203 未来予想図

 自宅から歩いて5分ほどの所にある珠樹の自宅に着くと、化奈は合鍵を取り出して家の中に入った。


 幼い頃から仲良く育って自宅も近い化奈は珠樹の両親から合鍵を預けられていて、家に入る際もインターホンは押さなくてよいと言われていた。



「珠樹ー、ちょっと入ってもええ?」

「うん、いいよ」


 2階にある珠樹の部屋の前まで歩き、男子高校生の部屋ということでノックをして尋ねると珠樹は落ち着いた声音こわねで返事をした。


 部屋に入ると、珠樹は勉強机に向き合ったまま模試の問題冊子と解答解説集らしきものを開いてボールペンを握っていた。


 入ってきた化奈に振り向くこともせず、珠樹は問題冊子と解答解説集を交互に見つつB5サイズの無地ノートにも何かを書き込んでいる。



「えーと、模試の復習?」

「そうだよ、夕ご飯の前に最低限はやっとこう思って」


 今年に入ってから模試を終えた直後の珠樹に会うのはこれが二度目だが、前回の時の珠樹は体調不良から途中でリタイアしていた。


 全科目の記述模試を終えて自宅に帰ってきた珠樹は試験の記憶が薄れないうちに復習に取り組んでいたのだろう。


 模試というのは根本的には成績を測るためのものではなく成績を伸ばすためのものなので、受験してから復習しなければ何の意味もない。復習は遅くとも翌日までに終えるべきだが最良のタイミングは模試を終えた直後とされていた。


 海内塾や春台、北辰といった大手予備校の模試は日曜日の朝から夕方、センター模試であれば夜までかかるハードなものなので受験直後に復習を行える受験生はそれほど多くないが、珠樹は既にそれに耐えうるだけの根性を身に着けているのだろう。



「ごめん、今はあんまり邪魔せん方がええかな?」

「全然いてくれていいよ。もうそろそろ終わりそうやしそこのベッドにでも座ってて」


 勉強中の彼に気を遣って部屋を出た方がいいか尋ねると、珠樹は言外に室内にはいて欲しいと伝えてきた。


 ここまで来たのは珠樹と話すためなので化奈はその言葉に甘えて珠樹の部屋のベッドに腰かけた。


 勉強机に向かう珠樹は手元の勉強道具だけに意識を集中させていて、その背中には超進学校で落ちこぼれていた頃の情けない珠樹の面影は全く残っていなかった。


 11月というのは大学受験の正念場であり日曜日は毎週のように模試があるという極めてハードな時期だったが今の珠樹ならばこの正念場も、そして年明けの受験シーズンも乗り切れるだろうと思われた。



 模試の復習に集中している珠樹に背中から話しかけるのも悪いと思った化奈は、ふと思いついて珠樹の部屋のベッドに寝転んでみた。


 男子高校生特有の匂いが若干漂っていたが陸上部の部室のむせかえるような空気に慣れている化奈は大して違和感を覚えず、そのまま柔らかいベッドに身を委ねた。



(今、珠樹がうちに迫ってきたら……)


 従弟と2人きりの家で、しかも従弟の部屋のベッドに寝転んでいる今の状況に化奈は考えてはいけないことを考えてしまう。


 先ほどまで読んでいたティーンズラブ小説の影響に違いないと脳内で判断し、化奈はよこしまな考えを慌てて振り切った。



 寝転がったまま再び珠樹の方を見る。


 彼の髪は以前と比べると長くて乱れており、部屋着とはいえ服装もくたびれたジャージ姿だった。


 おそらく受験勉強の忙しさから理髪店に行く頻度が減っていて、身なりに構っている余裕もないのだろう。


 それでも全力で受験勉強に打ち込んでいる今の珠樹は、化奈の記憶にある彼の姿よりもずっと格好よく見えた。



(珠樹が医学部に受かったら、うちらの関係ってどうなるんかな?)


 4月の時点では医学部医学科への現役合格など夢のまた夢だった珠樹は、あれからたった半年ほどで学力を劇的に向上させた。


 記述模試では第一志望である畿内医大で既にB判定が出ていて、この前のセンター模試では大阪都市大学の医学部医学科にもついにC判定が出た。


 大学受験ではC判定が出ていれば十分勝機はあると判断され、B判定ならば大抵合格できるとされている。


 このまま何もトラブルがなければ珠樹はセンター試験で得点率90%以上は確実に叩き出して、畿内医大には余裕で合格できるかも知れない。



 珠樹が医学生に、ひょっとすると自分と同じ大学の後輩になるなどという未来は全く想像していなかったがその未来はもはや実現しつつある。


 医学生になった珠樹が改めて自分に交際を申し入れてきたら、化奈はその時も彼を拒絶できるのだろうか。


 どうあがいても従姉弟いとこ同士という関係である以上そうすべきだと頭では分かっているが、化奈は珠樹と離れたくない自分の思いに気づきつつあった。



(男子医学生はもてる言うし、珠樹も大学生になったらうちのことなんて忘れるんかな?)


 医学部医学科は世間が狭いと言われるが運動部に入れば他大学の学生との交流もある。


 珠樹が畿内医大の剣道部に入ってよその大学の女子と知り合うようになれば、彼は従姉への恋心などあっさり忘れるかも知れない。



 自分が白神塔也という異性に恋をしていたように、珠樹にもちゃんとした異性と素敵な恋をして欲しい。


 それが自分の本心のはずなのに、化奈は自分が思い描いた未来予想図を前にしてじわりと涙を浮かべてしまった。

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