116 気分は乱入者
それからはあっという間に時間が過ぎて、
今回の文芸マーケットには関可大学や神戸昇学院大学など文系の有名大学はもちろん京阪医科大学の雑誌研究会や浪速工科大学の情報文芸部といった理系大学の文芸系サークルも数多く参加していて、僕も立ち読みのついでに他大学の学生と交流して時には冊子を購入した。
気づくと時計は15時を指しており、17時の閉会も近づいてきていた。
土師先輩は店番交代に備えて近くの椅子で休憩しており、お客さんもしばらく途切れていたので僕は近くに立っている猫耳姿の三原さんに話しかけた。
「いやー、今日はお疲れ様です。三原さんは僕よりずっと慣れてるみたいだね」
「拙者は昨年度も参加しておりますゆえ、白神殿や
三原さんはそう言うと分厚い眼鏡を右手でくいと直し、彼女のような働き者の部員がいる限りは文芸研究会も安泰だろうと思った。
「ただいま戻りました。皆、今回はかなり豊作だぞ。目ぼしい大学の部誌の最新号は大体揃ったし他にも『風雲』の参考になりそうなのをいくつか買ってきた。ほら、この通り」
「おおー!」
紙袋を2つ提げて帰ってきたマレー先輩は満面の笑みを浮かべており三原さんも大量の冊子が入った袋を見て歓声を上げた。
「三原君、今日はよく頑張ってくれたから後の呼び込みは俺がやるよ。もう売り切れになってるサークルもあるけどまだまだ面白いのがあるはずだから、残りの時間は好きに会場を見て回って欲しい」
「それはそれはかたじけなく存じます。ではお言葉に甘えて……おっと、お客さんですね」
マレー先輩と交代で島から出ようとした三原さんは来客を見て足を止め、僕もはっと気づいて部誌が平積みされている机を見た。
そこで部誌を立ち読みしていたのは、高級そうなスカートルックに腰まで届くロングヘア、そしてトランジスタグラマーな身体つきが特徴的な若い女性で……
「へえー、これが文芸研究会の部誌なのね」
「あっ…………」
もはや説明するまでもなく、マレー先輩の婚約者である宇都宮美波さんの姿がそこにあった。
原則として受験生とその保護者しか来ないオープンキャンパスと異なり文芸マーケットに参加者の恋人が来ていても別におかしくはないのだが、さっと目をやるとマレー先輩は完全に硬直してしまっており、ここでも美波さんは招かれざる客らしかった。
「どうもどうも、お綺麗な女性に我らの部誌をお読み頂けますとは。ご購入にならなくてもどうぞごゆるりとお読みくだされ」
「あら、こんにちは。医科大学っていうけどあなたも医学生なの?」
嬉々として来客を出迎えた猫耳姿の三原さんに、美波さんがそう尋ねた。
「いえ、拙者は看護学部の2回生でございます。ここにいる面子では唯一の看護学生になりますね」
「ふーん、看護学生さんってキャピキャピした女の子だと思ってたからちょっと意外かも。あ、そういう子はマネージャーになるんだっけ? 玉の
淡々と話してはいるが美波さんには三原さんに対する敵意が
「おほほ、イメージに沿えず申し訳ございませぬ。マネージャーという文化は運動部にしかございませんので、拙者のごとき陰キャラは文化部で細々と暮らしております」
「ああそう。まあ医学生に変なちょっかい出さなければ大丈夫でしょ。あなた程度ならそもそも視界にも入らないでしょうけどね」
「…………」
一貫して敵対的な態度を隠さない美波さんに三原さんは怒る以前に困惑して沈黙してしまっていた。
三原さんにしてみれば初対面の美女から失礼な言葉を繰り返しぶつけられている訳で、相手が自分にここまでの敵意を持っている理由が分からなければ怒りの感情よりも困惑が先行するのは当然だった。
「ごめん三原君、この子は俺の知り合いなんだ。ちょっと用事があるから悪いけどもう少しだけ呼び込みを続けてくれないか。詳しくは後で説明するよ」
「ああ、やっぱり三原さんってあなたのことだったのね。心配して損しちゃった」
「黙れ!」
三原さんを再び罵倒しようとした美波さんに、マレー先輩が叫んだ。
突然の大声によりここにいる部員一同はもちろん周囲のサークルの人も驚いてこちらを見ている。
「……すみません。美波、頼むからここでこれ以上喋らないでくれ。今からそっちに行く」
先輩の表情からは必死で怒りを抑えていることが見て取れ、その剣幕に美波さんもひるんでいた。
机の隙間から島を出ると先輩は乱暴な手つきで眼帯と傷痕のシールタトゥーを顔からはがした。
セイバーXの意匠を脱ぎ捨てた先輩は強引に美波さんの手を取ると、そのままホールの外へと出ていった。
「……あの女性は一体?」
一連の事態を呆然と見ていた佐伯君が呟いた。
「えーと、土師先輩はご存じじゃないですか?」
僕は美波さんのことを知っているが、マレー先輩との付き合いが長い土師先輩はもっと詳しいのではないかと思ってそう聞いてみた。
「マレーに彼女がおるっちゅう話は噂で聞いとったけど、あの子なんちゃうの? やたら三原さんに絡んどった理由は分からへんけど」
「拙者もです。まさかあの美女が拙者に嫉妬しているなどということはありますまいし……」
先ほどの美波さんは完全にマレー先輩の身近にいる女子看護学生である三原さんへの嫉妬で動かされていたのだが、やはりと言うべきか三原さんは全く分かっていなかった。
「あの、個人情報なので詳しくは話せませんけど先ほどの女性はマレー先輩の恋人なんです。嫉妬がひどい人らしいのでさっきも三原さんに警戒してたんだと思います。ただ、ここに来た理由は僕も知りません」
婚約者であるとまで話すと説明がややこしくなりそうなので恋人という表現に留めて事情を話した。
「へえ、そうなんか。まあ彼女なんやったらそう心配することでもないわ。マレーが戻ってくるまで俺らで何とかするで。佐伯君、三原さんと交代で呼び込みやってくれるか?」
「はい、ぜひやりたいです!」
気を取り直し、土師先輩がその場を仕切って文芸研究会はスペースの運営を再開した。
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