249 気分は家出

 それからは母の車に乗せられて特急松山駅まで行き、今度はできる限り春休みに帰省すると伝えて母にしばしの別れを告げた。


 昼食には岡山駅で再び駅弁を買うことにして、僕は久々の帰省で癒された身体で昼過ぎには下宿に戻っていた。



 久々に戻った下宿でお茶を沸かしたり壬生川さんとメッセージアプリで雑談したりしているとあっという間に夕食の時刻になっていて、僕は保存食や冷凍食品の買い出しついでに行きつけのスーパーで割引になった弁当を買ってきた。


 夕食を終えてやはり久々に下宿の狭い風呂に入り、明日からの授業に備えて早めに寝ようと考えていると22時頃にインターホンが鳴った。


 こんな時間に誰だろうと思いつつ恐る恐るインターホンの受話器を取る。



「もしもし、どちら様でしょうか……」

『白神君、ボクです、薬師寺龍之介』

「はいっ!?」


 相手は医学部3回生にして薬理学教室の研究医生であるヤッ君先輩その人で、僕は今朝けさの電話のこともあって大変驚いた。



「せ、先輩、こんな時間にどうしたんですか!?」

『ちょっと家で色々あって、その、家出してきたの。本当に申し訳ないんだけど一晩泊めて貰っていい?』

「いやまあ男同士ですし全然いいですけど……とりあえず、中に入ってください」


 そう言うと先輩は弱々しい声でありがとうと答え、僕は部屋の中からワンルームマンション入口のオートロックを解除した。


 ドアを開けて部屋の前まで来たヤッ君先輩を迎え入れると小柄で美形な先輩は疲れ切った表情をしていた。


 先輩はいつものカーキ色のリュックサックに加えて大きなボストンバッグを持ってきていて、家出してきたという話は冗談ではないらしかった。


「どうぞ入ってください。僕は一晩ぐらい全然構いませんから」

「ありがとう……」


 先輩は弱々しい声でふらつきながら玄関を上がり、その様子を見て僕は慌ててボストンバッグを持ってあげた。



 一部屋しかないマンションは実家住まいのヤッ君先輩にとっては珍しいらしく、7畳の部屋に通された先輩は目をきょろきょろさせていた。


 荷物は部屋の隅に置いて貰い、来客用の折り畳み式パイプ椅子を収納から取り出して座るよう促した。


 来客用と災害備蓄用を兼ねて買い貯めてある麦茶のペットボトルを渡すと先輩は小さな口で麦茶をこくこくと飲んだ。


 重い荷物を置き椅子に座って水分補給をすると先輩はようやく落ち着いてくれて、僕はここに至った事情を聞いてみることにした。



「今日は何というかお疲れ様です。話しにくければ無理に話されなくて大丈夫ですけど、家出の原因っていうのは……?」

「一晩泊めて貰う訳だからちゃんと説明するね。まず、ボクは白神君に謝らないといけない。っていうのは……」


 恐る恐る尋ねると、先輩は椅子に腰かけたまま沈痛な表情をした。



「コウ君、京阪医大のくれ公祐こうすけ君と昨日ラブホテルに泊まったんだけど、学生研究の都合で白神君の下宿に泊まるってパパに嘘をついて外泊してたの。……本当にごめん。まさかバレるなんて思わなかったから」

「今日の朝に先輩のお父さんから電話があったんですけど、それと関係あるんですよね……?」


 確信を持って尋ねると先輩はこくりと頷いた。


 ヤッ君先輩のお父さんは先輩が帰宅後にトイレに行っている間に息子のスマホを勝手に持ち出したらしく、そこで僕が質問に正直に答えたがために今回の家出につながってしまったらしい。



「パパはボクがゲイだって薄々気づいてたらしくて、ボクが今日の夕方に買い物に行って家に帰ったらリビングの机の上にゲイ雑誌とかコレクションが全部置かれてた。パパにはギリギリまで隠したかったから、本当にショックだった」

「うーん、それはかなり辛いですね……」


 秘蔵のコレクションが親に見つかるというだけでも子供としてはショッキングだが、男性であるヤッ君先輩が同性愛の雑誌を父親に見つかるというのは想像を絶するショックな事態だろう。



「でも、その話だと流石に呉さんのことはバレてないんですよね?」

「そうだと良かったんだけどパパはボクの彼氏のことを興信所こうしんじょを雇ってまで調べてたらしくて、コウ君の身元のことも全部調べ上げてたの。……これはあまり人には言わないで欲しいけど、コウ君のルーツが韓国にあってでっかいパチンコ会社の次男だってこともパパは全部知ってた」

「そ、それは大変ですね……」


 京阪医大の医学部3回生であり研究医合宿の関係で僕とも面識がある呉公祐さんの来歴は全く知らなかったが、確かにお父さんが知れば問題視しそうなプロフィールではあるように思われた。



「パパはボクが同性愛者なのは認めるけどパチンコ屋の息子の朝鮮人と付き合うのは許せないって言った。そんなのおかしいって反論したら夜になってからパパはコウ君に直接電話してボクと別れるように言うって言い出して、それで喧嘩になって家出してきたの」

「なるほど……」


 お父さんは息子がゲイであったこと自体は問題視していなかったと聞き、僕は意外なものを感じた。



「パパはボクにギャンブルは絶対にするなって言って育ててきたし、外国にルーツがある人に嫌悪感があるのかも知れないけどそんなことでボクとコウ君との仲が引き裂かれるなんて耐えられない。でもパパは昔から独善的な所があって、うちはシングルファーザー家庭だから今の状態で家に戻るのはどうしても嫌なの」


 ヤッ君先輩はそこまで話すと涙ぐみ始め、僕はシングルファーザー家庭で父親と衝突してしまった先輩の辛さに同情した。



「だから、今日一晩だけ泊めて欲しい。今からコウ君に連絡して明日からはコウ君の実家に泊めて貰えないか聞いてみるから、今日だけお願い」

「ええ、全然いいですよ。……でも、先輩はお父さんとの関係をこれからどうなさるつもりなんですか?」

「それは……正直、ボクにも分からない。だけど、これはもうボクの物語だから白神君は絶対に巻き込まない。ヒデ君の事件の時に白神君にはものすごく迷惑をかけちゃったから、今回はこれで終わりにする」

「そんな迷惑なんてことないですよ。ただ、呉さんは実際頼りになる人ですから今回は先輩を呉さんが助けてくれると思います」


 冷静に言うとヤッ君先輩は涙目のまま笑顔で頷いてくれた。

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