第29話 女流名人戦 前夜祭
朝学校行くと、みんながチラチラとこちらを見ている視線に気づいた。理央を見た後、ヒソヒソ話をしている姿も見受けられる。
「おはよ。理央、テレビ見たよ、凄いね。昨日放送って、教えてくれてもよかったのに、なんで教えてくれないの。」
「だって、ちょっとしか出てないし、恥ずかしいし」
昨日放送のドキュメンタリー番組に出演しており、みんなその放送を観たようだ。恥ずかしくて内緒にしておいたのに、偶然観た人がクラスのみんなに教えたようだ。
今はリアルタイムで見逃がしても、見逃し配信で観られるので便利な反面、こんな時はちょっと困ってしまう。
今度の女流名人戦の相手である上野理沙女流名人は、10歳と当時最年少でプロ入りすると、12歳で新人王を獲り、14歳で女流棋聖で初タイトル獲得と順調に成績を伸ばしていった。
今年はついに女流タイトル5冠を達成して、17歳にして早くも女流囲碁界の頂点に登りつめた。さらに見た目もアイドル並みに可愛いこともあって、囲碁界以外からも注目度は高く、テレビに出ていたり、雑誌の表紙を飾ったりもしていた。
そんな彼女を特集したドキュメンタリー番組が放送され、今度行われる女流名人戦の対戦相手ということで、理央もちょっとだけだが出演していた。
「藤沢さん、テレビ観たよ。今度、名人戦でるんだってね、頑張ってね」
テレビの反響は大きく、休み時間に今まであまり話したことのない子にも声をかけられ、ちょっと困惑してしまう。
相手は何と言っても5冠。一つでも獲れば一流と呼ばれるタイトルを、一度に5つも持っている。
もちろん負けるつもりはないが、みんなの期待に沿えない可能性が高いので、そっとしておいて欲しいという気持ちの方が強い。
それに、もう一つ心配なことがあった。
「藤沢さん、テレビ見たよ。名人戦に挑戦なんて凄いね。僕なんかが、気軽に声をかけちゃいけないね」
朝、芝田君に会うなり言われてしまった。まだ、はっきり振られたわけではないが、その後今までのように話してくれる事はなかった。
◇ ◇ ◇
「そんな男、ほっとけばいいのよ。ほら、唐揚げ冷める前に食べなよ」
夕飯の唐揚げを食べながら香澄は、何でもないように言った。
「振るなら振るで、はっきり言って欲しいだけよ」
はっきりしない芝田君にはちょっとがっかりしたが、その度に彼との思い出が思い浮かんできて、嫌いになりたくてもなれない。
「ところで、香澄は上野先生と対局したことある?」
「あるよ。2回。3年ぐらい前かな。理央はあるの?」
「理人だった時に、一度だけ。彼女がまだ小学生ぐらいの時にあたって、子供に負けるものかと思ったけど負けちゃった」
芝田君のことも気がかりだが、女流名人戦は今週の金曜日に迫っていた。夕食を終えると、碁盤の前に座り棋譜ならべを始めた。
碁石を持てば、芝田君のことは忘れていられる。雑念は払って、碁盤に集中することにした。
◇ ◇ ◇
木曜日、女流名人戦の前夜祭が行われる栃木県の旅館につくと、ロビーに両親の姿が見えた。群馬に住む両親が応援にきていてくれていた。
「お父さん、お母さん、久しぶり」
「もう、理央ったら正月も帰ってこないで韓国に行っちゃって、たまには帰ってきなさい。あっ、中村先生、いつも娘がお世話になっています」
理人だった時も鳴かず飛ばずの成績を恥じて、実家にはあまり帰っていなかったので、両親の顔をみるのも2年ぶりぐらいだ。
電話で香澄とルームシェアすることにしているとは伝えているので、一緒にきている香澄に両親が挨拶している。
「女流名人に挑戦するなんて、びっくりしたよ」
「理央も立派になったね。母さん、嬉しいよ」
香澄への挨拶を終えた両親は、涙ぐみながら理央に声をかけてくれた。理人の時は心配をかけっぱなしだっただけに、こんなに喜んでくれるなら理央になって良かったとちょっと思ってしまった。
◇ ◇ ◇
前夜祭の会場に入り解説や立会の先生たちに挨拶をしていると、入り口付近が騒がしくなってきた。上野5冠が会場入りしたようだ。
関係者が取り囲んでおり遠巻きにしかその姿は見えないが、流囲碁界に頂点に立つ者としての風格が感じられる。山井名人もそうだったが、タイトルホルダーは場の雰囲気を一変させるオーラを持っている。
「藤沢先生、明日はよろしくお願いします」
上野先生にいつ挨拶に行こうかタイミングを見計らっていたが、向こうの方が先にこちらの存在に気づくと歩み寄ってきてくれた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
恐縮しながら挨拶を返した。
「そのワンピースかわいい!ねぇ、服どこで買ってるの?今度、一緒に買い物行こうよ。あっ、そうだ連絡先聞いておいてもいい?」
そう言うと上野先生はスマホを取り出し始めた。こちらもスマホを取り出し連絡先を交換した。
「ありがとう。早速明後日とかどう?何か予定ある?」
「特に予定はないけど」
「じゃ、決まりね」
明日が第一局で、再来週には第二局目が控えている。タイトル戦の最中に、対戦相手と仲良く買い物して良いの?と急な展開について行けずに困惑してしまった。
「初めてなのにごめんね。藤沢先生同い年だから会えるの楽しみにしてたんだ。この業界って年上の人ばかりで同い年の人って貴重だし、藤沢先生かわいくて趣味も合いそうって思ったら嬉しくなっちゃって、つい」
女流囲碁界の頂点に立つ彼女も、碁盤を離れると普通の17歳のようだ。そう思うと、急に親しみを覚えて話も弾んだ。
◇ ◇ ◇
「上野先生と仲良く話してたね」
前夜祭の終わりがけに、香澄から尋ねられた。香澄は少し酔っているみたいで、頬が少し赤い。
「同い年ってことで、意気投合しちゃった。日曜日、買い物に行く約束もしたよ」
「何で、いつの間に?っていうか、仲良くなったんなら、私も紹介してよ。それか、研究会にもきてもらえるようにお願いして」
そこで、香澄の目的に思い当たった。多分、囲碁だけが目的ではない。
「研究会って、ダメだよ」
「ダメかどうかは本人に聞いてみないと、分からないでしょ。あんなに可愛い子が、男に汚される前にどうにかしないと」
「前に、今は理央だけって言ってなかった?」
「それとこれとは別。推しと恋愛の違いが分からないなんて、理央もまだまだだね」
そうやって前夜祭の夜はふけていった。香澄のおかげで、緊張せずゆっくり休めそうだ。
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