140 生島珠樹の天王山

 地下鉄の天王寺駅は化奈と珠樹それぞれの自宅の最寄り駅でもあるので、化奈は珠樹を徒歩で自宅まで送るついでに少し休憩しようと一緒に玄関を上がった。

 

 化奈がダイニングの椅子に腰かけると珠樹は冷蔵庫から麦茶のポットを持ってきて、食卓に2人分のコップを並べてから椅子に座って化奈と向き合った。


 久々に化奈と2人きりになれたからか珠樹は嬉しそうな様子で冷えた麦茶を飲みながら口を開いた。



「カナちゃん、今日は来てくれてありがとう。忙しいのに申し訳ないけど俺もカナちゃんに会えて嬉しかったわ」


 珠樹は高校生になってからは格好つけて標準語で通そうとしているが、親戚同士の場面では気が緩んで大阪弁が出がちになる。


「うちも部活終わった所やったし全然困ってへんで。塾長先生に珠樹の成績の話も聞けたし、うちこそ塾まで行けて良かったわ」

「そうなの? 真崎先生、俺のこと何て言ってた?」


 珠樹に尋ねられ、化奈は珠樹の成績は順調に上がっており塾としても期待しているという真崎塾長の評価をそのまま伝えた。



「そう言って貰えると嬉しいけど俺はまだまだやと思う。都市大にはD判定出たけど畿内医大は英数理でしか勝負できんし、これから今のまま成績が上がるかも分からんし……」

「でも勉強が行き詰まってたのに一気にやる気になって、成績どんどん上げてるんは純粋に偉い思うで。何かきっかけでもあったん?」


 何気なくそう尋ねると、珠樹は少し複雑な表情を浮かべて口を開いた。


「あの、白神さんに勉強法のことを色々教えて貰って、塾も前の所から北辰に移ったんだ。集団塾では落ちこぼれかけてたけど北辰は映像授業で高1の範囲から復習できるから、お金はかかるけど講座を一杯取った。先生の話が面白くて受講もどんどん進めて、もうすぐ英数は難関レベルの授業を受けることになってる。国語とか社会は受講しなくていいからその分の時間を英数理に回せるのもいいと思った」

「へー、白神君ええアドバイスしてくれたんやな」


 化奈は春台大阪校の決められたカリキュラムを普通に受講して大学に合格したが、珠樹のように得意と弱点がはっきり分かっている生徒には特定の科目だけを集中的に受講できる映像授業の塾の方が適しているのだろう。



「カナちゃんは白神さんのことが好きだからもうカナちゃん追いかけて医学部受けるんはやめたけど、せっかく成績も上がってきてるしチャレンジしてみようと思ってる。それで医学部目指していいんかは分からへんけど……」

「あー、その話やったら白神君は他に好きな子がいるみたいやで」

「えっ?」


 驚く珠樹に、化奈は塔也には他に親しくしている女友達がいて最近では美人の先輩に思いを寄せているという噂があると伝えた。



「……せやからうちも白神君のことはもう諦めてるねん。さっきの話とは関係ないけど、うちが白神君のこと好きなんはもう気にせんでええで」

「白神さん、カナちゃんにアプローチされたのに他の子に行くなんて絶対に女の子の趣味が変だよ。尊敬してたけどそこは男として駄目だと思う」

「あはは、珠樹でもそう言うてくれると嬉しいわ」


 憤然としている珠樹を見て、化奈は従姉弟同士という関係でも自分を好いてくれる人がいるありがたさを感じた。



「これは仮定の話やけど、俺がもし現役で医学部に受かったらカナちゃんは俺と付き合ってくれたりする?」


 半分冗談半分真剣という様子で、珠樹は改めてそう尋ねてきた。


「これだけははっきり言うとくけど、うちは少なくとも今の珠樹は恋愛対象として見られへんわ。塾の友達にうちの話するんはええけど、従姉が好きやって他人に言うてどう思われるか想像できへんのはやっぱりまだ未熟やと思うで。それを補うぐらいの魅力を見せてくれたら、うちも考え直すかも知れんけど」

「そうか。……そうだよね」


 珠樹はしゅんとした感じでうつむいたが、化奈には珠樹の申し出を完全に拒絶する気はなかった。


 日本の法律ではいとこ同士は結婚できるし、珠樹もいつまでも子供ではないからもしかするといつか恋仲になることもあるかも知れない。


 今の様子ではその日が来ることはまずないだろうが。



「まあ余計なこと考えんと明日からまた勉強頑張るんやで。当たって砕けることになるかも知れんけど、医学部目指して猛勉強した経験は絶対人生の役に立つ。うちも近くから応援してるで」

「ありがとう! 明日からって言わずに今からまた勉強するよ。もちろん体調には気を付けるからね」


 そう言って席を立った珠樹の頭を右手で撫でてやると、化奈は荷物を持ってそのまま珠樹の自宅を後にした。


 普段から携帯している合鍵で玄関の鍵を閉め、化奈は自宅への道を歩いていく。



 この夏休みは化奈にとってはちょっとしたモラトリアムの期間だが、珠樹にとっては人生を決める天王山になるのだろう。


 それを乗り越えた先にどういう未来が待っているのかは、今は化奈にも珠樹にも分からない。

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