27 気分は東医研

 2019年4月11日、木曜日。時刻は昼の12時。


 今月は生化学教室の基本コース研修を受けているはずの僕は何の関係もない病理学教室の会議室を久々に訪れていた。



「やっほー、白神君。今日は忙しいのに来てくれてありがとう」


 会議室の奥の方にある扉からやはり自宅のような気軽さでヤミ子先輩が出てきた。


「お疲れ様です。先輩もこんな機会を用意してくださってありがとうございます」


 今日は3回生の授業が午前中で終わる日らしくいつもテンションが高めのヤミ子先輩はさらに元気はつらつとしていた。


「……こんにちは」


 ヤミ子先輩の背中に身を隠すようにして挨拶したのは少し前まで毎日のように会っていた解川ときがわ剖良さくら先輩だった。


「剖良先輩も来られてたんですね。東医研に所属されてたんですか?」

「いや、さっちゃんは今回の件には関係ないんだけど暇な時は私とここで囲碁を指してるの。今も対局中だし」


 話を聞いて教室の奥に進むと、扉の向こうには会議室にあるものよりカジュアルな机や寝転べる大きさのソファが並んでいて机の上には確かに薄めの碁盤が置かれていた。かたわらにはそれぞれ黒と白の石が入った箱が2つ並んでいる。(後で聞いたところによると、この箱は碁笥ごけというのが正式名称らしい)



「へえー。僕はルールすら怪しいレベルですけどお二人ともお上手なんですか?」

「私よりはさっちゃんの方が上手だけど、研究医養成コース生では生理学教室のファン……いや壬生川にゅうがわさんが一番上手かな。2回生だけど話したことある?」

「もちろん知ってますけど、あの子も研究医生なんですね」


 2回生の壬生川さんは学年内でもそれなりに目立つ存在なので知っているがあまり話したことはないし、研究医養成コース生で生理学教室に所属しているという情報は初耳だった。


「次々に新しい知り合いが増えて大変だと思うけど、もうすぐ来るヤッ君も面白い人だよ。別に主将と話したから入部しなきゃいけない訳じゃないし気楽に何でも聞いてみて」

「分かりました。色々ありがとうございます」

「……ヤミ子、そろそろ再開していい?」


 剖良先輩に対局を放置していることを指摘され、ヤミ子先輩はごめーんと言って奥の部屋に戻っていった。





 今日僕がここに呼ばれたのは、2回生からお金のかからない文化部に入ってみようかと先日ふと思いついたことと関係している。


 実家で色々あったせいで部費が払えなくなって剣道部を辞めたのは昨月のことになるが、僕はもともと兼部をしていなかったので今はどこのクラブにも所属していないことになる。


 剣道部の友達とは今でも仲良くしているし林君など部活外の友達も元々いたので人間関係には困っていないが、やはりどこの部活にも所属していないのは寂しい。


 部費は年に2万円も払えないし2回生の間は放課後も土曜日も長期休暇も研修で潰れるので運動部はとても無理だが、お金がかからず活動日数も少ない文化部なら何とかなるのではないかと考えていた。



 今週火曜日に偶然お会いしたことをきっかけに、僕はひとまずヤミ子先輩に相談してみた。


 普通の新入部員と違って2回生からの入部になるので同学年の友達にはどうにも相談しにくいし、文化部の友達はそれほど多くないという理由もあった。


 写真部は検討中と言いつつ他のオススメのクラブを教えて欲しいという都合のいい話にも関わらずヤミ子先輩は親切に相談に乗ってくれて、今日のこの時間には東洋医学研究会(東医研)の主将と会って話をさせて貰えることになっていた。


 東医研の主将である3回生の薬師寺やくしじ先輩(通称ヤッ君)は薬理学教室所属の研究医養成コース生なのでヤミ子先輩とも友達で、6月には薬理学教室の基本コース研修で僕への指導を担当してくれることになっているから今のうちに仲良くなって損はしないだろうという配慮らしい。


 こういった様々な幸運が重なって僕は今日ここに呼ばれたのだった。



 今日の放課後も本来は生化学教室の基本コース研修が入っているが毎週月曜と木曜の放課後は陸上部の練習でカナやんが不在だし、今日は成宮教授など先生方も全員スケジュールが埋まっているため久々に予定がフリーな平日になっていた。


 たまには研究医養成コースのことを忘れて学生らしい1日を過ごすのも悪くないと思った。

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