第4話 下宿を始めるタイミング

 2020年7月のある日曜日、私は自宅のリビングで両親と大事な話をしていた。



「……という訳で下宿したいんだけど、お金の余裕ってある? ワンルームなら家賃は月7万円で済むと思う」

「お金は心配ないよ。家賃は月8万までは出せるしその他の生活費も何とかなる。剖良は研究医養成コース生だから学費も安いしな」


 兵庫県神戸市内で呼吸器内科のクリニックを開業している父は腕を組んだままそう答えた。


「剖良が変なことをせずに神山しんざん大に行ってくれてたら家賃月15万だって出せたんだけどな。まあそれは今言っても仕方ないか」

「ごめんなさい……」


 詳しい話は省略するけど、私は一浪で医学部受験に臨んだ時にヤミ子と同じ大学に行きたいというだけの理由で第一志望だった神山大学医学部医学科にわざと不合格になった。


 神山大学の医学部医学科は実家のある兵庫県唯一の国公立医大だし、私はセンター試験で総合得点率94%だったので予備校の先生からはまず合格できるだろうと太鼓判を押されていた。


 この大学の医学部医学科には現役の時から模試でC判定は出ていたので、両親は今年こそ一人娘が地元の国立大学に合格するだろうと期待に胸をおどらせていた。


 その上で私は神山大学の二次試験で白紙答案を提出するという暴挙に出たのだけど、その当時は運が悪かったということにして両親には事実を隠し、無事に一般入試で畿内医科大学の医学部医学科に入学できた。


 神山大学医学部医学科の学費は6年間で350万円程度、畿内医科大学医学部医学科の学費は入学後に転入した研究医養成コースでも6年間で約1500万円なので両親には1000万円以上も余分に払って貰ったことになる。



 受かるはずだった第一志望校に落ちて嘆き悲しんでいるふりをしていた私を両親は一切責めなかったけど、実はわざと不合格になっていたと発覚した時は流石にものすごく怒られた。


 それはコロナ禍が始まって間もない2020年4月のことで、兵庫県内に緊急事態宣言が出ているのにヤミ子の実家に遊びに行こうとした私に両親はこんな時期に会わないといけない女友達とは一体何なのかと問い詰めた。


 いつかは言わなければならないことだしヤミ子との関係をずっと隠しておくのも私自身辛かったので、私は自分が同級生の山井理子と交際していて既に身体の関係もあるということを正直に話した。



 父は私のカミングアウトに驚愕してそれから1週間ほど抑うつ状態に陥っていたけど、母は私がレズビアンであるということに以前から気づいていた。


 その上に母はヤミ子と面識があったのであの子とならいいでしょうと交際を認めてくれて、父も若い頃から革新系の政党を支持するなどリベラルな価値観の持ち主ではあるのでしばらくすると一人娘がレズビアンだったという事実を受け入れてくれた。


 とはいえヤミ子と同じ大学に行きたいから神山大学にわざと落ちたとまで話してしまったのはやりすぎだったらしく、その時はリビングで正座させられて両親から1時間ほどお説教されたのだった。



 それはそれとして私はその時、両親に4回生の途中から下宿を始めたいと申し出ていた。


「剖良は研究医生ですし、来年からは病院実習もあるから下宿を始めるにはいいタイミングなんじゃないかしら。だけど、かわいい女の子が街中で一人暮らしだなんてやっぱり心配よねえ」

「それはその通り。しかも女の子が住むのにワンルームはどうだろうな。もうちょっといい物件を探したいが家賃10万円以上は少々きついぞ」


 私の母は父のクリニックで開業当初から副院長かつ常勤の呼吸器内科医として働いていて、自らも医学生の頃は下宿していた。


 その母が口にした通り、私が下宿したいと申し出た一番の理由は学生研究の都合だった。


 私は大学に入学してから現在まで神戸市内の実家からの通学を続けているけど、電車で片道1時間かかる通学の手間はそろそろきつくなっていた。


 放課後の学生研究や弓道部の練習のため帰宅は遅くなりがちで、コロナ禍の前から下宿したいとは思っていた。


 その上にコロナ禍が始まってからは緊急事態宣言の発出もあって大学に行くこともできなくなり、Doomドゥームでのオンライン授業が中心となっている現在も研究室にはほとんど出入りできていなかった。


 コロナ禍が終息する見込みがない現在では大学の近くに下宿しなければ以前のように学生研究を行うことは難しく、母が言う通り来年1月からは病院実習も始まるので下宿を始めるには今がちょうどいい時期だった。



 それからしばらく両親と話し合った結果、父と母はそれぞれ下宿をリサーチして女子大生が一人暮らしをしても問題なさそうな物件を見つけてきてくれることになった。


 ワンルームマンションではなく家賃が10万円を切る物件は阪急皆月市駅直結である大学の近くにはあまりなさそうだけど、お金を出して貰う立場なので私は両親の意向に従う他なかった。

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