151 恋って一体何ですか?

 私はそれから医学部受験に失敗して春台しゅんだい予備校の神戸校で1年を過ごし、結局は研究医養成コース入試で畿内医科大学の医学部医学科に合格した。


 予備校で知り合った親友の解川ときがわ剖良さくらさん、通称さっちゃんも同じ大学に入学することになって私は純粋に嬉しく思っていた。



 一般入試で入学したさっちゃんは1回生の途中で研究医養成コースに転入し、彼女とはずっと仲良くしていきたいと思っていた所、12月の上旬にある事件が起きた。


 それまで授業にはほとんど全出席して毎回真面目に板書を取っていたさっちゃんが、ある日を境に大学に出てこなくなったのだ。


 弓道部の友達に聞いても事情が分からず直接メッセージを送っても返信がなく、彼女はこのままでは1月からの解剖実習にも出てこないかも知れない。


 どうしても心配になった私はある日の放課後、1度だけ行ったことのあった彼女の自宅をアポ無しで訪れた。



 玄関のインターホンを押し、名前と身分を名乗って玄関に上がるとさっちゃんのお母さんは私を歓迎してくれた。


 娘が突然部屋から出てこなくなり家族の誰にも理由が分からないと嘆くお母さんを見て、私は自分が今からすべきことを理解した。


 一軒家の階段を上がり2階にあるさっちゃんの部屋の前まで行くと、私は扉をドンドンと乱暴に叩いた。



「さっちゃん! 私、ヤミ子! 悩みがあるなら聞くから、大学には出てきて!」

「嫌! ヤミ子とだけは話したくない!!」


 私が来たことは物音で分かっていたのか既に涙声になっていたさっちゃんの様子を目にして、私は彼女が大学に来なくなった理由が自分にあることを理解した。



「ふざけないで、さっちゃん。私たちもう大学生なんだよ? 理由も言わずにふてくされて部屋に引きこもっていいのは高校生までなの。分かったら私を部屋に入れて!!」

「……」


 あえて怒った口調でそう言うとさっちゃんはパジャマ姿のままで部屋から出てきて、そのまま私を室内へと案内した。



 引きこもっていたという割には綺麗に整頓された部屋に入り渡された座布団に腰かけると、さっちゃんはしくしくと泣きながらこれまで秘めていた思いを伝えてきた。



 彼女は予備校生の頃から私のことを愛していて、この冬休みには旅行に誘ってそこで初めて思いを伝えようとしていた。


 その愛とは単なる親友への気持ちではなく、彼女は同性である私のことを恋人として性的に愛していたのだった。


 それなのについ最近になって私に彼氏がいるという噂を耳にしてしまって、どうしようもなくなった彼女は全てを投げ出して自宅に引きこもった。



「ヤミ子に告白して断られたり、気持ち悪いって言われたりするのは覚悟してた。でも彼氏がいるのに私に黙ってて、こんなタイミングで気持ちを裏切られるなんて思わなかった。理不尽な話だけど、私、だからヤミ子とは会いたくなかったの」

「さっちゃん……」


 一息にそう言うと声を上げて泣き始めた彼女を、私は床に座ったまま優しく抱きしめた。


 彼女の頭を右手で撫でながら、彼氏がいるというのは嘘でさっちゃんがショックを受けるようなことはないと伝えた。



 私は大学に入ってからは写真部と演劇部を兼部していたがメインで活動していた写真部の3回生男子から一方的に言い寄られ、彼氏がいると嘘をついてアプローチを断ったことがあった。


 単に口先で済ませるのでは説得力がないと考え、3歳下の弟である理志さとしの私服姿の写真を見せて彼氏の証拠ということにしていたので、私に彼氏がいるという噂は信憑性を持って伝わっていたのだろう。



 私はさっちゃんの誤解を解き、明日からちゃんと大学に出てくると約束させた上で伝えなければならないことをはっきりと伝えることにした。


「私はさっちゃんのことが好きだけど、女の子を好きになったことがないの。少なくとも今はさっちゃんと恋人になれないし、これからもなれない方がいいと思う。女の子同士でお付き合いするのは今の世の中では本当に大変だし、私は多分それに耐えられないから。私なんかじゃなくて、もっといい人を見つけてみて」

「……うん」


 さっちゃんは短くそう答えて、そのまま私の胸元に顔をうずめて泣いた。



 私はここでも少し嘘をついていて、女の子を好きになったことがないのは事実だけど男の子を心から好きになったこともないのだった。


 それでも宝田君の時の反省があるから、中途半端な気持ちで交際を受け入れるのだけはやめようと心に誓っていた。



 もっと根本的な話をすれば、私はこれまで22年間の人生で本当の意味で誰かを好きになったことがない。


 宝田君を異性として大事に思っていた気持ちもさっちゃんを同性の親友として大事に思う気持ちも、私の中では全く同じ性質のものなのだ。


 だから宝田君が私に性行為を求めてきたりさっちゃんが私と親友以上の関係になろうとしたりといった思いは私には全く理解できなかった。


 こんな私にも、いつかは本当に恋をできる相手を見つけられるのだろうか。



 私はその後しばらく交際を断ったことでさっちゃんとの関係が壊れてしまったらどうしようと不安に思っていたけど、その翌日から彼女は何事もなかったかのように大学に登校してきた。


 よそよそしい態度になったり改めて交際を求めてきたりすることもなく、私とはこれまで通りただの親友の関係に戻ってくれた。



 彼女が本心でどう思っていたかは分からないけど、宝田君の時と違って彼女の心を深くえぐったままで終わらずに済んだだけでもよかったと思う。

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