13 気分はよく分かる
ようやく気持ちが落ち着いてきて目頭をシャツの袖で拭っていると、近くで誰かが話す声が聞こえてきた。
もし剣道部員だったらあまりにも恥ずかしいと思い、僕は慌てて声が聞こえる方向を探った。
声は競技場の方から聞こえていて、今現在も聞こえ続けていることから僕の様子を見た人物のものではないと類推できた。
ここの路地裏は競技場の真裏からさらに奥にあるので普段は清掃員さんでさえ入り込まない。
声がするとすれば競技場の裏だろうと考えた僕は来た道を戻り、声がする方に近づいた。
案の定声の主は競技場の真裏にいるらしく、方向からすると弓道場側だった。
「……だから、友達にやめといた方がいいって言われても俺は気持ちを伝えたかったんです」
声の主は必死に何かを訴えかけていて、声質から男子学生なのだろうと思われた。
「解川先輩に好きな人がいることは知ってます。だからこそ俺は勉強も部活も頑張って、その人を超えられるようになるつもりです!」
解川?
ときがわ?
あの解川先輩か?
思わず息を飲み、僕はさらなる展開を待った。
「ありがとう。
声を聞いて一瞬で分かった。
あの解川先輩だ。
確かに桜木先輩から聞いてたけど、噂を聞いた直後にその現場を目撃するのは出来すぎていないか。
あと柳沢君は同級生なので普通に知ってるし実習でよく顔を合わせたから後半グループでは仲がいい方だ。
「私も柳沢君のことは後輩として大事に思ってるし、その気持ちも素直に嬉しいと思う」
あ、これ駄目なやつだ。
「それなら……!」
よせばいいのに、柳沢君は目を輝かせて解川先輩の返事を待っていた。
「でも、柳沢君がどれだけ頑張って素晴らしい弓道部員になってくれても、私があの人より君を好きになることは絶対にないから。今はこれ以上の返事はできない」
ああ、終わった……。
柳沢君はそのまま絶句して言葉では表せない表情(ポジティブな意味ではない)で立ち尽くしていたが、しばらくすると泣き出しながら走り去っていった。
僕はこの状態で出ていくほど空気が読めない人間ではないので解川先輩がこの場を去ってから10分ぐらい待とうと考えていると、
「そこにいるのは誰?」
と問いかけられた。
黙ってやり過ごそうにも、先輩は誰かが隠れていると気付いたらしく早歩きで近づいてくる。
こんなとこ路地裏のまた路地裏でしょ? と脳内で唱えて現実逃避しているとあっという間に先輩と相対することになった。
「白神君……」
相手が僕だとは思わなかったらしく、解川先輩は少し驚いた顔をしていた。
こういう表情を見たのは初めてだったので何となく新鮮な感じがした。
「は、ははは、先輩、これは奇遇ですね……」
こういう修羅場は新鮮でもありがたくない。
「自慢じゃないけど、空間認識能力には自信があるの。どこから聞いてた?」
すぐに冷淡な表情になって解川先輩は事実関係を問い詰める。
「えーと、柳沢君が先輩に告白した所から……」
「ほぼ全部ね」
先輩は吐き捨てるように言った。
「ところで、どうしてあなたまで泣いてるの?」
「詳しくは話せないですけど、先ほどの件とは一切関係ないので安心してください」
先輩のキャラクターを考慮すればこれぐらいの説明で十分だろうと判断して答えた。
「そう……」
先輩は静かに頷くと、近くに置いてあったコンクリートのブロックに腰かけた。
「弓道場に戻らないんですか?」
先輩は既に私服に着替えていたが、まだ11時だったので練習が終わるには早いと思った。
「あの空気のまま一緒に弓道場に戻りたくないから、二人で部室整理をするって言って私たちだけ先に練習を抜けてきたの」
事情を聞き、流石は何人も玉砕させてきただけあるなと感心してしまった。
「11時半には他の部員も帰るから、それまで話し相手になってくれない? 一緒に研究室に行けば丁度いいし」
これといって断る理由もないので、僕はこくこくと頷いた。
互いに少し離れたコンクリートブロックに腰かけ、僕らはリラックスして話していた。
「白神君の学年が入部してきてからこれで3人目。同級生とか先輩も含めたらもうちょっと増えるかも」
マンネリ化したイベントに疲れた様子で解川先輩は僕にそう話した。
「そんなに何度も告白されたのに、気に入った人はいなかったんですか?」
聞くだけ野暮だと思いつつも僕は尋ねた。
「他に好きな人がいるっていうのは嘘じゃないし、誰もその人より好きになれないっていうのも本当。私、嘘はついてないから」
桜木先輩から聞いた話と微妙に違うが、この発言こそ真実なのだろうと理解できた。
「男の子は単純に私を好きだって言うけど、それは私の何が好きなんだと思う?」
先輩の問いかけに対して僕は素直に、
「色々魅力的な点はあると思いますけど、まずはルックスじゃないですか?」
と答えた。
「結局、そういうことよね」
解川先輩はため息をついて言ったが、呆れているというよりは悩んでいる風に見えた。
ふと思いついて僕からも、
「じゃあ先輩はその人のどこが好きなんですか?」
と聞いてみた。
「やっぱりルックスの要素は大きいと思う」
先輩はあっさりと認め、すぐに続けて、
「ルックスっていっても、テレビ番組とか雑誌を見ればもっと綺麗な人は沢山いるの。そういうのじゃなくて、私にはあの人が誰よりも魅力的に見えるってこと」
と言った。
僕と先輩の美的価値観は異なるだろうがその恋愛観にはかなり賛同できた。
「柳沢君は私が目当てで入部したからそのうち弓道部にも来なくなると思う。何回も続けば大体分かるようになるの」
「そうですか……」
先輩自身は純粋に弓道が好きなのだろうが、こういう事態が続けばクラブとしては困るだろう。
「いっその事、先輩からその人に思いを伝えてお付き合いしてみては?」
斬り込んでみると、
「もう伝えて、はっきり断られた。このまま親友でいようって」
予想通りの答えが返ってきた。
まあ、確率的にはそうなる可能性の方が高いよな……
「今もあの子は一番の親友でいてくれてるけど、私から好きだって言ったからただの友達には一生戻れないの。そのことは本当に後悔してる」
先輩は一息にそう言うと目を伏せた。
僕が人生で同じような悩みを持つことはないと思うが、先輩の苦悩は理解できた。
「ちょっと変な話しちゃったけど、私は今のままで幸せだから。せめてあの子には好きな人と幸せになって欲しいと思う」
顔を上げると先輩は自分自身を納得させるようにそう言った。
今回は少しも変な話ではないと思ったけど、僕はあえて何もコメントせず黙ってゆっくりと頷いた。
「それはそれとして、今日も免疫染色頑張って。丁度いい時間だし、一緒に学食でも行ってそれから教室に行きましょう」
「はい、よろしくお願いします!」
先輩が元気を取り戻してきたことに安心しつつ、また昼食代が浮いて喜んでいる自分は我ながらせこいと思った。
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