第30話 女流名人戦 第一局

 寝巻の浴衣で朝食会場に行っても良かったが、なんとなく抵抗があったため着替えてから朝食をとることにした。

 勝負服には、春らしく若草色のワンピースに白のカーディガンを選んだ。


 着替え終わり朝食会場に入ると、上野先生の姿が見えた。手招きしている。一緒に食べようと言っているみたいだ。


「上野先生、おはようございます」

「同い年なんだから、そんなにかしこまらなくていいよ。私も下の名前で呼ばせてもらうから、理央もそうしなよ」

「わかったよ、理沙」


 女流囲碁界の頂点に立つ人にタメ口はちょっと気が引けるが、本人が望んでいるなら仕方ない。


「今日のワンピースもかわいいね」

「ありがとう。理沙の服もかわいいよ」


 今日の理沙は、黒のスカートに胸元の大きなリボンが印象的なブラウスを着ている。理央も好きで、たしかに服の趣味は合いそうだ。


 ◇ ◇ ◇


 対局は理沙の黒番となり立会人や関係者に見守られながら、一手目を右上隅小目に打って対局が始まった。

 挑戦が決まってから理沙の棋譜を並べて、研究はしてきた。理沙は序盤はじっくり構えて、「ダイナマイトパンチ」ともいわれる強力な一撃で相手を沈める。

 甘い手を打たないように、慎重に着手を進めていく。


 対局開始から2時間が経ち、盤面は中盤戦を迎えていた。慎重に打っていることもあり、厳しく攻められることもなく形勢は五分五分と言ったところか。

 そんな場面で、黒のノゾキが悩ましかった。受ければ普通だがそれだと甘い気もする。かといってノゾキにツガずに反発するのも怖い。

 受けても地合いも形勢はそんなに悪くないはず、反発して難しい戦いになるよりは良いと判断して、ツナグことにした。


 それから盤面は進んでいき、大ヨセの段階まできていた。地合いを目算で数えてみると、細かいが黒が少しよさそう。

 ここまで大きなミスはしていないはずだが、慎重になりすぎていたようだ。とはいえ、まだ大ヨセの段階。逆転の可能性はある。そう信じて、次の手を打った。


―――差がつまらない!


 さすが5冠の女王。戦いだけではなくヨセも正確で、わずかな差が一向に詰まらない。目の前にいるのにいつまで経っても捕まえられない、鬼ごっこをしているようだ。


 整地して、黒の1目半勝ち。細かいと言えば細かいが、中盤以降わずかなリードを守り切り逆転を許さなかった理沙の強さの前に何もできず完敗だった。


 立会人の大林9段も交えて局後の検討が始まり、中盤のノゾキの場面になり、大林9段から反発する手は考えなかったのかと聞かれた。


「白はここで、反発するべきだったけど、難しくなりそうで・・・」


 ノゾキにつがず反発した後の変化図を作っていくが、どれも難しいなりに白もやれそうだった。

 結果論にはなるが、やはりここでつないだ手が敗着だったようだ。

 

 検討を終え対局場をでると、香澄が待っていてくれた。


「惜しかったね。上野名人の『ダイナマイトパンチ』警戒しすぎて、固くなっちゃった?」

「そうだね・・・」


 言葉を濁したが、あの感覚は対局したものではないと分からないと思う。守ってばかりでは勝てないことは分かっているが、攻めたら反撃されそうと感じて何もできない。

 そして、いったんリードを許すと、逆転させない強さ。さすがに女流5冠だけあって、隙のない強さだ。


「あっ、いたいた。理央、もう帰っちゃの?明日土曜で学校ないんでしょ。よかったら、もう一泊しない?」


 香澄と話しているところに、取材を終えた理沙がやってきた。


「上野先生、お疲れ様です」


 香澄が理沙と話し始めた。香澄は人に取り入るのが上手い、あっという間に連絡先の交換にも成功したようでスマホを取り出している。

 呼び名も「上野先生」「中村先生」から、いつの間にか「理沙ちゃん」「香澄さん」に変わっている。


「理央、せっかく理沙ちゃんが誘ってくれてるんだし、泊まっていこうよ」

「えっ、でもここ高そうじゃない?」

「私が誘ったんだから、私が払うから気にしないで。3人一緒の部屋でいいよね?浴衣だけど、パジャマトークしようよ」


 気にしないでと言われても、気にしてしまう。でも、さすが女流5冠。稼ぐ額もハンパじゃないようだ。


 ◇ ◇ ◇


「えっ、香澄さんと理央って一緒に暮らしているの?」

「うん、ちょっと成り行きでね。ルームシェアしてる」

「いいな。楽しそう」


 部屋食の夕ご飯を食べながら、テーブルの向かいでは香澄と理沙が仲良く話している。

 どうしても理沙の胸が気になってしまう。お風呂場でも確認したが、理沙の胸は理央よりも大きく、ここでも負けた気になってしまう。

 まだ棋力も胸も発展途上ということにしておこう。


「今度の研究会いつ?」


 理沙がすき焼きの肉を頬張りながら聞いてきた。


「来週の火曜だけど、ひょっとして理沙ちゃんもきてくれるの?」

「行っても良いですか?」

「もちろん」

「ダメ!」


 香澄の返事に被せるように、叫んでしまった。タイトル戦の最中に、対戦相手と研究会するなんて聞いたことない。


「じゃ、名人戦終わってからね。あっ、そうだ。私が3LDKの部屋借りるから、3人で一緒に住もうよ。そしたら、研究会開かなくても毎日家でできるし」

「いいね」

「どこにする?やっぱり棋院の近くがいいよね」

「ちょっと、待って」


 二人は静止の声も聞かずに、スマホで物件探しを始めた。

 この子の自制心は小学生レベルと、すき焼きのシメのうどんをすすりながら思った。

 

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