78 気分は伏見ファンタスティック文庫

 その日の夜。


 19時ぐらいまでかけて分子生物学と生化学の講義資料を見直して過去問に目を通した僕は、夕方の買い出しで確保しておいたスーパーの割引弁当を食べた。


 それからいつもの狭い風呂に入り身体を拭いて洗濯機の洗濯・乾燥コースを明日の朝完了で予約すると、時刻は20時30分頃だった。



 今日はこのまま寝るまで勉強していていいのだが、昼間から6時間は勉強していただけにそろそろ休憩したい気もしていた。


 いつもならタブレット端末で定額制動画配信サイトのテレビドラマを見るかあるいは電子書籍サイトで大幅割引セール時に買った漫画を読むかなのだが、今日はそれに加えて目につくものがあった。


 朝に文芸研究会の部室で貸して貰って下宿の小さな本棚に収納した3作品のライトノベルだ。



 マレー先輩には試験が終わってから読むと伝えたが、今からでも息抜きに少し読んでみる分には問題ないだろう。


 そう思い僕は白い背表紙の『天界のタナトス』第1巻を手に取った。


 そのままベッドの上に腰かけ、読み始めて……



「……はっ!」


 いつの間にか意識を失っていた僕はベッドの上に毛布を被らず倒れていた。


 腹上には文庫本が置かれており、慌てて飛び起きて確認するとその本は『天界のタナトス』の第3巻だった。



 昨晩の記憶を何となく思い出したが僕は『天界のタナトス』を第1巻から読み始め、その面白さに途中で読むのを止めるタイミングを見失って寝落ちするまで続刊を読んでいたのだろう。


 作品の内容もちゃんと覚えているし今は第3巻の途中まで読んだ所という記憶もあった。


 試験勉強中の息抜きのためにライトノベルを読んだのに結局はそのまま勉強せずに寝落ちしてしまったのは大学生にもなって恥ずかしかったが、ともかくそれぐらい面白い作品だった。



 時計を見ると時刻は日曜朝の7時で、まだ空腹でもない。


 どうせ勉強するなら朝食を済ませてからでもいいかということで僕はそのまま『天界のタナトス』第3巻を再び読み始めた。



 その日は1日のほとんどを下宿で過ごし、翌日からの試験に備えたのだが……


「なるほど、次はそう来たか……」


 夜中22時、僕はとうとう我慢し切れなくなって第5巻まで読み進めていた。



 『天界のタナトス』は株式会社ツノカワが有するレーベル「伏見ファンタスティック文庫」から2009年~2012年にかけて刊行されたライトノベルで、作者は立花たちばな公子きみこという女性作家らしい。


 大気圏外から現れる飛行怪獣「天獣エーテル」の襲来を受ける異世界「創天界そうてんかい」で17歳の帝国空軍少尉であるタナトス・鷺宮さぎのみやが時空を超えた戦いに身を投じる物語であり、現代的な世界観に怪獣や異世界といったファンタジー的要素が登場することからジャンルとしてはライトファンタジーになるようだ。


 第1巻の表紙には美少女キャラクターでも怪獣でもなく帝国空軍の軍服を着たタナトスの姿が描かれており、一見すると少年漫画的な内容なのかと思ったが実際に読んでみると僕の想像をはるかに超えたダイナミックな物語だった。



 タナトス・鷺宮は普段は帝国空軍の少尉として天翔てんしょう機関きかんと呼ばれる空を飛べるパワードスーツを装着して襲い来る天獣エーテルと戦っている。


 正体不明の怪獣である天獣は創天界の人々の脅威となっているが物語の開始時点では帝国空軍の活躍でルーチンワーク的に撃退されるようになっており、タナトスもあくまで職務として天獣と戦っている。


 第1巻の冒頭ではタナトスの軍人としての日常が描かれるが、この作品の真の姿はそれに続く展開で明らかになる。



 ある日天獣の襲来に際して部下を率いて出撃したタナトスは突如として異世界シュヴェルトマギーに召喚される。シュヴェルトマギーは創天界と異なり純然たる剣と魔法のファンタジー世界で、タナトスは魔王から世界を救う勇者として召喚されたのだった。


 それからタナトスは様々な時空を行き来しつつ波乱の日常を送るようになり、第2巻では帝国空軍の空中武闘会に参戦している最中に復活した魔王と戦う羽目になったり第3巻では帝国の重要人物を護衛するために高校生として私立高校に潜入したりととにかく突拍子もない展開が怒涛のように続く。



 生真面目な軍人であるタナトスが時空を超えて様々な人物と巡り合い時に共闘し時には敵対する展開にはジェットコースタードラマ的な面白さがあり、作者の高い力量からか文章も非常に読みやすかった。


 また、タナトスは軍人として優秀である上に美しい容姿もあって数多くの女性から思いを寄せられているが交際の申し込みは毎回断っている。というのは彼はとある事情から失踪した姉の息子である11歳のアラタ・鷺宮と2人で暮らしており、6歳下の甥であるアラタのことを実の弟のようにかわいがっているからだった。


 作中の描写は既に兄弟愛のレベルを逸脱しておりタナトスはアラタを恋人のように思っている。僕はこれまで他に読んだことがないので分からないが、この作品はいわゆるボーイズラブ的な要素も強く持っているのだろうと思った。



 読書に没頭している間に時刻は既に24時となっており、ここ最近では珍しく夜更かししたことに驚いて僕は慌ててベッドに入った。


 翌日からは試験だというのに2日間で小説を5巻も読んでしまったが、勉強もしていたから大丈夫だろうと思いつつ僕は早起きに備えた。

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