167 家系とルーツと性的指向

 スクエア・ワンを後にした2人は落ち着いて話すため、近くにあったハンバーガーショップに入った。


 それぞれ飲み物と軽食を注文すると2人はテーブル席に着席して一息ついた。


「さっきは危なかった。あれは深夜のゲーセンに連れてきたオレにも責任があるな」

「呉君、心配しなくてもボクはあれぐらいの連中なら喧嘩して勝てるよ?」


 公祐は龍之介が中高で隠れ不良をやっていたことを知らないので過剰に心配してしまったのだろうと考えた。


「そうなのか? まあ、その話が本当でもお前には怪我して欲しくないからな。かわいい顔は大事にしてくれ」


 公祐は静かにそう言うとやはり右手で龍之介の頭をがしがしと撫でた。


 彼の優しさを感じて、龍之介は頭を撫でられながら頬を赤く染めた。



「呉君、さっき一万円札をばらまいてたけどあれって本物なの?」

「ああ本物だ。ああいう時に金で解決できるよう、オレは常に大金を持ち歩いてる」


 あっさりそう答えて公祐はストローでシェイクをすすった。


「そうなんだ。呉君は政治家志望だって聞いたけど、もしかして実家は大金持ち?」


 代々続く有名政治家の家系なのではないかと思って尋ねると、



「大金持ちなのは確かだな。ただ、人に誇れるような仕事はしてないよ」


 公祐は無表情のままぽつりと答えた。



「なあ龍之介、お前パチンコ店ってどう思う? 流石に行ったことはないよな?」

「パチンコ? もちろん行ったことないけど、パパからはギャンブルだけはするなって言われてる。これからも多分行かないと思う」


 公祐が投げかけた質問に対して龍之介は率直に答えた。


「それでも名前ぐらいは知ってると思うんだけど、パチンコチェーンのホフマンって聞いたことないか? テレビCMもやってただろ?」

「うん、知ってる。入ったことはないけど地元にもでっかい店舗があるよ」


 パチンコチェーン店の「ホフマン」は日本全国に店舗を展開している巨大企業で、日本におけるパチンコ店の代名詞とも呼べる存在だった。


 龍之介の実家がある滋賀県にも多数の大型店舗を出店しており、龍之介も地図上では見かけたことがあった。



 そこまで話すと公祐は意を決した表情になって、



「お前相手だから言うけど、オレはホフマンの創業者の孫で社長の次男なんだ。腐るほど金があるのも、実家がパチンコ経営で儲けてるからなんだ」


 一息にそう言った。



「へえー、呉君は大企業の社長の息子さんなんだね。実家はお兄さんが継ぐの?」

「ああ、次期経営者の座は兄貴のものだからオレは後を継がなくていい。それより……」

「どうしたの?」


 龍之介の態度を見て、公祐は次に口にすべき言葉に迷っているようだった。



「なあ、オレの実家の仕事を聞いても何とも思わないのか?」

「何ともって? お金持ちな理由は分かったし、お兄さんがいることも聞けて嬉しかったけど……」

「いやそうじゃなくて、お前みたいなちゃんとした家の子供はパチンコ店の子供なんて敬遠するんじゃないかってさ」

「敬遠? そんなまさか!」


 笑顔で答えた龍之介に公祐は意外そうな表情をした。



「ボクは今後もパチンコ店には行かないと思うしパパもギャンブルは嫌ってるけど、だからって呉君を嫌いになったりするわけないよ。適度に楽しまないと困ったことになるのはゲーセンもスマホゲームも同じだし、パチンコだけが悪く言われるのはおかしいと思う。大体実家がどんな仕事をしてたって、お金持ちの家に生まれた医学生の呉君のどこが駄目なの? 呉君こそ自分を卑下しすぎなんじゃない?」

「……」


 率直な意見を伝えた龍之介に、公祐はしばらく黙り込んだ後で笑顔を浮かべた。


 そして、公祐はそのまま自分の出自について話し始めた。



 公祐の曾祖父である呉大昌オ・デチャンは韓国人であり、大日本帝国統治下の朝鮮出身でありながら日本陸軍に志願し士官として太平洋戦争を生き抜いた人物だった。


 日本の敗戦後、大昌は「親日派」の汚名をこうむることを避けるために妻と2人で韓国の辺境に身を隠し、戦後の混乱に紛れて名前も変えた。


 ゆえに一族でも大昌の本名を知る者はおらず、公祐の「くれ」という名字は偽名に由来している。


 その後大昌は食品会社を立ち上げて成功し、長男にして公祐の祖父に当たる昌弘チャンホンが成人した頃には呉家は富裕層と呼べるだけの財力を手に入れていた。



 旧日本軍の士官であった大昌は日本語が堪能たんのうで、会社は戦後間もない日本とも交易を行っていた。


 大昌の後継者として働いていた昌弘も同様に日本語をマスターしていて、昌弘は当時軍事政権の支配下にあった韓国とは対照的に経済大国への道を歩んでいた日本に希望を見出した。


 昌弘は40代前半にして妻と子供(公祐の父親に当たる大祐デウ)を連れて日本に渡り、そこでパチンコ店を経営する企業「ホフマン」を立ち上げた。


 革新的な経営手法を次々に取り入れたことでホフマンは瞬く間に規模を拡大し、もはや韓国に帰る必要性がなくなった時点で昌弘は父に相談した上で食品会社の後継者の座を放棄した。



 ホフマンが全国展開を始めた後も呉一族は韓国籍のままだったが大祐に第一子(公祐の兄である信祐しんすけ)が生まれた際、昌弘は孫を純粋な日本人として育てたいと考えた。


 パチンコ店経営は日本においては下等な仕事と見なされていて、中学校から日本の学校に通った大祐は韓国籍である上にパチンコ会社の息子であることにより周囲から度々いじめに遭っていた。


 実家がパチンコ店を経営していることは変えようがないが国籍は帰化すれば変えることができるため、昌弘は初めての孫である信祐が生まれた時点で日本にいる一族全員を帰化させた。


 これに伴い呉昌弘は「くれまさひろ」、呉大祐は「くれだいすけ」という読みになり、信祐と公祐にはそもそも韓国語読みの名前がない。



 公祐と兄である信祐は生まれた時から日本国民であり韓国語は全く話せないが、昌弘と大祐は彼らに対して自らのルーツが韓国にあることをネガティブに考えず「韓国系日本人」としてのアイデンティティを確立するよう教えてきた。


 自らのルーツが韓国にあることを誇りとし、同時に日本に対する愛国心を持って国家に尽くすべきであるというのが呉一族のモットーであり、大企業であるホフマンも莫大な収益を得ている一方で脱税行為は一切行わず多額の納税を続けている。


 公祐が政治家の道を志したこともこのモットーに基づいており、ホフマンの経営は兄に任せて自らは実家の財力を強みにしつつ政治家として日本に尽くしたいというのが公祐の人生の目標だった。



「……それで、京阪医大に入るよう勧めたのはお爺さんなんだ。政治家になるのはいいけどいざという時に自分の身を守ってくれるのは資格だって言ってさ。オレ自身受験は大変だったけど医学部に入ったのは後悔してないよ」

「なるほどね。実家の財力に頼るだけじゃなくて、自力で生きていく手段も身に着ける姿勢は素晴らしいと思うよ」


 長い話を頷きつつ聞いて、龍之介は公祐の出自に驚きつつも興味深いものを覚えていた。



「オレは実家がパチンコ屋だしルーツは韓国だしゲイだから、誇れるのは実家の財力と自分の才能だけだと思ってた。でもお前みたいにオレの出自も評価してくれる奴がいると分かってすごく嬉しいよ」

「確かに差別する人はいるかも知れないけど、ボクは呉君のプロフィールを知っても何とも思わないしむしろすごいって思うよ。だって呉君のお父さんもお爺さんもひいお爺さんも、大変な状況を実力で乗り切って成功した人でしょ? その血を引いてる呉君は絶対にすごい人になれるよ」


 前向きにそう言った龍之介に公祐は嬉し泣きの涙を浮かべていた。



「そろそろホテルに帰った方がいいな。じゃあ龍之介、一つお前に頼みたいことがあるんだけど」

「いいよ、何でもどうぞ」


 何気なく答えた龍之介に、



「オレが政治家として成功したら、ファーストジェントルマンになってくれないか?」


 公祐は真剣な表情で頼んだ。



 突然のプロポーズに龍之介は一瞬たじろぎつつも、



「呉君が望むなら、喜んで!」



 元気よく答えて、そのまま公祐と握手をした。

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