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