117 気分はカタストロフィ
それから15分が経過したがマレー先輩は戻ってこなかった。
先輩が戻り次第よそのサークルを見に行くつもりだった三原さんは島から出られず、僕も流石に心配になってきた。
「土師先輩、ちょっとマレー先輩の様子を見てきていいですか?」
「せやな。いつまでも待っとったら三原さんも出かけられへんし、しばらくは俺と佐伯君で何とかなるで。頼むわ」
土師先輩の許可を得て店番の椅子から立ち上がると三原さんが僕に近寄ってきた。
「ここで待っていても仕方がありませぬゆえ拙者も同行致します。構いませんかな?」
「うん、ありがとう。まずは一緒に行ってみようか」
そうして2人で島から出て、僕らは先ほどマレー先輩と美波さんが歩いていった出口からロビーを抜け出した。
しばらく歩き回ると先輩と美波さんの姿はすぐに見つかり、2人は同じ2階の一画、透明な自動ドアを出た先にある広いバルコニーにいた。
やはりと言うべきか激しい言い争いになっており、僕と三原さんは慌てて自動ドアを通り抜けると2人の仲裁に入った。
「大体、いくら婚約者だからって俺のスマホやタブレットに監視アプリを入れていい訳がないだろう。ああいうのは同意がなければ犯罪にもなるんだぞ!!」
「はあ、同意? 将来を誓った相手のことなんだから常に居場所を把握したいっていうのは当然のことでしょ。そんなにやましいことでもあるの?」
「2人とも落ち着いてください。人前でそんなに言い争うのは……」
「白神君、悪いがこれは俺と美波の問題なんだ」
かなり疲れ切っているのか、僕の言葉にマレー先輩はうんざりした口調で答えた。
「ですが、ここは屋内からも見えておりますゆえ喧嘩をなされるのならビルの外に出られた方がよろしいかと。そもそもなぜこのようなことに……」
困り顔で仲裁を続ける三原さんに対し、美波さんは彼女をきっと睨みつけて叫んだ。
「いい加減にしてよ! たかが看護師風情が医学生様に命令していいと思ってるの!?」
その時だった。
「それも、あんたみたいな不細工が……!?」
ついに三原さんに暴言を吐いた美波さんに、マレー先輩は素早く右手を突き出すと大きな手の平で彼女の口を塞いだ。
「……っ! んぐっ……」
「それ以上、喋るな。……これ以上三原君に失礼なことを言ったら、俺は君に暴力を振るわない自信がない」
必死で何かを喋ろうとする美波さんに、先輩は冷淡な表情で右手に力を込めた。
先輩は美波さんの暴言を暴力で抑え込みそうになったが必死で感情をセーブして、彼女の口を塞ぐだけに留めたようだった。
「三原君、今すぐここを離れてくれ。俺はこれからすぐに戻るから、君は安心して他のサークルを見て回ってくれ。頼む」
「しかし、マレー殿……」
「いいから早く行ってくれ! 何も悪くない君を、これ以上巻き込みたくないんだよ!!」
感情が高揚しすぎたのか、先輩はついに涙声になってそう叫んだ。
「……承知致しました」
三原さんは先輩の意図を察すると僕に軽く会釈して走り出し、そのまま来た道を戻っていった。
僕も後を追おうか迷っている間に、三原さんを無事避難させられたからかマレー先輩は美波さんの口から右手を離していた。
「……っはぁ、はぁ……まれ君、私、苦しかったんだけど」
「初対面の君に罵倒されて、三原君はもっと苦しかったと思うぞ」
「どうしてそんなにあの女の肩を持つの。私よりあんなのがいいって言うの?」
「何度でも言うが、彼女はただの部活の後輩だ。いいから君はもう帰ってくれ」
「やだ。帰るならまれ君も一緒」
なおもわがままを言い続ける美波さんに、先輩は無言で右手を動かすとズボン後部のポケットに入れていた小型のタブレット端末を手に取った。
何をするつもりなのだろうと考える間もなく先輩は両手でタブレット端末を持ち上げると、
「それなら、俺の答えはこれだ」
コンクリートの地面に向かってタブレット端末を投げつけた。
小型のタブレット端末が鈍い音を立てて壊れ、液晶画面が砕け散る。
「……あ、ああ…………」
突然のことではあるが、美波さんが青ざめているのは単に暴力的な行為だからという訳ではないようだった。
「これで君との関係は終わりだ。こんなものがないと信用されないなら俺は君とは付き合えない。今すぐここから立ち去って、二度と俺の前に現れないでくれ。なあ、宇都宮さん」
先ほどまでの激昂はどこかに消え失せ、先輩は嘲笑するような言い方になっていた。
「……そんなのってないよ。ねえまれ君、私、どうすれば許して貰えるの?」
「俺は君のことが好きだったから何をされても許してきたけど、もう許せないんだよ。分かるよね? もう君のことが好きじゃないからだよ」
先輩は冷たく言い放つと壊れたタブレット端末を足で蹴りつけた。
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……」
「泣かれたってどうとも思わないよ。いいからさっさと出てけよ!!」
しくしくと泣き始めた美波さんを先輩は強く怒鳴りつけた。
美波さんはしばらく立ちすくんでいたが、これ以上ここにいても無意味だとようやく理解したのか涙目のまま速足でバルコニーを立ち去った。
僕自身も完全に立ち去るタイミングを逃してしまい、先輩に今から声をかけられる状況でもなかった。
八つ当たりされたらどうしようと一瞬怯えたが、マレー先輩は僕の存在など完全に忘れているようでゆっくりとコンクリートの地面に座り込んだ。
先輩は先ほど壊したタブレット端末の残骸を素手で拾い始め、尖った破片が手の平に突き刺さったのか先輩の両手は赤い血にまみれていた。
血まみれの両手で残骸を片付けながら、先輩は無言で涙を流していた。
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