94 気分は束縛彼女

 マレー先輩が店を出てから3分ほど経って再び入り口のドアが開く音がした。


「だから違うんだって。大体こんな時間に夜の街を出歩くなんて危ないだろう」

「この目で見ないと信用できない。その白神さんってどこにいるの?」


 男女が言い争っている声が聞こえて、男性の声の主は明らかにマレー先輩だった。


 女の子は店内をドタドタと歩いて僕のそばまで来ると、



「ねえ、白神さんって君のこと?」


 鋭い声色でそう尋ねた。



 女の子は身長150cmを下回りそうなほど小柄で、高級そうなブランドの服に身を包み綺麗な黒髪を腰まで伸ばしていた。


 小さな頭には端整かつキュートな顔があり、小柄なのに出る所は出ているいわゆるトランジスタグラマーな身体つきだった。



「聞いてるんだけど?」


 女の子のかわいさに見惚れていると、彼女はいらついた声で呼びかけてきた。


「あっ、すいません。僕は畿内医大の2回生の白神塔也です。物部先輩とは部活仲間です」

「本当にそうなの? 口裏合わせなくていいからね」

「いえ、別に口裏合わせてないです……」


 ジト目で疑いの言葉をぶつける女の子を見て、この子は癖がありそうだと直感した。



美波みなみ、白神君を困らせるのはやめてくれ。俺は本当に今日は彼と焼肉を食べてただけなんだ」

「ええ、この前部活の飲み会に出られなかったので先輩が個人的にご飯をおごってくださることになって……」


 女の子は美波さんという名前らしく、マレー先輩は困惑した表情で彼女に事情を話していた。


「そうなのね。じゃあ私の心配し過ぎだったみたい。……あの、ごめんなさい。さっきは色々言っちゃって」


 女の子は突然落ち着きを取り戻すと僕にそう言って頭を下げた。


「いえいえ、全然気にしてないですから。ところでこの子は……?」


 店の前でうろうろしていた女の子と先輩は知り合いだったらしいが、一体どういう関係なのだろうか。



 僕の質問に対して女の子は素早く答えた。


「私、宇都宮うつのみや美波みなみっていいます。まれ君の許嫁いいなずけで、将来を誓った仲なんです」

「へえ、許嫁……ってあなたが!?」


 マレー先輩に婚約者がいることは以前聞いていたが、ストーカー一歩手前の人物のようなのでよほど異性にモテない人なのだろうと思っていた。


 しかし目の前の女の子はかなりの美人で、全国的に人気のアイドルグループに紛れ込んでいてもおかしくないほどのキュートさだ。


「そうだ。前に話した婚約者っていうのは美波のことなんだ」

「もう話してたんだ。ねえ白神君、まれ君は私のこと何て言ってた?」

「えっ、いやっ、その、とても美人で気立てのいい女の子だって……」


 この状況で、嫉妬がひどくて苦労させられていると聞いたとは言えない。


「そうなんだー。まれ君、後輩にまで惚気のろけちゃってるんだ。私、まれ君のそういうとこ大好き!」

「あ、ああ、そうか……」


 マシンガンのように喋り続ける美波さんに僕もマレー先輩も完全に気圧けおされてしまっていた。



「あの、そろそろラストオーダーの時間なんですけど……」


 座席の横の通路で美波さんにじゃれつかれている先輩に、店員さんが恐る恐る声をかけてきた。


「おっと、すいません。白神君、他に注文したいものはあるか?」

「もう十分頂いたので、お水だけで大丈夫ですよ」

「分かった。では水を2杯お願いします。美波、すぐ支払い済ませるから店の前で待っててくれないか」

「はーい!」


 先輩がそう言うと美波さんは元気よく返事してから店の外に出た。



 再び元の席に座ると先輩は大きなため息をついた。


「はあ…………すまん、白神君。本当に申し訳ない」

「何というか、元気のいい彼女さんですね」


 マイペースで活発と言えば聞こえがいいが、美波さんは明らかに周囲の人を疲れさせるタイプだ。


「あのな、白神君。俺は今日君とここに来ることを親父以外の誰にも話してないんだ。なのになぜ美波がここまで来れたか分かるか」

「えーと……」


 お父さんに聞いたのではと言おうとした矢先、



「美波は、俺のスマホに監視アプリをインストールしてるんだ」


 ホラーな回答が返ってきた。



「か、監視アプリって……?」

「俺の位置情報はもちろん電話した相手、メッセージアプリの通信相手とその時間まで全部美波に筒抜けなんだ。流石に内容は分からないけどな」

「それって怖くないですか? 何とか削除したりは……」

「そのアプリは特定の操作をしないとインストールされてることすら分からなくて、スマホを初期化してもそのうち勝手にインストールされる。正直どうしようもない」

「ええ…………」


 ドン引きである。



「白神君、君は美波をかわいいと思っただろう。言うまでもなく美人だが美波はやばい女だ。俺の人生最大の悩みは、美波の存在なんだ」

「それは何というか、分かります……」


 美波さんが先ほど「白神さん」の正体を探ろうと必死だったのはマレー先輩が浮気しているのではないかと一方的に疑っていたのだろう。


「今後も美波のことで迷惑をかけることがあるかも知れないが、とりあえずは君が男でよかった。もし女性の後輩だったら俺は指導担当を断っていただろう」

「はい、本当によかったです……」


 僕の方も完全に怯え切ってしまい、それから運ばれてきたお水を2人で黙々と飲んだ。



 白神君も先に出ていてくれと言われて僕は階段を下りて店の前に出た。


 そこには先ほどの美波さんが立っていて、僕の姿を見ると小さく手を振りながら近寄ってきた。


「お疲れ様ー。まれ君が後輩の話してくれたことなんてなかったから今日は驚いちゃった。文芸研究会ってやつ?」


 美波さんにそう聞かれて僕は事情を類推して答え、


「ええ、そうです。昨年度までは男子の後輩がいなかったみたいなので、こうやって食事に行くこともなかったんじゃないでしょうか」

「……男子のって、女子の後輩は去年からいたってこと?」


 早速地雷を踏んだ。



「えっ!? いや、まあ、それは」

「待たせてすまない。ちょっと移動しようか」


 看護学部2回生で文芸研究会の次期主将である三原さんのことをどうごまかそうかと苦慮していると、会計を済ませたマレー先輩が階段を下りてきた。


「ちょっとじゃない! ねえまれ君、私部活に女の子の後輩がいるなんて聞いてないんだけど。その子誰なの? 医学部? それとも看護学部?」

「いきなり何を聞くんだ。確かに看護学部生の後輩はいるけど君には関係ないじゃないか」

「関係ある! 私立医大の看護学生なんてどうせ玉の輿こし狙いの下品な女に決まってるんだから、まれ君に手を出すかも知れないじゃない。その女の名前と連絡先を教えて」


 焼肉店に面した人通りの多い道で美波さんがコンプライアンス的に問題のある発言をした。



「美波、そんなことを人前で言うんじゃない。三原君はそんな人間じゃないし俺に婚約者がいることもとっくに話してる。頼むから落ち着いてくれ」

「三原さんっていうのね。分かった、何とかして連絡先探すから」

「だからそういうのはやめてくれって何度も言ってるだろう!」

「あのー、僕そろそろ失礼します……」


 マレー先輩と美波さんが完全に修羅場になっていたので、僕はとりあえず逃げることにした。



「ああ、すまない。また今度カラオケでも行こう!」

「まだ話は終わってないんだけど!?」


 言い争う男女を背に僕はそそくさとその場を立ち去った。


 本当はこの後カラオケに連れて行って貰える予定だったのだが、もはやそのような状況ではなかった。

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