第19話 早碁トーナメント

 来週行われる手合いの日程を確認すると、懐かしい名前が見つかった。


「香澄、平田って覚えてる。院生時代の」

「平田君、覚えてるよ」

「今度の早碁トーナメント、平田も出るみたいだよ」


 パソコンの画面を香澄に見せた。理人と同い年の平田とは院生仲間で一番仲が良く、香澄も一緒に勉強していた。

 理人より先に一番上のAクラスに入りプロ入りも時間の問題かと言われていたが、勝負所でいつも躓き、あと一歩のところでプロ入りを逃し続けた。

 院生の年齢制限の14歳になり、平田の実力なら17歳まで延長することもできたが、延長せずに「囲碁はもうやめる」といって院生を辞めていった。

 そんな平田が、プロとアマが真剣勝負する早碁トーナメントのアマ代表として出場するようだ。


「あいつ、囲碁辞めるって言ってたのに続けてたんだな」

「これって、二人とも1回戦勝ったら2回戦で当たるみたいだね」

「向こうは理央が、理人とは知らないから何とも思ってないはずだけど、私はちょっとやりづらいな」

 

 そう言いながらも、院生時代は平田の方が強かったが、今ならどうだろうと少し楽しみでもある。


 ◇ ◇ ◇


 通常手合いは1日1局だが、早碁トーナメントは持ち時間が1時間ということもあり、午前と午後に分けて2局が予定されている。


 あれから平田のことを調べてみたが、確かに院生を辞めた後は囲碁は辞めていてたみたいだ。

 3年前、21歳になった時に突如囲碁界に戻ってきて、大学名人戦で準優勝したのを始めとして、その後はアマ棋戦の上位の常連となっていた。

 昨年には、アマチュア名人のタイトルを獲得していた。


 午前中の1回戦を無事に勝ちぬき、あんパンと牛乳で軽めの昼ご飯を食べた後、午後の2回戦に備えて詰碁の本を取り出しウォーミングアップを始めた。


 対局開始の15分前に会場入りすると、平田はすでに碁盤の前に座っていた。10年ぶりにみる平田は、幼さが消えスーツの似合う好青年になっていた。


「よろしくお願いします」


 理央の姿を見て、平田が一瞬にやけたのがわかった。かわいい女の子が前に現れると、表情が緩むのは男の悲しい習性だ。とはいえ、勝負ごとに手加減はしてくることはないだろう。


 ニギって、平田の先番で10年ぶりの対局が始まった。


 ◇ ◇ ◇


―――心のどこかで、平田のことを下に見ていたのかも知れない。


 ゆっくりとした序盤だったが、理央の緩着を平田が咎めて一気に形勢は悪くなった。油断したつもりはなかったが、プロで10年やってきた自分と、しばらく囲碁から離れて最近復帰した平田。当然、自分の方が強くなっているという驕りが、心のどこかにあった。

 平田もアマチュア名人になるまでの間に、相当努力したはずだ。その努力をどこか軽く見ていた。


 どうにかしないと。少ない持ち時間を使って考える。盤面全体を見ながら、局面を打開する手を探し始める。

 手を読むのは、宝探しに似ている。何かあると思って洞窟を進んでいっても、何もなく手ぶらで帰ってくることがある。

 それでもどこかに宝があるはずと信じて、必死に手を読む。


 時計の残り時間は10分を切っている。まだ、良い手が浮かばない。ふと、盤面から顔をあげ平田の顔を見つめた。

 平田が耳の後ろを搔いている。平田が考えているときの癖だ。10年ぶりに対局するが、その癖は変わっていないようだ。


―――苦しいときは、ツケればどうにかなる。


 院生時代の平田を思い出した時、一緒に平田がよく言っていた言葉も思い出した。

 ツケか、どこかツケるところはあるかな?盤面をもう一度見て、ツケると面白くなりそうなところを探す。


 下辺の黒石にツケたとき、平田の表情一瞬曇った。応手が難しいと思ってツケたが、平田も厳しいところに来たという表情をしている。

 感情が表情にでやすい、これも10年前の平田と変わらない。


 ◇ ◇ ◇


 ツケで窮状は脱したとはいえ、追いついただけで形勢は五分五分のまま終盤戦のヨセへと移っていった。

 プロ入りしてから覚えたヨセの手筋を連発して、相手の地を削り、自分の地を増やしていく。

 結果、3目半勝ち。ヨセで稼いだはずなのに3目半ということは、やはり中盤までは少し負けていたようだ。


「やっぱり、プロは強いですね」


 碁石を碁笥にしまいながら、平田が声をかけてきた。


「平田さんも強かったですよ。初手から並べましょうか」


 微笑みながら謙遜の返事をした。平田が理央の姿に見惚れているのがわかる。初手から並べていきながら、対局を振り返り始めた。


「ここ、出切ってくる思ったんですけど・・・」

「本気で黒を取りに行くのも、怖いなと思って・・・」


 10年前もこうやって対局後、検討していたことを思い出す。なんとなく昔に戻った気がする。


 検討を終え二人一緒に対局室を出ると、香澄が待っていた。平田も香澄のことは覚えていたみたいですぐに気づいて、近づいていった。


「平田君、久しぶり」

「中村さん?久しぶり」

「アマ名人なんだって、すごいね。院生辞める時、囲碁はもうやめるって言ってなかった?」

「大学に入るまではやめてたんだけど、大学に入ってガクチカのために、もう一度囲碁始めたんだ。最近の囲碁ってAIがあってそれが面白くて、ハマっちゃった」


 二人で話が盛り上がり始めたのを見て、先に一人で帰ることにした。

 香澄からは、平田君と3人で夕ご飯食べに行かないと誘われたが、初対面のはずの理央が昔の平田を知っているボロが出そうなので、やめておくことにした。


 袂を別れて別の道を進んだ旧友が幸せそうにしているのを見て、自分もなんだか嬉しくなると同時に、もう理人のことを知っているのが香澄一人だと思うと寂しさも込み上げてきた。


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