106 気分は再受験生

 9時20分になっても入試相談には誰も来ず、保護者からの奨学金や特待生制度に関する質問に答えている松島教授の姿を見ながら僕は意外と暇だなあと感じ始めていた。


 その時。


「あの……すみません。現役の学生さんの相談コーナーはこちらですか?」


 視界の外から呼びかけられた声に振り向くと、そこには20代後半から30歳ぐらいに見えるスーツ姿の男性の姿があった。


「おはようございます。その通り、こちらで現役学生による各種相談を受け付けております。どのようなご相談でしょうか?」


 僕が反応するより先に隣の長机にいるマレー先輩が立ち上がり、男性に用件を尋ねた。


「私は社会人からの再受験生でして、今年の大学入試ではこちらの大学の医学部医学科を第一志望にしています。畿内医大は再受験生を差別しないとお聞きしていますが、実際のところはどうなのかと思いましてこんな歳ですがオープンキャンパスに参加させて頂きました」


 男性は丁寧にそう話し、マレー先輩も満面の笑みを浮かべて回答する。


「なるほど、ご事情はよく分かりました。幸いこちらにはちょうど現2回生の白神と、25歳で本学を再受験した渡部がおります。まずは学年の若い白神に学内での再受験生の扱いについてお聞きし、それから渡部に再受験で合格するコツをご相談されてはいかがでしょうか」

「そうなのですね。ぜひそれでお願いしたいです」

「ありがとうございます。では白神君、こちらの方をよろしく頼む」

「はいっ!」


 来客第1号が紳士的な人であったことに感謝しつつ、僕は訪れた再受験生の相談に乗ることになった。



 長机の向かい側の椅子に座ると、再受験生は話を切り出した。


「白神さんは現2回生とのことですが、再受験生は学年の何%ほどいらっしゃいますでしょうか。ここで言う再受験生とは多浪生を除いて、社会人を経験してから受験した人とお考えください」

「そうですね、社会人から30歳ぐらいで入学した人が2名いて、社会人経験者かと言うと微妙ですが4年制大学を卒業後に23歳ぐらいで入学した人が3名ほどいます。一学年が大体110名なので4%から5%ぐらいですね」

「なるほど。畿内医大は多浪生を差別しないと言われますが、三浪以上の学生はどの程度いますか?」

「現役が2割、一浪が3割から4割、二浪が2割と言われているので学年の20%以上は三浪以上または再受験生ということになります。現役と一浪を合わせても6割弱にしかならないので、現役学生としてもこの大学が入試差別をしていないというのは本当だと思います」



 昨年の7月、東京都新宿区にある東都医科大学の医学部医学科に文部科学省の高級官僚が自分の息子を裏口入学させていたことが発覚し、その問題を発端とする捜査によって全国各地の医学部医学科の入試で多浪生並びに女子受験生が差別されていたことが発覚した。


 不正入試の存在が発覚したのは主に臨床医の育成を主目的とする私立大学の医学部医学科だったが、中には兵庫県の国立大学である神山しんざん大学医学部医学科のように地域枠入試で都市部出身の受験生が差別されていた事例もあり、警察が国公私立すべての医大に踏み込んで捜査した訳ではないので今も不正入試の全貌は明らかになっていない。


 この問題の背景には医師の過重労働問題があり、外科や救急、地域医療など過酷な現場で働く医師が不足している現状では「若い男性の医師」が求められるという事情から不正入試が横行するようになっていた。


 とはいっても入試において特定の受験生を加点あるいは減点する場合は大学には事前にその旨を公表する義務があるし、「若い男性の医師」が求められる現状を容認して不正入試を行うのではなく医師の過重労働問題を解決するべきだという意見はもっともだった。



 今年度の入試では不正入試を行っていた大学でも特定の受験生への差別は撤廃されたというが東都医科大学やマリアナ医科大学など特に悪質な不正入試を行っていた医大の評判は地に落ちたままであり、その一方で不正入試を行っていなかったとされる医大の人気は向上していた。


 ただ、特定の受験生への差別がないとされる医大でも全学年の在学生の入学時の状況(現役か一浪かそれ以上か)を公表している訳ではないので、この再受験生も畿内医大の実情を知りたかったのだろう。


 畿内医大は伝統的に多浪生や再受験生に寛容であり、一連の不正入試問題がニュースになっていた時は学長が大学公式サイトで「本学は特定の受験生への差別を一切行っておりませんので安心して受験してください」と堂々と表明していたほどだった。


 在学生の男女比が2:1ぐらいなのはアンバランスと思われることもあるが、医学部受験における多浪生や再受験生の大半は男性なのでそういった受験生が入試で殺到しやすい畿内医大に男子学生が多くなるのは自然な流れではある。



「詳しく教えてくださりありがとうございます。私は今年脱サラしたばかりでもう28歳になるのですが、白神さんの学年の再受験生は周囲から浮いたりしていませんか?」

「30歳ぐらいで入学した人が2名いるとお伝えしましたがお二人とも明るく真面目な人柄で、授業にはほとんど全出席した上で一人はゴルフ部、もう一人はグリー部の主要メンバーとして活躍していますよ。ゴルフ部員の方は既に妻子持ちですが、とにかくキャラクターが明るいので年齢の差を意識することは全然ないです。現役入学者でも周囲から浮いてしまう学生はいるので、再受験生だからという理由で周囲から浮いてしまうことはないと思います」

「そうなのですね。私も出身大学ではテニスサークルに所属しておりましたので、もしこの大学に入学できたら運動部への入部も考えてみます」


 それからもう少し話すと、再受験生は勉強法を教わるため同じく再受験で入学した渡部先輩のいるテーブルに移った。


 渡部先輩と15分ほど話してから僕らに何度もお辞儀をして去っていった再受験生の姿を見て、僕はこの人の努力が報われればいいと率直に思った。

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