104 気分はスマイル

 愉快な先輩や後輩たちと時間を過ごしているといつの間にか時計は8時18分を指していた。


 大講堂の方々ほうぼうの座席に学生や職員さんが着席し始めたので僕もそれに従って椅子に座り直した。


 講堂最奥の教壇よりは少し手前に立って、入試広報センター長を務める微生物学教室の松島教授がスピーチを始める。


「えー皆様、おはようございます。本日は医学部の2019年度第2回オープンキャンパスにご協力頂き誠にありがとうございます。前回に引き続き、教職員と学生の力を合わせて頑張って参りましょう。さて、学生諸君には事前にマニュアルのデータを配ってあるし今日も紙媒体で渡してるけど、このオープンキャンパスで最も重要なのは何でしょうか。じゃあ1回生に聞いてみよう、チャラミツ君」


 場を和ます意味合いもあってか松島教授は僕の近くに着席している計良君に質問を投げかけた。


「はいっ! そうですねー、やっぱりこの大学を受験したいって思って貰うことじゃないでしょうか?」

「まあ間違ってはいないけど、大正解とは言えないね。次、道心君」

「うーん、受験生や保護者に対してこの大学に関する情報を正確に伝えることですか?」

「ちょっとズレたかな。まあ時間もないから正解を言って貰おうか。山井さん」


 松島教授の指名を受け、ヤミ子先輩は颯爽さっそうと立ち上がった。


「松島先生の受け売りですけど、オープンキャンパスで一番大事なのはこの大学にいい印象を持ってもらうことです。その結果としてこの大学を受験して頂ければありがたいですけど、まずはそこまで欲張らずにとにかくいい印象を持ってもらうことに専念すべきなんです。そのために必要なのはスマイル。皆さんもこうやって、にっと笑ってみてください」


 そこまで話すとヤミ子先輩は不自然にならない範囲で口角を上げ、自然な笑みを意図的に作った。



「ほら男子も恥ずかしがらずに、にって笑って」

「は、はい……」


 男子学生の中でもヤッ君先輩は普段からニコニコしているので簡単に口角を上げていたが元々いかつい顔をしている道心君には難しいらしく、必死に口角を上げようとしていた。


「……どうですか? できてます……?」


 低い声でそう尋ねたのは黒根さんで、目に隈があり全体的に暗い雰囲気の彼女が口角を上げて笑顔を作っている姿は若干ホラーだった。


「できてるできてる! そんな感じで、お客さんの前では常に笑顔を浮かべてください。オープンキャンパスに来てくれる受験生や保護者はこの大学にある程度興味のある人たちですけど、だからこそ初対面でいい印象を与える必要があるんです。私から言いたいことはこれだけですけどこの心得だけはぜひ守ってください」


 ヤミ子先輩はそこまで話すとぺこりと頭を下げて着席し、松島先生や入試広報センターの職員さんたちは先輩に拍手を送っていた。



「それじゃあ今から役割分担表に基づいて移動して貰います。山井さん、チャラミツ君は正門前。薬師寺君、滝藤さんは北門前。解川さん、芦原さんは図書館棟前。それ以外の人はここで設営作業。では頑張って!」


 松島教授の指示を受け、大講堂内に集まった14名の医学部生たちはそれぞれ役割に従って動き始めた。


 14名の中には全く知らない人も何人かいたが滝藤さんは確か壬生川さんの女子バスケ部の後輩で、芦原さんは2回生でカナやんの友達のはずだ。設営に回る8名の中には東医研のお茶会でお会いしたことのある5回生の渡部先輩もいて、後で一言挨拶しておこうと思った。



 設営作業のため大講堂を出て講義実習棟5階の小教室に向かおうとすると、講堂前のロビーで剖良先輩と計良君が何やら話していた。


 こっそり近寄って聞き耳を立てると剖良先輩は計良君と向かい合って顔面を凝視し、


「……計良君。あなたが誰にアプローチしたって勝手だけど」

「は、はいっ……」

「二人きりだからってヤミ子に何かしたら、私が許さないから……!」

「ひいっ!」


 そう言うと先輩は計良君ににじり寄り、計良君は恐怖で後ずさりしてロビーの壁に背中を打ちつけた。



「白神君、そろそろ5階に行こう」

「あ、すいません。すぐ行きます……」


 今の剖良先輩に話しかけるのは色々とまずいと直感し、僕はマレー先輩に従ってそそくさとエレベーターに乗り込んだ。

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