受け継いだもの

第7話 夜の仕事

 眼鏡は家族にも友人にも、黙っていることがあった。一応、妻にも話してはいない。が、どうも聡い妻は何かしら勘づいているようだ。問い詰められたら逃れられる気がしない。

 問い詰められたくない。そういう、疚しい事象だ。不倫ではないが、不倫よりもしかしたら、質の悪いことであるかもしれない。

 父から受け継いだ家業というのは、コンサートホールの管理人だけではないのだ。

 まあ、そちらは定期的に顔を出せばいいだけで、毎日やるような仕事ではないが、眼鏡としては、微妙な心境であった。

 裏組織のパーティーのセッティング。それが眼鏡が父から引き継いだもう一つの仕事だった。

 裏社会に所属する連中は血の気の多いやつが多い。そういうやつらを鎮静化させるために定期的にパーティーという形で、容姿のいいピアニストや歌手を見繕い、彼らの食い物にさせている。表の顔があるからこそ、できる芸当だった。

 また、裏社会に顔を持つことで、表社会で裏の者が手を出してこなくなる。そういう影響力をある程度持つ「顔」を眼鏡は父から受け継いだ。眼鏡チェーンと共に。

 眼鏡チェーンは父の裏における「印」だった。この者には手を出してはいけない。裏社会とは無法地帯だが、暗黙の掟が、害を少なくしていることがある。父は「印」を持つことで、表の堅気の者たちに手を出させないようにした。それでも、裏社会に通じていたことは事実だ。

 もちろん、潔癖なところのある眼鏡はこの裏稼業を快くは思っていない。父のこの家業に関しては、誇りに思ったことはない。だからといって、父を嫌いになれるわけでもなかった。だから、眼鏡は役目を受け入れ、生活している。それに、血の気の多いやつらが暴れ出さないようにするためには、こうした息抜きも必要なのだ。誰かの威光だけでは留められない、人間の暴力性、残虐性というものがある。それを閉じ込める檻の一柱が眼鏡の役割なのだ。

 毎朝、ストリートで適当なアーティストを見繕うのもこのためだ。Zionのマスターのお目に敵わなかったやつは、こうして夜の仕事に回される。マスターが気づいているかは、知らない。たぶん、あれは気づいていても、いなくても、眼鏡への態度は変わらないだろう。

 ストリートで落ちぶれている者たちは、自分たちが食い物にされても、そこに需要があり、金が供給されるため、文句は言わない。それで、眼鏡の立場は守られている。たいへんに胸糞の悪い地位の守られ方だ。そこに甘んじている自分にも、嫌気が射す。「役に立つ」という理由で立場を利用するような大人に、なってしまった。

 もちろん、こんな胸糞の悪い仕事を倅に継がせるつもりは、眼鏡には毛頭ない。だから、家族にも隠して、こうして過ごしている。

 だが、連れは気づきかけている……いや、もう気づいているのだろう。だから眼鏡から倅を遠ざけさせ、眼鏡を軽蔑し、警戒しているのだ。

 夜のパーティーには、一応出席する。それが彼らを見繕った責任であると感じていたからだ。Zionに毎日通うのも、帰りの時間が遅くなるのを不自然にしないため。つまりはカモフラージュ。連れに見抜かれても、せめて倅には「いつものバーだろう」と言い訳できるように、用意していた。

 パーティーの酒は安酒だ。品位が知れる。Zionの酒で舌が慣らされているため、あらゆる意味で、ここでは美味い酒を飲めないでいた。──こんな仕事を倅に継がせるつもりはないと決めているものの、どうやって足を洗うか、少々悩んでいる。家庭不和のことも、気にしてはいるのだ。あまり妻と仲が険悪だと、あの幼い子を不安にさせてしまう。

 家族の幸せを。せめて、この報いを受けるのは自分一人であってほしい、と来るべきいつかに向けて、眼鏡はグラスを傾けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る