第25話 再戦

「ありません」


 対戦相手が頭を下げた。ガッツポーズしたいところだが、勝った喜びを表に出すことは相手に失礼なので、心の中だけにとどめておく。


 韓国修行を終え、年が明けてからこれで2勝1敗。3連敗のショックからは完全に立ち直ることができた。やっぱり、韓国に行って良かった。


 対局後の検討を終え足取りも軽く家に帰ると、同じく今日が手合い日の香澄はまだ帰っていなかった。

 いつも香澄に夕ご飯を作ってもらっているので、たまには作ってみることにした。

 冷蔵庫を開け材料を確認して、レシピをスマホで調べて、野菜を切り始めた。


 ◇ ◇ ◇


「う~ん、美味しい。理央もやればできるじゃん」


 香澄が理央が作った、生姜焼きを一口食べて褒めてくれた。肉を焼いて、レシピ通りに調味料入れるだけなので、自分の作った料理を美味しそうに食べてもらえると嬉しくなる。


「理央、今日は終わるのが早かったね」

「大石の攻め合いになって、手数が短く終わったからね」


 序盤から激しく戦いになって最後は相手の大石を仕留めて、ヨセまで行かずに中押し勝ちとなったので早く終わってしまった。

 韓国留学してから、毎日詰碁もするようにしたし、なにより自信をもって対局に臨むことができるようになってきたのが、結果につながってきている。


「香澄は遅かったね。ヨセまでいったの?」

「うん。一目半勝ち。久しぶりにヨセまでいったから、疲れたよ」


 プロの対局の負けを認めての投了で終わる中押しが7~8割を占めている。それに好戦的な棋風だと途中に相手の石を仕留めてことが多いので、そこで投了となりヨセまでいって整地する割合はもっと低くなる。

 中押し勝ちというと野球のコールドゲームみたいに楽勝と思われるかもしれないが、実際は難解な攻め合いの末に一手勝ちみたいに際どいこともあるので、中押し勝ちイコール楽勝とはならない。


「香澄も最近調子いいね」

「調子いいうちに対局したいけど、来週は手合いがないの。理央は、来週ある?」

「あるよ。女流名人戦の準決勝。相手は古林6段」


 韓国留学のきっかけにもなった古林6段との対局が、来週組まれていた。リベンジしたい気持ちがあふれている。


 ◇ ◇ ◇


 対局日の朝、何を着ていこうか毎回悩む。負けた時に着ていた服は、ゲンを担ぐ意味でなんとなく嫌だ。でも、そんなこと言っていると着る服がなくなるから、コーデを帰ればOKということにしている。

 しばし悩んだ末、白のワンピースに着替え軽くメイクを済ませた。リップを引きながら、気合いを入れた。

 以前はメイクなんて難しくて面倒と思っていたが、メイクにも慣れてくるとオンオフの切り替えの意味でも、対局前にはメイクをするようになった。


「香澄、こんな感じでいいかな?」


 香澄にメイクの出来をみてもらう。


「いいんじゃない。頑張っておいで、私も後で棋院には行くから」


 香澄に見送られながら家を出た。


 ◇ ◇ ◇


「藤沢先生、おはようございます。今日の服、かわいいですね。おばさんになると、白とか明るい色似合わなくなるから、って羨ましいわ」


 グレーのスーツ姿の古林6段が自嘲気味に言ってはいるが、若いにアクセントを置くあたり、嘲笑のニュアンスも感じられる。


 開始時間となり、ニギって古林6段の先番で対局は始まった。序盤から黒が攻めてきて、白がシノぐ展開となった。

 シノいで生きるのは簡単だがシノギ方を選ばないと、効き筋が生まれたり、黒地ができたりして不利になるので、慎重に手を選ぶ。

 今は耐える時間と割り切り、反撃のチャンスを伺いながら黒の攻めから守り続ける。


 黒のケイマにツケコす筋が見えた。ツケコせば黒は分断され、今度は黒がシノぐことになるが、もし黒を殺せなければ白もダメージがあり判断に悩む。

 むしろ黒がツケコシを誘っている感じすらある。


 頭には前半のリードに胡坐をかいて、後半守ってばかりで逆転された前回の対局が浮かんでいた。前回の自分を超える意味でも、ここは戦いたい。


 ―――いける!


 考慮時間20分超を費やし考えた末に、ツケコすことにした。古林6段も待ってましたとばかりに、ノータイムでツケコシを切って戦いが始まった。


 ◇ ◇ ◇


 古林6段の表情が徐々に曇ってきている。白のハサミツケの対応に、困っているようだ。難しい戦いだったが、白のハサミツケが決まり黒は死んだはず。


「ありません」


 5分ほど考え、古林6段が投了した。


「藤沢先生がツケコシてくるとは意外でした」


 勝負の分岐点となったツケコシの部分を指差しながら、古林6段は言った。


「前回、守って負けたので、今回は攻めてみました」


 韓国から帰ってきても、朝と夜に1時間ずつ詰碁つづけている効果もあり、読み筋に自信をもって打つことができた。

 会心の勝利に気分良く、控室にいる香澄のもとへと向かった。


「ネット中継見てたよ、古林6段に真っ向勝負して勝つなんてやるじゃん」


 香澄が勝利を讃えてくれた。香澄に褒められてもらえると、素直に嬉しい。香澄と一緒にいると負けた時は慰めてくれて、勝った時はともに喜びを分かち合える。

 ずっと一緒にいたいが、芝田君と一緒になれば香澄は去って行くだろう。どっちかを選べる日はやってくるのだろうか?


〈注〉実際の女流名人戦はリーグ戦で挑戦者決めますが、ここでは話の流れでトーナメント方式にさせてもらいました。

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