281 最終話 気分は基礎医学

 そして待ちに待ったDoom飲み会の当日、僕は母にあらかじめ事情を伝えて夕食を早めに済ませると20時の少し前にはチューハイやスナック菓子を自室に持ち込んでいた。


 開始時刻の3分前にマレー先輩から送られてきたDoomミーティングのURLをクリックすると、そこにはいつもの面々が揃っていた。



『いらっしゃーい。もうファンちゃん以外全員来てるよ』

『……お疲れ様。塔也君、最近は元気してた?』


 室内だがちゃんとした外出着を着ているヤミ子先輩と剖良先輩が真っ先に僕に声をかけた。



『おっ、白神君。しばらく見ない内に元気になったんじゃないか?』

『マレー君は美波さんの出産が心配でやつれてきてるよね。白神君、ボクも相変わらず元気でやってるよ』


 いつものラフすぎる黒シャツ姿のマレー先輩とお洒落な服を着たヤッ君先輩も笑顔を見せる。



『白神君、壬生川さんもうすぐ入室するみたいやからもうちょっと待ったってな。うちも久々に皆の顔見れて嬉しいわ』

「ありがとう。先輩方もカナやんもお元気そうで何よりです。僕も実家でのんびりしてます」


 どう見てもパジャマ姿のカナやんの言葉に頭を下げて答えると誰かがミーティングに入室してきた。



『遅れてごめんなさい。塔也、あんた最近ろくにメッセージも送ってくれないじゃない!』


 壬生川さんは入室が遅くなったことを皆に謝り、そしてすぐさま僕への不満を口にした。


 彼女はどうやらDoom飲み会に備えてハレの日モードの衣装とメイクを準備してきたらしく、そこまで気合を入れなくてもと若干引いた。



「あ、ごめん。1週間に1回は送ってるつもりなんだけど……」

『あのねえ、メッセージって言っても最近どう? とかまたデートしたいね、とか一行だけじゃ会話にならないでしょうが! 私、寂しかったんだから……』

『あっちゃー、白神君デリカシーないなー。女の子を寂しがらせちゃ駄目だぞっ』

「何というか、ごめんなさい……」


 壬生川さんには人前で罵られヤミ子先輩には笑いながら叱られ、僕は恐縮しつつお詫びの言葉を述べた。



『まあまあ痴話喧嘩は程々にして、そろそろDoom飲み会を始めようじゃないか。とりあえず乾杯!』

『乾杯!!!』

「乾杯!」


 マレー先輩の乾杯の合図で画面の向こうの研究医生たちは缶ビールやチューハイを掲げ、そのまま美味しそうに飲んだ。


 僕もレモン味のチューハイを少しずつ飲み、今日の飲み会は盛り上がりそうだと感じた。



『いやー、オンラインでも飲み会は楽しいな。近況報告も兼ねてそれぞれ最近の生活を教えて貰ってもいいか?』

『いいと思う。若い人からでどう?』


 マレー先輩の提案に剖良先輩が順番のアイディアを伝え、マレー先輩はそうしようと言って頷いた。



『じゃあ生島君からお願いしよう。どうぞ』

『何人かにはもう言うてんけど、うちの従弟の珠樹、無事に立志社大学の経営学部に受かりました。4月からいきなりオンライン授業で大変みたいやけど、実家から通うから下宿生ほどは困らへんみたい』

「へえー、珠樹君良かったね。絶対受かるとは思ってたけど」


 カナやんの従弟の生島珠樹君は11月まで医学部志望で猛勉強していた所を家庭の事情もあって文系志望に切り替えており、西日本を代表する名門私立大学の立志社大学と言えど問題なく現役で受かったらしい。


 理系と文系での受験科目の違いは入試方式を国語・数学・英語の3教科選択にすることで解決できたらしく、国語の記述問題の対策以外はほとんど苦労せずに済んだと聞いていた。



『珠樹が真面目に勉強するようになったんは白神君の受験アドバイスのおかげやし、白神君が助けてくれんかったら珠樹は現役で大学行けてなかったかも知れへんぐらい。今更やけど本当にありがとな』

「いやいや、僕は大したことしてないよ。やっぱりカナやんの愛の力が一番大きかったんじゃない?」

『そういえばカナちゃんって珠樹君とのお付き合いはどうなの? ちゃんと仲良くやれてる?』


 親友としてカナやんの恋路は気になっていたのか、壬生川さんは興味津々といった様子で尋ねた。



『うん、珠樹と付きうてるんは大学受験が終わってから親戚一同にはっきり伝えて、うちの両親も珠樹のお母さんも驚いとったけど認めてくれるみたいやで。大学卒業したらすぐ結婚してええってうてくれた』

『それはすごい! 生島君、ここにいる女性陣では最年少で結婚できるかも知れないな』

『あーっ、マレー君それセクハラ発言だよ? お父さんに似てきたのかなあ?』

『おっと申し訳ない。まあ何にしてもおめでたい!』


 ヤミ子先輩に叱られつつもマレー先輩は心からカナやんを祝福していて、拍手し始めた先輩につられて僕らも画面の向こうに拍手を送った。


 カナやんは照れながら笑顔で頷いていて、僕も彼女には珠樹君とずっと幸せに生きていって欲しいと思った。



『では年齢順ということで次はヤッ君に聞いてみよう。例の彼氏との関係はどうなんだ?』

『ちゃんと上手くやれてるよ。お互いの親はボクたちの関係を認めてくれて、お互い卒業したらボクとコウ君も同性パートナーシップ協定を結ぼうかと思ってる。その方がコウ君の政治戦略にも効果的なんだって』


 ヤッ君先輩は政治家志望の医学生である呉公祐さんと将来を約束し、今後は未来のファーストジェントルマンとして彼を支えていくと決意したらしい。



『政治家としてどうこうっていうのは置いといて、今の時代にちゃんと同性パートナーになってくれる人で良かったですね。事実婚でいいって考える人よりもずっと誠実だと思います』

『ありがとう。コウ君は日本を同性婚が認められる社会にしたいと思ってるから、それもあってボクとはできるだけ早くパートナーになりたいみたい。ボクもそう言って貰えて本当に嬉しかった』


 壬生川さんのコメントにヤッ君先輩は笑顔で答えた。


 現時点では同性パートナーシップ協定による社会的利益は通常の男女の婚姻による社会的利益と完全に同等にはなっていないが、いずれ同性婚が公に認められればそのような心配もなくなると思われた。



『心が温かくなった所で、次は白神君と壬生川君に聞いてみよう。離れ離れの熱々カップルは今どんな感じかな?』

『そんな、熱々カップルだなんて恥ずかしいですよ。私はさっき言った通りで、もっと塔也に連絡して欲しいと思ってます!』

「は、ははは……僕も実際壬生川さんと会えなくて寂しいので、今度からもっと連絡しようと思います。2人でDoom会議とかやっても楽しそうですし」

『まあそうやってお互い連絡を取りたいと思えてるなら将来も安泰だな。若いっていいなあと思うよ』

『マレー君、おじさんみたい……』


 もうすぐ子持ちになるといってもまだ24歳のマレー先輩に剖良先輩は率直なコメントをした。


 壬生川さんへの連絡が不足していたのは本当に反省すべき点なので、また2人で顔を合わせてDoomミーティングをしたいと思った。



『それじゃあ次はヤミ子君と剖良君だ。君たちが付き合い始めたと聞いた時は俺自身仰天したが、あれからまさか破局とかしてないよな?』

『そんな訳ない。私、ヤミ子のこと一生離さないから』

『私はもうさっちゃんしかこの世で好きになれる人いないって思って決めたから、破局したら人生おしまいって感じかな。オーバーな言い方になったけど、元々夫婦みたいな関係だったから正直あんまり変わった気はしないでーす』

『先輩方、そこまで言い切れるんってほんまにかっこええと思います。うちも陰ながら応援してます』


 カナやんは剖良先輩がレズビアンであるということもつい最近まで知らなかったらしいが、仲の良い女性の先輩同士が付き合っていても嫌悪感を覚えたりはしないようで安心した。


 アセクシャルという概念は難しいのでヤミ子先輩は壬生川さんとカナやんには自分は実はレズビアンだったということにしており、正確な説明でなくとも彼女らを混乱させるよりはいいだろうと思われた。



『最後に俺の番かな。相変わらず美波とは仲睦まじくやれてるけど、新型コロナの流行で美波は若干ナーバスになってて落ち着かせるので毎日大変だ。美波は出産に備えて来年度は休学するから、できるだけそばにいて支えてやりたいと思う』

「マレー先輩のお子さん、どんな子が生まれるか楽しみですね。名前とかもう決めました?」

『ああ、男女どちらでもいいように両方決めてある。験担げんかつぎのために名前の発表は生まれてからにさせて貰うよ』

『どうなるのかなー。とりあえず顔は美波さんに似たらいいね』

『ヤミ子君、それは流石に傷つくぞ……』


 例によってひどいコメントではあるが僕も確かにその方がありがたいように思われた。




『白神君。2019年度は俺たち6人が君を指導してきたけど君は皆の個人的なことをいつも助けてくれて、そのおかげで俺たちは今ここで飲み会をやれている。去年の今頃はこの7人の中で2組もカップルが誕生して全員が好きな人と結ばれるとは思わなかったよ』

「確かに、本当に怒涛の1年間でしたよね。大変でしたけど楽しかったです」


 2019年3月から2020年2月に至るまで、僕は丸一年をここにいる6人の研究医生たちと共に過ごした。


 この1年間は僕の人生で絶対に忘れられない思い出になり、いつかその日々のことを懐かしく思い出すのだろう。




『じゃあ白神大明神だいみょうじんの幸せを祈って、また乾杯っ!』

『乾杯!!!』

「か、乾杯……」


 上機嫌なヤミ子先輩はマレー先輩に代わって乾杯の合図を取り、6人は画面の向こうから僕を見つめてグラスを掲げた。


 いきなり大明神とまで呼ばれたのには驚いたが、悪い気は全くしなかった。




 その日のDoom飲み会は23時頃まで続き、そろそろ眠いということで7人は終わりの挨拶をしてミーティングを終えた。


 3時間の飲み会で流石に疲れがたまり、僕は自室のベッドに寝転んだ。




 目の前に6人の研究医生たちの顔と彼らとの思い出が浮かび上がり、僕は何とも言えない多幸感に包まれた。


 しかし僕の物語はまだ始まったばかりで、今日という日は新たな物語の序章に過ぎない。




 これから留年せずに大学を卒業できるかも学生研究が上手くいくかも壬生川さんと恋人として付き合っていけるかも、すべては僕の頑張り次第で決まる。



 その中で、一つだけ必ず貫いていきたいことは。





 いつまでも、



 気分は、基礎医学!!!




 (完)

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