150 それだけの理由で

「山井さん、彼氏がいないなら俺と付き合ってくれない?」

「えっ?」


 高校1年生の夏休み明け、私は文化祭に向けた練習が終わった後に部活仲間で同じクラスの宝田君という男子に呼び出され、そこで人生で初めて男性から告白された。


「宝田君、付き合うっていうのはつまり恋人になるってこと?」

「もちろん! 俺、山井さんのこと絶対大事にするよ」


 宝田君とは元々親しかったし、高校生にもなれば異性とお付き合いしても問題はない。


 ただ一つ気にかかったのは私自身が恋愛というものに全く興味がなかったことで、今考えると私はせめて回答を一旦保留すべきだったのだろう。



 それでも、その時の私は単純に目の前の宝田君をがっかりさせたくなかった。


 それだけの理由で……



「じゃあ私もOKしちゃおうかな。いいよ、今日から宝田君と付き合うね」

「やったー! ありがとう山井さん!」


 私は宝田君の彼女になって、そして後に彼をひどく傷つけることになる。



 宝田君とは人前でも隠さず付き合っていたけどあくまで同級生同士の清い関係で、デートに行ったのもせいぜい高校の最寄り駅の数駅隣までだった。


 部活ではお互い恋人であるということを意識しないようにしていたので、私と宝田君の交際が演劇部の活動に悪い影響を及ぼすこともなかった。



 そして少しの月日が流れ、高校2年生の夏休み明け。


 付き合い始めてから1年が経って私は初めて宝田君を西宮市の実家に招待した。


 お互い音楽鑑賞という趣味が一致しているので大好きな真田さなだ雅敏まさとしさんの昔のアルバムを聞かせてあげようと楽しみにしていた私は、



「お願いだ、理子さん。1回だけでいいから、俺と、その、して欲しいんだ」

「1回だけって、何をするの?」


 土下座して頼んできた宝田君に、本気でそう尋ねていた。


 宝田君は私の反応を冗談だと思ったらしくそれからは必死で性行為をせがんできて、私は何回目かのお願いでようやく発言の意図を理解した。



「無理強いするつもりはないけど、理子さんと1年間も付き合ってきてずっと我慢してたんだ。今ならお父さんやお母さんもいないし、本当に1回だけだから」

「えー、でも、妊娠しちゃうかも知れないし……」


 その懸念も皆無ではなかったけど、本音を言えば私は宝田君とそういう行為をしたいと思えなかった。


 決して宝田君のことが好きでない訳ではなく父と弟以外の男性では最も大切な人ではあったが、私にはどうしても宝田君と性行為をする自分が想像できなかったのだ。


 それでも宝田君が本気で頼んできているということは理解できて、箱に入った新品のコンドームを提示した彼の姿を見て私はこの時も彼をがっかりさせたくないと思った。



 お互い服を脱いで自室のベッドに横になってからしばらくすると、行為はあっという間に終わった。


 あっという間すぎて細かい感想は思い浮かばなかったが宝田君の身体はひたすら重くて、気持ち悪い感覚が何度か走っていた。



「どうだった?」


 嬉しそうに尋ねた宝田君に、



「うーん、私は気持ち悪かったかな。重くてしんどいし、こういうことはこれで最後にしない? どうしてもしたかったら他の子に頼んでみたら?」


 私は率直な感想を伝えて、彼の心を深くえぐった。



 宝田君はそれから何となくよそよそしくなって、名門私立大学の指定校推薦を狙っている彼と医学部受験を予定している私とでスケジュールが合わなくなってきたこともあり高校2年生の終わり頃には私と彼との関係は自然消滅していた。


 私は高校3年生の夏に引退するまで演劇部の活動に参加していたけど、彼は私と別れたぐらいから自然と部活に来なくなった。


 そして、私は彼が部活に来なくなっていたことに引退する頃になってようやく気づいた有様だった。



 その頃の私は宝田君と破局したことを何とも思っていなかったけど、彼が私と破局してどういう心境だったのかを全く想像できなかったのはやっぱり問題だったと思う。

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