第58話 すれ違った気持ち

――――――――――


「何がどうなったんだ……」


 ゆっくりと目を開けると、一面爽やかな青い景色が目に入った。


(空だ……)


 ゆっくりと流れる雲を見る限り、充は自分が横になって空を眺めた状態であることに気が付く。


「大丈夫か?」


 充の顔を覗きこみ心配そうに尋ねたのは、赤い髪の女性だった。彼はそれを見てぽかんとした。茜が元に戻っている。


「茜?」


 彼は勢いよく体を起こすと、じっと茜を見る。しかし見られている方は不審な顔で見返した。


「そうだが……」

「元に戻ってる……」

「は?」


 ほっとする充とは違い、彼女は怪訝な顔をする。


「だって、さっき、雰囲気が違っていたから」

「雰囲気?」

「言葉遣いも変だし、沙羅の……」


 気まずくて、一度言葉を切る。


「『沙羅の』なんだ」


 促され、充は茜の表情を伺いながらぽつりと言う。


「首を締めて……殺そうとするし……」

「あたしが……?」


 茜は不快そうな表情を浮かべ、首をひねる。心当たりがないと言った様子だ。


「うん」

「そんなことをするわけないだろう」


 どうやら沙羅の首を絞めていたことを覚えていないらしい。


「覚えていないの?」

「何のことかさっぱり。……寧ろお前のほうが大丈夫か? 熱でもあるんじゃないか?」


 充はむっとして言い返した。


「そんなわけないだろっ」

「むきにならなくても」

「だって本当に……まあ、いいや。なんにせよ、元に戻って良かった」


 茜は充がほっとして肩の力を抜いているのを不思議そうに眺めてから、周囲を見渡した。


「それよりここはどこだ?」


 言われて充も視線を巡らせる。分かるのは垣根で囲われた、どこかのお屋敷の外らしいということ。近くには質素だがしっかりとした門が構えられ、それ以外はだだっ広い畑が広がっている。冬の季節だったはずだが、春のように暖かく、淡い青空のなかで雲は緩やかに流れており、長閑のどかだ。


「僕も分からない。でも、お天道様が何かしたみたい……っていうのは分かるけど」

「天つ日が?」


 茜は驚いた顔をしたあと、すぐに苦虫を嚙み潰したような顔をする。


「嫌な予感しかしない」

「でも、茜は助けられた。あとは沙羅だ」

「君、天つ日に何を頼んで、何を盗られた? あいつはただじゃ動かないだろ」


 ずいと顔を近づけ、探るような表情でじろじろと充を見る。彼は気圧けおされながらも、「いや、盗られたものはないよ」と答える。


「本当か?」

「本当だ」


 そう言って頷く。実際、充は天つ日に何も盗られていない。「約束」はしたけれど。


「まあ、いい。それなら天つ日に何を頼んだんだ」

「茜と沙羅の因縁を断ち切りたい、と」


 すると茜は目を見開いた。


「……誰かに聞いたのか?」

「桜に」

「どこまで?」


 責めるように聞いてくるので、充はそろりと視線を外してぼそぼそと答えた。


「……大体は聞いたと思う。沙羅のお父さんが、茜のお父さんを術にはめてしまうきっかけを作ってしまったこと、それから沙羅の体に茜のお父さんを元にした、鬼墨というものが付いてしまっていること……」


 茜は「ちっ」と舌打ちをする。


「……碌でもない狐だな。関係ない奴を巻き込みやがって」


 桜のことを罵った彼女に、充は「僕はそうは思わないよ」と言う。


「あんな化け狐なんか庇うなよ。君だって最初は迷惑してたじゃないか」


 痛いところを突かれ充は少し怯んだが、「それはそうだけど……」と言って、思ったことを口にした。


「でも、沙羅に薬を飲ませたり、怪我の手当てをしたりしているうちに思ったんだ。茜は最初から沙羅のことを嫌ってなんていないし、沙羅も茜のことを思っていたんじゃないかって……」


 茜は眉を寄せて「……どういうことだ」と充に聞いた。彼は、しっかり深紅の瞳を見て答える。


「もし、沙羅のことがどうでもいいと思っていたんなら、銀星の血で暴れたときに放っておくと思うんだ。でも茜はそうしないで、葵堂うちに来た。それは君が沙羅のことを心配している証拠だと僕は思う。そのあとも毎日のように茜が沙羅と格闘するところを見てきたけど、茜は沙羅が怪我しないように気を使っていた。そうじゃなかったら、あれだけ暴れておいて擦り傷でなんて終わらないよ。骨の一、二本はとっくに折れているはずだ」


 茜は黙って話を聞いている。充は構わず続けた。


「それに沙羅も正気に戻ったとき、茜のことを『可哀そうだ』とか『優しい赤鬼と人間の子だから、私を捨てられない』って言ったんだ。もし沙羅が茜のことをどうでもいいと思っていたら、こんな言葉は言わない。だって、これって自分が茜のお荷物になっていることを、自覚しているからこその言葉だと思うから」


「……それで?」


「茜も沙羅もお互いのことを思っているのに、どうして向き合うと戦い合ってしまうんだろうって思っていた。それは確かに、銀星の血を飲んでしまったのがいけないのかもしれないけど、もっと奥底に何かあると思って……それで、桜に二人の父親の話を聞いてようやく納得した。二人はお互い思い合っているのに、すれ違ってるって。それって悲しいことだ。僕が、母さんたちに大切にされているのに疑っていたのと同じように」

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