第14話 さざなみの玉椿6

 紫苑しおんを宥めすかして田楽でんがく一座付近の幽霊騒動の調査に向かわせた翌日の午後、頭中将は陰陽寮へ向かった。

 事実はどうあれ、河原院かわらいん事件は鬼の仕業であるとの風聞も根強い。検非違使けびいし京職きょうしきとは別に、陰陽寮は独自の調査を命じられているはずだ。河原院に関しても、えんの松原と同様――というより、同一人物による犯行であるとの説に立つ頭中将ではあるが、何か新しい情報でも掴んではいまいかと考えたためである。

 その途中、ふと思い立って、典薬寮てんやくりょうに立ち寄ってみる気になったのは、幽霊話の中の「精気のない様子の女」という文言を思い出したせいだ。

 折良く居合わせた典薬頭てんやくのかみは、下手に隠し事をして疑われるよりはと、「以前のように疑惑を掛けられる前に嫌疑を晴らしておきたいので、個人的に河原院事件を調べている」旨を明らかにした頭中将に、快く応じてくれた。

 知りたかったのは、ずばり、人を人事不省に陥らせたり、精気のない腑抜けた状態にするような薬などはあるものだろうかということだったが、典薬頭の答えて曰く、「作ったことはないが、存在はする。民間の怪しい薬師の中には、そういった丸薬を高値で売る者もあると聞く」とのことだ。山野に普通に自生している茸の中にも、口にしただけで幻覚を見てしまうようなものが幾つか発見されており、精神に働きかける作用を持つ薬の多くは、こういった物が使われているのではないかと考えられているらしい。

 「恐ろしいことですね」と相槌を打ってから、頭中将は教授の礼を述べた。脳裏にふと愛人の姿が浮かんだが、打ち消すようにしてその場を辞去する。取り敢えず、「幽霊のような女」を人為的に生み出すことが可能であることはわかった。が、これはあくまで調査のついでだ。今のところ時期以外に河原院事件との関わりはなさそうなのだから、ひとまずは置いておいても問題はなかろう。

 本来の目的であった陰陽寮は、予想通り慌ただしい様子だった。帝より直々に調査の指示が下ったというのは事実らしい。それとなく話を聞き出すのには上役でない方が都合が良さそうだと踏んで、頭中将は手近な青年に声を掛けた。この目論見は見事に当たり、振り返った陰陽得業生とくごうしょうはこちらを確認するや、愛想よく微笑む――ちなみに得業生とは、陰陽や天文の博士から技術を学ぶ者であり、現代で言うところの研修生のようなものだ。

 相手が体よく頭中将の置かれた状況に同情を見せたところで、早速本題に入らんと膝を詰める。が、そこで不意に、陰陽頭おんみょうのかみと話し込む人物の姿が視界に飛び込んできた。向こうはこちらに気付いていないようだが、整っているが故に冷酷そうな印象を与える容貌には見覚えがある。

「――あれは、橘恒泉たちばなのつねみ殿か?」

 事件とは関係のない質問にも、得業生は気負うことなく「はい」と頷いた。

「ご自宅の改築についてのご相談に見えられまして」

かみとも随分懇意な様子に見えるが」

 そうですね、と人懐っこい笑みを浮かべて続ける得業生の様子からも、中務なかつかさ少輔しょうゆう・橘恒泉の来訪は、さほどに珍しいことではないとわかる。この時代の貴族の生活は陰陽道に支配されていたといっても過言ではないが、恒泉は殊に、家計の諸事について陰陽寮に依頼を掛けてくるのだという。それ自体は何ら不思議ではないし、そもそも陰陽寮は恒泉の属する中務省の管轄でもあるのだから、他の公家に比べて気安いというのはあるかもしれない。だが。

「橘家には、播磨国はりまのくにから連れてきたという、お抱えの陰陽師が居るはずでは?」

 声を潜め、しゃくで口元を隠すようにしながら、頭中将は聞いた。そう、確か、父親が播磨の国司をしていた関係で、以前から地縁が強く、あちらの陰陽師集団とも関係が深いというのではなかったか。それゆえに自邸で専属の陰陽師を抱えているかのような口振りだったはず。河原院事件についても、陰陽家としての立場から一家言あるような話を聞いた気がするが……。

「――あんな者は、陰陽師とは言えませんよ」

 頭中将の疑問に答えたのは、別な青年だった。得業生と同年配のようだが、これがうやうやしく頭を下げて一歩後ろに下がったところを見ると、正規の陰陽師なのかもしれない。

「ご存知か?」

 改めて問うた頭中将に向かって、綺麗な挨拶を寄越したのはやはり、陰陽寮所属の陰陽師だった。それも陰陽道の大家・安倍家の門下生であり、彼自身も播磨国出身なのだという。

 頭中将への礼を通してから、安倍家の陰陽師は「ご存知も何も」と、はっきりと顔をしかめた。

 聞けば、恒泉の元に居る「お抱え陰陽師」とやらは、名を重岡余人しげおかのよひとというらしい。子供の頃ふらりと播磨へ現れ、陰陽師集団の棟梁に拾われたものの、陰陽の術はからっきし、喧嘩っ早くて手癖は悪いと、放蕩の限りを尽くした挙句、二十代半ばにして喧嘩の相手に障害が残る程の深手を負わせたことで、ついに破門の身となった、ふだ付きの悪党だという。

「その後十年近く、どこで何をしていたのかは知りませんが――一年ほど前でしょうか、大路で声を掛けられて驚きました」

 重岡の放逐時、青年はまだ少年の域を出たばかりで、年齢の差もあり、さほど親しくしていた訳ではなかったのだが、向こうはなぜかしっかりと青年の顔を覚えていたようだ。安倍家の門を出たところだったので、陰陽道、陰陽師という連想から記憶が繋がったとも取れるが、何にしてもこの再会は、青年陰陽師にとっては喜ばしいものとはならなかった。

「なぜそんな者が恒泉殿の側に?」

 何とはなし、恒泉から身を隠すようにしながら、頭中将は問いを重ねた。

 素行に問題のある者を進んで召し抱えたいと考える人間は居まい。ましてや橘家であれば、縁故や家格を頼りに、播磨の陰陽師集団から正式に専属としての陰陽師を派遣してもらうことも可能だろう。そしてそもそも、参内さんだいを許された殿上人であれば、私事であっても陰陽寮の手を借りることは許されているのだ、今の恒泉のように。

 橘家は、個人として出自の不確かな陰陽師をわざわざ雇い入れながら、一方で私的な行事に陰陽寮の官吏を駆り出すという、辻褄の合わないことを繰り返している訳だ。

 頭中将につられるように、青年陰陽師は恒泉と陰陽頭の方へ背を向けながら、「わかりません」とかぶりを振った。

「わかりませんが――どうせまともな理由ではないでしょう。人の性根は早々変わるものではない。私が陰陽寮に居ると知ると、散々悪態をついていきましたよ」

 これが先程からの、彼の嫌悪感の根拠だったのだろう。故郷で悪名を馳せたといっても、世代が違えば接点も少ない。重岡個人に対して、師や兄弟子達ほど悪感情を抱いていなかった青年はしかし、安倍家に師事し、陰陽寮で官位を得たことを伝えるやいなや、痛烈な悪口を浴びせられた。よほど播磨に良い思い出がないのか、だとしたらなぜ、ほとんど接点もなかった青年に声を掛けたのかの説明がつかない。

 ――おかしな主従だ。

 それは頭中将の中で、恒泉とそのお抱え陰陽師に対する不信感が、はっきりと形になった瞬間だった。

「不快なことを思い出させてしまったようで、申し訳ない」

 詫びた頭中将に、青年陰陽師は恐縮した様子で、「私の方こそ感情的になってしまいまして、大変申し訳ございませんでした」と頭を下げる。この遣り取りからも、青年が常識的な人間であることは充分伝わってきた。会話の途中で罵倒されるなど、彼に非があったとは到底思い難い。

 河原院事件に関して、陰陽寮では、別段新たな情報などは得られていないという。これを人為的な犯行とみている頭中将にとっては、自説が裏付けられた形だ。

 しかしそれ以上に興味深い話が聞けたと、頭中将は満足して座を辞した。


                  ●


 それから程なく、河原院にて第四の事件が発生した。

 ここへ来ると、元々幽霊屋敷として名高い建物になど、日中であっても誰も近寄らなくなっている。そのためか、付近を歩いていた女性が拉致されるという、やや強引な手法が取られたらしい。悲鳴を聞き付けた者達が京職へ届け出、屋内からは女の手足と、今回も薔薇そうびの花が一輪発見された。


 粗末な小屋の前に停車した黒塗りの牛車に、居合わせた近隣住民から驚愕の眼差しが向けられる。

 恭しく差し出された浅沓あさぐつを履いて地上に降り立った青年貴族の美しさには、溜め息混じりのどよめきが巻き起こった。

 随身ずいしん達が野次馬を押し留めるのを尻目に、頭中将は水干すいかん姿の紫苑に先導されながら、小屋の入口へ向かう。跳ね上げた扉代わりの布の向こうでは、一座の裏方と思しき男女数人が小さく悲鳴を上げた。あまりにも堂々とした侵入ぶりに、咄嗟にどう反応したものか、判断がつかないと見える。

 頭中将がこのような強硬手段に打って出たのは、京職から内々に、「犯行時刻に河原院付近で頭中将の姿を見た」との通報があったと連絡を受けたためだ。現場に唐突に薔薇の花が残され始めてからのことでもあり、やはり関係者の間でも信憑性が疑われたらしい。

 良識ある者の存在をありがたく思う一方で、頭中将の表情は陰鬱に沈んでいる。

 そこへ、「いったい何の騒ぎだ」と喚きながら、一人の壮年が割って入った。周囲の者達がホッとした様子で「お頭」と呼ぶからには、これが田楽一座の座長なのだろう。中肉中背で、これといった特徴のない人物だが、どことなく愛嬌があるのは、遊芸人ゆげいにんたる所以ゆえんだろうか。

「――こっちです」

 一座の動揺には構わず、紫苑は頭中将を左手方向へ導いた。小屋の中は板と天幕で仕切られており、座員達の住居になっているようだ。随身が座長を取り押さえるのを確認してから、頭中将は幼くも有能な家礼けらいの背を追い掛ける。

 田楽一座に張り込ませた紫苑の情報から、頭中将は宴の松原から続く一連の事件に関して、あらかたの事情は呑み込めたものと考えている。しかしそれは、自身にとって受け入れ難いことでもあった。怒りと悲しみがせめぎ合い、胸の内から感情が零れ落ちてしまいそうだ。

 他のものより一際鮮やかな布地の垂れ下がる一室の前で、紫苑は足を止めた。頭中将の到着を待って、ばさりと跳ね上げる。

 その途端、頭中将は麝香じゃこうに気付いた。市井の旅の一座の小屋で嗅ぐには高級すぎる香りはやはり、麝香を纏う支援者の存在を窺わせる。

 踏み込むと、椿つばきは畳の上で、悠然と頭中将を迎えた。騒ぎには気付いているだろうに、全く動じる様子がないのはさすがと言える。

 ここで頭中将は、背後に控えた紫苑に指示を出した。素直に「はい」と頷いて駆け出すのを見送り、改めて室内を見回す。造りは簡素であるのに、設えられた調度品はどれも豪華で、ちぐはぐな印象を与えるのは否めない。しかしそこに美しい椿が鎮座することで、調和が保たれているような気がしてくるのが不思議だ。

 頭中将はゆっくりと椿に近付き、目線を合わせるように片膝を着いた。

「――私に近付くよう指示を受けたか」

「ええ」

 真っ直ぐにこちらを見返しながら、椿は答えた。以前のように、恥じらいながら瞳を伏せるような真似はしない。わかっていても、胸の奥がチクリと痛む。

 田楽一座にまつわる幽霊騒ぎを追っていた紫苑は、第四の事件の起こった夜、まるで幽霊のようにフラフラとした、前後不覚の女性が一人、小屋の中に連れ込まれるのを目撃した。闇に溶け込むかのような黒い衣装を纏った狼藉者の姿ははっきりと見えなかったが、急に暴れ出した女性が布に浸した薬のようなものを嗅がされるところまでは確認できたという。相手が化け物の類いでないとわかったことで、本来の聡明さを取り戻した紫苑は、椿や一座の信奉者を装って、かねて面識のあった笛吹きの娘に近付いた。一座の人員や住居代わりの小屋の間取り、果ては椿の長年の愛人の存在等、紫苑の誘導があったとはいえ、娘は逆に心配になるくらいあっさりと、一座の内情を明かしてくれたらしい。紫苑はそこから屋内のおおよその位置を割り出し、本日の先導役となった次第だ。

 報告の際、頭中将が椿に近付くのを、あれほど嫌がっていたはずの紫苑の、沈痛な面持ちが思い返される。

 近付いたと信じた心、可愛らしい仕草の、すべてが偽りであったとは。

「河原院近くで私の姿を見掛けたとの密告も、その者の指示か」

 胸の痛みを押し隠しながら、頭中将は静かに問いを重ねた。京職からの報告によると、通報者は男に伴われた美しい女であったという。

 更なる苦痛を覚悟していた頭中将に、椿は「いいえ」と首を横に振る。

「いいえ、それは違う。あの人を庇ってる訳じゃなくて、今回の証言は私が勝手にやったことよ。どう考えても胡散臭いでしょ?」

 愛人の指示での偽証は否定したものの、密告者が自分であることは潔く認めた。意図を測りかね、どういうことだと首を傾げた頭中将に対し、椿は何でもないことのように軽やかに言い放つ。

「貴方への嫌疑がきれいさっぱり晴れるとまではいかなくても、真犯人が頭中将をめようとしてるってことは、世間に印象付けられるじゃない?」

 確かにそれは事実だった。第三の事件から急に現場に薔薇の花が残されるようになったことに追い討ちをかけるように、頭中将の目撃証言が上がる。これに不審を感じた京職からは、逆に頭中将に注意を促す警告をくれた。それが椿の狙いならば見事に的を射たことになるが、愛人に加担するために頭中将に近付いたという大前提が崩れ去る。それではまるで、頭中将の窮地を救おうとしているかのようではないか。

 事ここに及んで、まだ甘い夢が見られるほど世慣れていない訳ではないつもりの頭中将は、それだけに混乱した。

「見付けました!」

 静寂を破ったのは紫苑だ。やや息を乱し、薄い板壁を倒さんばかりに、室内に駆け込んでくる。「五人とも無事……」と言い掛けて口を噤んだのは、被害者達の使われた薬の成分もわからないのに、安易に心配無用と断定すべきでないことに気付いたからだろう。賢い紫苑らしい配慮だ。喜びに輝いていた表情を引き締め、姿勢を正して言い直す。

「無事、かどうかはわかりませんが、今皆さんが保護してくださってます!」

 頭中将が紫苑に命じたのは、軟禁されている可能性の高い被害者達を見付け出し、保護することだった。探り当てた部屋まで随身達を案内し、自分は取り急ぎ主への報告のために戻って来たのだろう。

 では、河原院から拉致され、身体の一部を残して鬼に食い殺されたことになっている女性達は、ひとまず全員身柄を確保できたということだ。薬を使われ、人事不省に陥っているだろうが、少なくとも命までは奪われていない。

 河原院事件は図らずも頭中将の予想通り、典薬頭の教授と同様の様相を呈してきた。

 主従それぞれの発言から、外で何が起きているのかを正確に察しているのであろう椿は、紫苑に向かってにこりと微笑み掛ける。

「あんた、随分優秀なのねぇ。唯一の欠点は、その可愛い顔立ちは人の記憶に残りやすいということかしら」

 主人を差し置いての賛辞は、掛け値のない真実のように思われる。それはそうだろう、疑われずに関係者から話を聞き出すことまでは出来ても、それらを総合して、椿の私室や被害者達の軟禁された場所までをおおよそ割り出して見せたのは、頭中将からしても法外の働きだ。何を褒美として与えればよいのかと悩むほど、紫苑の貢献は大きい。

 しかし同時に、椿の発言からは、紫苑の失態も透けて見える。情報入手のために近付いた笛吹きの娘は、おそらく可愛らしい紫苑に気があったのだ。紫苑が心配になるほど詳しく話を聞かせてくれたのは、少しでも彼と仲良くなりたい一心で。そしてその淡い想いに浮かされるまま、人生の先達せんだつつ共通の知人でもある椿に、事細かに遣り取りを報告していたのかもしれない。

 聡い紫苑は椿の言わんとすることを察したらしく、ほんのりと頬を染めた。この反応を見るに、本人には色仕掛けの意図はまったくなかったのだろう――想像は付くが、それはそれで末恐ろしいものだ。

「よくやった」

 紫苑の働きと愛らしさのお陰か、幾分気が紛れたような気がする。薄く微笑んで労った頭中将に、紫苑もまた気遣うような笑みを返した。

 そこで、空気も読まずにけたたましい音を立てて、またしても割り込んできたのは、一座の座長だ。背後から随身が慌てた様子で追い縋るのを見るに、闇雲に暴れでもして拘束を振り解いたものらしい。

「椿、お前……!」

 舞女まいひめに向かって、掴みかからんばかりに伸ばした腕は、随身によって阻まれる。咄嗟に庇うように前に出たのは、頭中将と紫苑、二人同時だった。

「もう無理よ。この方はあの人よりも帝の信認が厚い。宮中での立場も上なんだから、隠し通せるはずない」

 椿は残酷なほど冷静だった。かしらはがくりとうなだれる。

 田楽一座の小屋は、拉致した女性達の幽閉場所だった。頭は椿の男から謝礼でも受け取って、薬漬けの被害者達を預かっていたのだろう。当然この薬を精製したのは、薬草に詳しい椿だ。

 そして椿の愛人が河原院事件の首謀者であるなら、それはそのまま、宴の松原から続く一連の怪事件の真犯人ということにもなる。椿は、頭中将を陥れんと企む男の、共犯者だったのだ。

 今、舞女の艶やかな美貌には、諦観の念が滲んでいるようにも見える。愛しい男の為にその白魚のような手を汚し、愛しい男の言うがまま、他の男に身を差し出した女。騙されかけたとわかっていても、どうしようもなく憐れさが募る。

「椿……」

 呼び掛けには応えず、しかし椿は何かを吹っ切るような笑顔を見せた。

「あの人にとって私はただの手駒だけど、貴方はとても親切だし、優しかったから」

 それが頭中将を救わんとした理由だとでも言うのだろうか。だとすれば、椿と頭中将、どちらにとっても、これほど哀しいことはない。

「私が言えた義理ではないけど……あの人を止めてあげて。もうこれ以上、惨めな真似はして欲しくないの」

 まるで小さな子供のことを語るかのように、椿は小さくかぶりを振った。どうしようもない男だとわかっていても、放ってはおけないのだろう――愛情のゆえに。

 静かに恋の終わりを受け入れた頭中将に向かって、椿は悪戯っぽく肩を竦めてみせる。

「今頃慌ててるわ。賢い人だけど、貴方ほどではないし、きっとボロを出しやすくなってる――追及するなら今よ」



 随身の一人に京職を呼びに行かせ、一座の者が逃亡を図らぬよう残りの者達に監視を命じたところで、紫苑が近寄ってきた。

「薔薇の君、これからどうされますか?」

 己の愛人を使って被害女性達を幽閉していた一座が摘発されたとなれば、真犯人が証拠隠滅等の手段に出る可能性がある。これを防ぐためにも即時の追及が肝要であると頭中将も考えてはいるが、相手もまたそれなりの身分の者だ。訳も分からず罪を着せられかけた怒りがあるとはいえ、椿の願いもあることだし、ここは事を荒立てぬ方向で行くのが得策だろう。

 主の葛藤を理解した上で聞いてきたのに違いない、利口な家礼に一つ頷いて、頭中将は宣言した。

「三条へ向かう」

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