第18話 長考

 日曜日、早速昨日買った服に着替えた。新しい服を着るとそれだけでテンションが上がる。

 着替えた後、姿見の前に立ってみるとやっぱりかわいい。でも、大人っぽい服にノーメイクは似合わない。なので、軽くだがメイクもしてみることにした。

 ベースメイクをして、リップを付けた。チークもほんのりつけて、完成。香澄がしてくれたようにはいかないが、逆にこれぐらい簡単な方が高校生らしくていいだろう。


「じゃ、行ってくるね」

「6時までに帰ってくるのよ」


 香澄に見送られて家を出た。心配してくれる気持ちはわかるが、門限6時は早すぎる。不満に思ったが、今週は手合いも控えているので遊んでばかりはいられないので、黙って従うことにした。


 ◇ ◇ ◇


「理央、かわいい。大人っぽい!」


 由香が会うなり、今日のコーデを褒めてくれた。肝心の芝田君は何も言ってこないが、こちらの方をチラチラ見ているので気にはしてくれているようだ。

 

 全員揃ったところで、カラオケ店に入った。カラオケは理人の時には行ったことはあるが、理央になってからは初めてだ。


「隣り座ってもいい?」


 芝田君が頷いたので、空いていた横の席に座った。由香が目くばせをしてきた。横に座ったがいいが、男子と何を話してよいか分からない。

 芝田君も芝田君で、何を話したらいいのか分からず、モジモジしている。


「芝田君の下の名前、虎之助ってカッコいいね」


 無言の雰囲気に耐えられず、どうでもいいことを聞いてしまった。


「そうかな?お兄ちゃんは龍之介で、厨二っぽくない?」

「それほど厨二っぽくないよ。カッコいいし、強そうだし、芝田君のイメージに合ってていいと思うよ」

 芝田君は空手をやっていて、黒帯だということを噂で聞いていた。


「ありがとう。藤沢さんって、いつも囲碁の本ばかり見ているけど、漫画とか見るの?」

「見るよ。最近見たので言えば、・・・」


 話しかけるまでは躊躇があったが、お互い好きな漫画が一緒ということが分かり、話し始めればあとはスムーズに話は続いた。


「理央も何か歌ってよ」


 由香がカラオケのリモコンを回してきた。カラオケはうまい方ではないので、正直歌いたくないが、あまり渋って場の雰囲気を壊すのも良くないので歌うことにした。


 歌い始めると、みんな「懐かしい」とか「昔よく聴いた」と言っているのが聞こえた。

 確かにこの曲がはやったのは数年前だが、高校生たちにとって数年前は昔の事なんだなと、感覚の違いを感じた。


 ◇ ◇ ◇


 手合い日の木曜日、いつものように9時過ぎに日本棋院の対局室に入り対局開始を待った。今日は、名人戦予選C突破をかけた対局で、相手は本田9段。

 本田9段といえば、「本田マジック」と言われる独特の棋風が特徴で、若いころはタイトル挑戦や名人戦リーグ入りなど一時代を築いた棋士だ。

 最近は年齢的な衰えとAIの台頭で、成績を落としてきているとはいえ、楽に勝てそうな相手ではない。


「今日はよろしくお願いします」


 対局開始5分前に、白髪交じりの本田9段が碁盤の前に座った。対局開始の合図とともにニギリで先番を決め、黒番が当たった理央が右上隅の星に打って対局が始まった。


 左上の白の小目にかかって、ツケヒキ定石になった後、白の左下星の三々に入ったところで本田9段が悩み始めた。

 悩み始めて5分が過ぎたが、本田9段はまだ腕を組んで考えている。たしかに左辺から抑えるか下辺から抑えるかどちらもあるところだが、逆に言えばどちらを選んでも大差ないような気がする。

 ここで時間を使うのはもったいないと思ってしまうが、長考派の本田9段らしいと言えばらしい。


―――考え始めて10分が過ぎた。


 まだ本田9段は考え続けている。相手の考慮時間にも理央も今後の展開を考えるようにしているが、まだ序盤で今後の展開を読むにも限界がある。


―――20分が過ぎた。


 本田9段はまだ唸り声をあげて考えている。盤面について、考えることもなくなってきた。盤面から意識が離れると、芝田君のことが思い浮かんできた。

 この前カラオケに行ったとき、芝田君から「今度は映画に行こう」と誘われた。嬉しくて即答でOKしたかったが、即答するとがっついてそうだったので、あえて返事をじらせているところだった。


 何の映画に行くんだろうか?映画館で手をつながれたらどうしよう?そんな妄想をしているときに、碁石の音が聞こえてきた。

 考慮時間28分を費やして考えた結果、本田9段は下辺の方を抑えた。当然、黒は左辺へ伸びる一手だが、明らかに集中できていない状況で着手するのも失礼と思い、ペットボトルのお茶を一口のみ、意識を盤面に戻して左辺へとノビた。

 

 ◇ ◇ ◇


 左辺での攻防で黒がポイントをあげ、若干のリードをもって中盤戦へと移っていった。

 再び本田9段が長考に入る。理央が残り時間を2時間弱残しているのに対し、本田9段は32分しかない。

 その32分をフルに使いきって、右辺へと打ち込んできた。これで、本田9段はこのあと1手1分以内に打ち続けるしかなくなった。


 右辺に打ち込まれた白石は取りに行くと上手くサバかれそうだったので、サガリで根拠をなくして、白が逃げている間に中央に黒地が付きそうなので逃がすことにした。


 続いて本田9段は、右辺の打ち込んだ石は動かずに上辺に展開した。そのあと、再び左辺へと戻り、打ち込んだ石を逃がし始めた。

 上辺の白と右辺の白が上手く連動して、白は逃げながらも地を持って生きた。右辺の黒地が減り、黒が損した形だ。


―――これが本田マジックか!


 本田9段の手に、相手ながら感動してしまった。しかし、これで序盤のリードは消え、形勢は五分にもどった。


 ◇ ◇ ◇


 最後のダメ詰めを本田9段が打ち、終局となった。そのあと、整地して白の半目勝ちとなった。

 対局に勝った嬉しさよりも、ようやく終わったという徒労感の方がいっぱいだ。時間は6時近くになっており、持ち時間3時間の碁にしては遅い終局となった。


 昼休憩が廃止され昼ご飯は対局中に軽食をとっただけなので、お腹もすいている。局後の検討を終え、7時過ぎにようやく棋院から出ることができた。

 

「ただいま」

「遅かったね。ごめんけど、先に夕ご飯食べちゃった。理央の分、今から温めるね」


 家に帰りついた理央を香澄が迎えてくれた。着替えて、早速夕ご飯を頂くことにした。


「手合い、どうだった?」

「勝ったよ。本田9段、50過ぎてるけど全然衰えてないね、強かった」


 香澄と対局のことを話しながら、夕ご飯を頂く。帰ったらご飯ができていて、誰かと話しながらご飯を食べられる。

 長い一人暮らしだった理人にはなかった生活に、幸せを感じる。

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