第4話 気分は風評被害

 2019年の5月初旬、僕と中学校で同級生だったということを打ち明けてくれた場所が大学近くのカラオケボックスであったことからも分かるように、壬生川さんはカラオケが大好きな女の子である。


 彼女は中学校卒業までは僕と同じく愛媛県松山市に住んでいたのだがジャッカルやメガソニック、カラオケ屋敷、カラオケまねきべこといった全国的なカラオケボックスのチェーン店は首都圏と近畿圏、東海圏以外にはあまり店舗を設けていない。


 四国の場合、愛媛県なら松山市と今治市、香川県なら高松市といった県庁所在地とそれに準ずる自治体には1つのチェーンで2つや3つの店舗が置かれている場合もあるが、それ以外の自治体にはカラオケチェーン店はほとんど存在しない。


 県庁所在地に住んでいても自家用車で移動しないとカラオケボックスに気軽に行けないということも当たり前であり、僕も壬生川さんも愛媛県に住んでいた頃はほとんどカラオケに行ったことがなかった。



 僕は二浪を経ての大学進学で大阪府皆月市に下宿するようになったがそれからは友達に誘われてカラオケに行くことが増え、自分自身カラオケはそこそこ好きな趣味の一つになっていた。


 壬生川さんは中学卒業後に一家で大阪府枚方市に引っ越し、京都府京都市にある立志社女子高校に進学してからやはり友達の影響でカラオケにのめり込むようになったらしい。


 僕は浪人生活中も引き続き松山市の実家で過ごしていたが同じく二浪した壬生川さんは春台しゅんだい予備校の京都校に通いつつこっそりカラオケボックスにも通っていたらしく、カラオケ好きの度合いで言えば当時から僕を凌駕りょうがしていたようだった。



 そして僕と壬生川さんが在籍しているところの畿内医科大学は阪急皆月市駅から直結という非常に立地の良い医大であり、阪急皆月市駅の周辺にはカラオケボックスのチェーン店がいくつも存在する。


 僕と壬生川さんを含めて畿内医大の学生に最も人気が高いのは「ジャッカル」で、ここは価格の安さとシステムの便利さが魅力だ。


 スマートフォンから簡単に来店予約ができてQRコードで会員証を提示でき、来店で貯まったポイントでクーポンを購入できて予約キャンセルもボタン一つでできるという便利すぎるアプリの存在に加え、学生かつ会員であれば30分間の料金が税抜85円という驚きの低価格を誇る。


 ひたすら通い詰めれば会員ランクが上昇して精算金額50%オフや1名ルーム料金無料といった大幅割引のクーポンを取得できるようになるといった特典もあって、ジャッカルを好んでいるカラオケユーザーは他のチェーン店をほとんど利用しないことも珍しくなかった。


 ジャッカルは皆月市駅前に皆月1号店から3号店まで3つの店舗があり、コロナ禍の影響で最も古かった1号店は閉店して他のチェーン店(後述するメガソニック)に変わってしまったがそれでも高校生や大学生に最も支持されているチェーン店という地位は揺るがなかった。



 その他には二大カラオケ機種の一つ「ライジングD」を製造・販売しているメーカーの直営店である「メガソニック」、カラオケに加えてビリヤードやダーツなどの設備がある「ファンファン」の店舗がそれぞれ2つずつあり、阪急皆月市駅前にはカラオケボックスだけで合計6店舗ものカラオケ店があるのだった。


 畿内医大の学生には授業の合間や放課後にカラオケボックスに立ち寄って歌う人も多く、壬生川さんのようなヘビーユーザーこそ少ないがカラオケボックスを利用したことがない学生はほとんどいなかった。


 そこまで歌唱力に自信がなくとも安い料金で時間を潰せるという点に魅力を感じる大学生も少なくないので、畿内医大の学生と大学近くのカラオケボックスはお互い持ちつ持たれつの友好関係を築いていた。



 そう、コロナ禍が始まるまでは。




『聞いてよ塔也、うちの両親がカラオケ再開されても行っちゃ駄目って言うの!!』

「やっぱりそんな感じかー……」


 時は少し戻って2020年の5月中旬、先述した事情で松山市の実家に滞在していた僕は夕方に壬生川さんとDoomドゥームミーティングで話していた。


 この頃は4月上旬に発出されて同月中旬には全国に拡大された緊急事態宣言が首都圏や近畿圏を除いて解除されていて、近畿圏(大阪府・兵庫県・京都府)ももうすぐ解除されるとニュースで報じられていた。


 ジャッカルやメガソニックといったカラオケボックスのチェーン店は緊急事態宣言の発出に伴っていずれも全店を休業にしていたが、近畿圏の緊急事態宣言が解除されれば壬生川さんも再びカラオケに行けるかもと前に話していたのだった。



『カラオケボックスは換気がちゃんとしてるしヒトカラしかしないから大丈夫だって言ったんだけど、医学生の体面を考えなさいって言われて。理屈は分かるけどこのままじゃあたし死んじゃいそう』

「いやまあ死にはしないし気持ちも分かるけど、今は流石にね……」


 壬生川さんは大阪府内か京都府内のジャッカルが再開されたらすぐにでもヒトカラに行くつもりだったのだが、ご両親は医学生である娘がこのご時世にカラオケボックスに行くことを制止したらしい。


 カラオケに1か月以上も行けていない壬生川さんはパソコン画面の向こうで涙目になっていたが、ご両親の反対を押し切ってカラオケに行くべきだと言える状況でもなかった。



 カラオケボックスは法令(建築基準法)の関係上個室内の換気がしっかりしていて、当時の僕らは知るよしもないが日本国内での新型コロナウイルスの感染拡大が始まってから2年近くが経つ2021年後半になってもカラオケボックスでの集団感染クラスター発生は全国で数件しか報告されなかった。ちなみに利用を一人カラオケに限定した訳でもなくこの発生数である。


 一方で「カラオケ喫茶」「カラオケバー」といった個室型でないカラオケ店ではコロナ禍の初期からクラスターが続発しており、この事実は換気設備が感染症の予防にいかに大切かということを如実に示している。


 新聞やテレビの報道ではカラオケ喫茶やカラオケバーでのクラスター続発が「カラオケ店でクラスター多発」と一括りに報道されてしまいクラスターがほぼ全く発生していなかった全国のカラオケボックスは多大なる風評被害を受けたが、これに関してマスメディアからカラオケボックス業界に謝罪や賠償が行われることはなかったのだった。

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