57 気分は抑うつ状態
2019年5月23日、木曜日。時刻は11時50分ぐらい。
午前中の講義が少し早めに終わったので僕はいつもの座席で林君やカナやんと雑談をしていた。
「そういえば来週で生化学実習も終わりだね。色々大変だったけど実験は結構楽しかったよ」
「まあ実験自体はな……」
僕が何気ない話題を振ると林君は何か言いたげな様子で答えた。
「林君、それって瀬口さんのこと?」
カナやんがある人物の名前を挙げると林君は黙って頷いた。
「ああ、あの人か。僕はまだ1回も遭遇してないけどやばい人なんだって?」
生化学実習の指導は当日に手が空いている教員が担当するが、実習班は学年を5つのグループに分けるため同時に5名以上の教員が必要になる。
手が空いている教員が4名以下の時は系列校から派遣された研究者がヘルプに入ることになっており、瀬口さんというのはそういったお助け教員の一人である畿内薬科大学の大学院生だった。
「俺は前に1回当たったけど、まあひどいの何の。あの人は医学部志望だったけど二浪しても受からなくて薬学部に行ったそうだが、そのせいで医学生にはコンプレックスがあるらしい。親に私立医大受けさせて貰えなかったから俺らみたいなのは特に憎いそうで、男子学生を捕まえては嫌がらせしてる。まだ若い女性だから面と向かって反撃する気にもなれないし。本当に厄介だよ」
「ええー、それはひどいね。カナやんは知ってる人?」
話題を投げてみるとカナやんは首を横に振って、
「実習に協力してる
考えを巡らせながら答えた。
それから3人で他愛もない話をしていると、教室の後方から誰かが近寄ってきた。
「あの……」
静かに呼びかけた声には聞き覚えがあって、振り向いた先には、
「あっ、壬生川さん……?」
とても見覚えがあるのだが今の僕には衝撃的な彼女の姿があった。
ここ最近はラフな格好で定着しつつあった壬生川さんは今日はロングヘアの黒髪を括っていなくて、以前のようなゴージャスなファッションでまとめていた。
小さな高級バッグにはタブレット端末と財布ぐらいしか入っていないようで、どこをどう見ても2つの弁当箱は持っていない。
「ごめん、話してて遅くなっちゃった。食堂行く?」
カナやんの様子に気を配りつつ話しかけると、彼女は何故か落ち込んだ表情で、
「……申し訳ないけど、ちょっと色々あって今日からはお弁当作ってこられないの。また放課後は付き合って貰うけど、お昼ご飯は誰か友達と食べて」
一息にそう告げるとそのまま早歩きで教室を出ていった。
「へっ?」
事態が呑み込めないでいると林君は僕の様子を見てにんまりと笑った。
「あーあー、白神。お前ついに壬生川さんまで怒らせたか」
「いや、そんなこと言われても身に覚えが……」
うろたえつつ答えるとカナやんも口を開き、
「壬生川さんがあんな暗いの初めて見たわ。白神君、本当に何も心当たりないん?」
「うん。カナやんもそう思う?」
大学デビュー計画を実行に移す前も学内における壬生川さんは明るい感じの美人というイメージだったので、カナやんも驚いているらしい。
「まあ、彼女は彼女で色々言われたりしたんだろう。白神とはどうせ研究で付き合うんだし今は深く聞かないであげるのがいいんじゃないか?」
突然僕と仲良くし始めたことにより壬生川さんに関する様々な憶測が飛び交っていることは僕も知っていたので、林君の言うことはもっともだった。
「そうだね、しばらく様子見てみる。どうしよう、カナやんも一緒にお昼ご飯行く?」
「えっ? うちはええけど壬生川さん気にせえへんかな」
「大丈夫。前にも言ったけど僕らは別に付き合ってる訳じゃないから。しかも2人きりじゃなくて林君も誘うし」
念押しするとカナやんはこくこくと頷いた。
「じゃあご希望にお応えして俺も付き合うとするか。女子もいることだし
「OK、よろしく!」
それから林君に先導され、僕とカナやんは久々に昼食を共にした。
うどんをすすりつつ雑談しながら、剖良先輩にしてもカナやんにしても壬生川さんにしても人にはそれぞれ色んな悩みがあるものだと改めて感じた。
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