168 気分は隠蔽工作

「ここのバイキング、見た目も味も上品ですごくいいですね。フレーバーヨーグルトのコーナーも楽しみです」

「そうだねー。ファンちゃんって結構よく食べるんだ」


 レストラン内の2つ離れたテーブルから壬生川さんとヤミ子先輩が話す声が聞こえてくる。


「カナちゃん、流石に焼きそばは取らなかったのね」

「粉もんやからって訳やないんですけど、実家の朝食は大体和食なんでこういう時は洋食を取るんです。さっちゃんはご飯派なんですか?」


 剖良先輩は和食を中心に、カナやんは洋食を中心に食べているようだが今の僕らは食欲どころではない。



「……あのー、白神君もマレー君も、そろそろ取りに行ったら?」


 一人でトレーに料理を取ってきたらしいヤッ君先輩の声を僕とマレー先輩はテーブルに突っ伏したまま聞いた。


「んにゃ……あ、すみません。もうちょっとだけ……」

「…………」


 眠気のあまり返事をするのがやっとの僕の隣でマレー先輩は完全に沈黙していた。



 研究医養成コース合宿1日目の深夜、僕とマレー先輩は午前3時頃までアニメ鑑賞会で盛り上がっていた。


 くれさんと遊びに行っていたヤッ君先輩は午前2時過ぎにようやく客室に帰ってきて一人で部屋のお風呂に入ってから僕らと同じタイミングで寝たのだが、僕とマレー先輩はヤッ君先輩よりも睡眠の必要量が多かったらしい。


 ヤッ君先輩は朝7時に元気に目覚めて他の2名を起こしてくれて僕もマレー先輩も眠いまなこをこすりながら朝食会場である1階のレストランまでたどり着いたのだが、その後はテーブルに向かったままダウンしていた。



「一応8時半までには出ないといけないから、流石にそろそろ起きてね」

「あ、はい。……じゃあ先輩、僕らも行きましょう」

「うん……」


 ダウンしたままのマレー先輩を引きずるようにして起こし、僕はようやくバイキング形式の朝食を取りに行った。


 女性陣の絶賛にたがわず大阪港湾コズミックホテルの朝食は見た目が綺麗な上に味も非常に美味しくて、昨晩は夕食後もスナック菓子やおつまみを食べていたのに何回かおかわりを頂いた。


 マレー先輩も食べ始めると目が覚めたらしく、大量の料理をガツガツと食べた後はデザートを満喫していた。



「白神君もマレー君もちゃんと食べてくれて安心したよ。やっぱりよく食べる男の人には憧れちゃうな」


 様々なフレーバーでアレンジしたヨーグルトをスプーンで口に運びつつヤッ君先輩はそう言った。


「俺は無駄に身長があるから多めに食ってもあまり太らないが、白神君はちょっと心配だな。剣道部を辞めた以上どこかで運動するか常に節制する癖は付けといた方がいいぞ。あとヤッ君はもうちょっと食べた方がいい」

「あはは、僕も深夜に呉君とハンバーガー食べてたから。普段ならもっと食べるよ」

「なるほど……」


 僕の身長は大体171cmでマレー先輩は明らかに180cmはあり、ヤッ君先輩は本人曰く161cmらしいのでこの男子学生3名が並ぶと身長は階段状になる。



「そういえば今までこれといって連絡が入ってなかったようですけど、美波さんは大丈夫なんでしょうか?」


 これまでの様子を見る限りではマレー先輩の婚約者である宇都宮うつのみや美波みなみさんは将来の夫が合宿に行くなどすれば繰り返しメッセージを送ってきそうなので、昨日の夜に先輩のスマホが鳴っていなかったのは不思議だった。


「ああ、美波はあれから俺のスマホに監視アプリを入れるのをやめてくれたんだ。昨日も俺からメッセージを送ったらそれで満足してくれたらしい。どちらかと言うと俺の方が美波に会えなくて寂しかったぐらいだ」

「へえー、それは良かったですね。先輩と美波さんが平和的な恋人同士になれたなら何よりです」


 ストーカー一歩手前だった美波さんがようやく普通の彼女のスタンスになれたと分かり、僕はほっと安堵した。



「まあ、そのうち恋人以上の関係になる間柄だからな。お互いいつまでも熱々カップルじゃいられないし、今ぐらいは平和に恋人をやっておきたい」

「うわあ、マレー君がリア充みたいなこと言うの初めて見た。憎いね憎いね~」


 ミルク入りのコーヒーを飲みながら言ったマレー先輩に後方で聞いていたらしいヤミ子先輩が冷やかしの言葉を投げた。


「ヤミ子君こそどうなんだ、この前付き合い始めたっていう」

「マレー先輩! ちょっと来てください!!」


 ヤミ子先輩の方に振り向いて柳沢やなざわ君の話題を口にしようとしたマレー先輩に僕は大声で呼びかけると先輩の腕を引いて席を立った。


 そのまま無理やりな感じでレストランの外まで歩き、僕はそこで先輩の腕を放した。



「白神君、一体どうしたんだ?」

「あのですね、剖良先輩はどうもヤミ子先輩に彼氏ができたと知らないらしくて……」

「えっ、そうなのか!?」


 同じ医学部3回生でも女子同士の情報伝達は把握できていなかったらしく、マレー先輩は驚きの声を上げた。



「一応聞きますけど、マレー先輩は剖良先輩のあれこれはご存じで……?」

「ああ、近くにいれば大体分かる。でも困ったな、そうだとすると今の剖良君は爆弾だぞ」


 そのまま隠語を織り交ぜつつ話し、とりあえず剖良先輩のいる所では柳沢君のことを口にしないと約束して貰った。


 いつかは剖良先輩も真相を知ることになるがそのきっかけは研究医生でない方がよいだろうという配慮だった。

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