251 大事な仲間

 2020年1月8日、水曜日。時刻は昼12時40分頃。


 場所は大阪府枚方市、京阪けいはん医科大学の本部キャンパス。


 柔道部の友人たちとの昼食を終えたくれ公祐こうすけは、学生用ロッカールームに併設された流し台で歯を磨くと医学部医学科3回生の講義室に戻った。


 卒後は前期・後期の臨床研修を終え次第実家の財力を背景に自由民生党から衆議院議員への出馬を目指している彼にとって健康の維持は至上命題であり、幼い頃から虫歯がないのは自慢の一つだった。



「あの、呉君、またこんなのが……」

「ん、何だ?」


 いつものように自分の座席に戻った公祐に後方から何かの紙を持った女子医学生が声をかけてきた。


 彼女が手に持っていたA4サイズの紙を受け取って目を通すと、それは見覚えのある中傷ビラだった。




>京阪医科大学医学部3回生の呉公祐は同性愛者の在日韓国人!!


>奴はパチンコ会社「ホフマン」の財力で医学部に裏口入学し、医師免許を不正に取得しようとしている!!




 真っ白な背景に黒字で2行が印刷されたその中傷ビラは昨年の終わり頃にも学内で2回ほどばらまかれており、監視カメラの届かない位置に裏向きにしたチラシを重ねて放置するというやり口だった。


 教務課に通報すると「悪質な中傷ビラの目撃について」という題名の周知文により犯人への警告が発せられたが、犯人を特定できていた訳ではないので事件はまた繰り返されたらしい。



「言っとくけど私、こんなの信じてないからね。でもそろそろ警察に相談した方が……」

「お気遣いありがとう。ちゃんと対応するからこれ以上は気にしなくていいよ」


 椅子に座ったまま頭を下げて答えると女子医学生は恐縮しながら自分の席に戻った。


 公祐は自分が韓国系日本人であることと「ホフマン」社長の次男であることは周囲にオープンにしていたが同性愛者であることはまだ打ち明けておらず、日本国籍しか持っていない公祐に対する「在日韓国人」という表現と彼が裏口入学をしたという主張は事実無根だった。


 2回までは見逃したが、今回は仏の顔も三度までということに加えてもう一つ気がかりな点があった。


 今週月曜日の夜に畿内医大の医学部3回生にして恋人であるところの薬師寺龍之介から電話があり、彼は公祐との交際のことで父親と喧嘩になったと話していた。


 その翌日から公祐は家出してきた龍之介を自宅に泊めており、龍之介は公祐の家族からも歓迎されていた。



 公祐の祖父母と両親はパチンコ会社という仕事柄もあって価値観は非常にリベラルであり、公祐が高校生の頃に自分はゲイであると父親に初めて打ち明けた時にも父親は彼を全く責めなかった。


 将来政治家になるお前にとって性的マイノリティであることは十分な強みになるとまで励まされ、それから公祐はゲイである自分に嫌悪感を抱くことが一切なくなった。


 とはいえ公祐の家族のような価値観を持つ人々は今の日本では珍しく、龍之介が父親と衝突したのも結局はそれが原因と思われた。


 龍之介の父親は公祐のプロフィールを興信所を使ってまで調べ上げていたらしく、ばらまかれた時期も考慮すると中傷ビラの首謀者はおそらく龍之介の父親だろう。


 それでも証拠なしに動くことはできないと考え、公祐は放課後に柔道部の同級生数名をキャンパスの裏に呼び出した。




「よう呉、今日も何か用事か?」

「そういうこった。……お前ら、これはもう見たよな」


 集まった質実剛健な柔道部の友人たちに公祐は女子医学生から渡された中傷ビラを見せた。



「もちろん見た。全く、お前が誰の恨みを買ったんだろうな」

「ああ、それを突き止めたい。金に糸目は付けないから、何とか犯人を探してくれないか。足りなければもっと出す」


 公祐はそう言うと4名の友人それぞれに5枚の1万円札を手渡し、友人たちはそれを黙って受け取った。


 そしてその中の1人が口を開き、



「あのな、俺たちは呉がいつもすぐに金を振りかざして物事を解決しようとするのは好きじゃない。だけど、こういう重大な仕事を頼む時に友人のよしみとか言い出す人間よりはよっぽどまともだと思う。だからこうさせてくれ」


 静かにそう告げると1万円札のうち4枚を公祐に返した。


 他の部員も同様にし、公祐は頷いて返却された金を受け取った。



「……ありがとう。オレ、柔道部やってて良かったと思う」

「お前のルーツが韓国だろうがパチンコ屋の息子だろうが、もし本当にゲイだったって俺らにとってお前は大事な仲間なんだよ。報酬はちゃんと貰うから何だって頼んでくれ」


 友人たちは公祐に励ましの言葉を投げかけると犯人を捕まえる方法について話し合い、翌日から早速動き始めると宣言した。


 これまで3年間の柔道部生活で得られた仲間たちに感謝しつつ、公祐は犯人を捕まえてからの対応を脳内で検討した。

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