第57話 天つ日との約束

 充は反射的に、声が聞こえた方を振り返る。するとそこには、白い着物を身にまとい、白金色の波打った長い髪をした女性が、悠然とした様子で立っていた。


「あなたは?」


 充は茜と沙羅のほうを気にしつついて問うと、女性はゆったりとした口調で答えた。


「我は天つ日。またの名をお天道様という者」

「お天道様……って、あの祠の、ですか?」


 祀られている者が実体を持ち、さらに人前に現れるものだろうか、と不思議に思い聞くと、彼女は艶やかで淡い桃色に光る唇に笑みを浮かべる。


「そうだ。葵堂の子」

「……」


 充は彼女から畏怖のようなものを感じ、ごくりと唾を飲む。


(『葵堂の子』……。ということはお天道様は、僕のことを知っているってことだ)


 そして崇められるべき存在のはずなので、きっとちゃんと挨拶をしなければならないのだろう。

 しかし、今はそれどころではない。充は「失礼なのは重々承知していますが、お尋ねします」と前置きしてから天つ日に聞いた。


「すみませんが、先に茜がこの手を放してくれるにはどうしたらいいかを教えてもらえませんか⁉」


 茜のこの状況を知っているということは、それを戻す方法も知っていると思ったのだ。だが彼女は面倒そうにため息をついて言った。


「そのまましておけばよかろう。『堕突鬼きとつき』の『白寂はくじゃく』になったのだから、殺されるのが運命」

「そんな……!」

「お前も葵堂の者なら知っているはず。堕突鬼きとつきになった者は、全て殺されると」

「でも、このまま沙羅が死んでしまったら目覚めが悪すぎます! 茜は沙羅のことを思っていたし、沙羅も茜のことを思っていたのに!」

「だから言うているであろう。沙羅は茜に殺されるために自ら堕突鬼きとつきになったのだ」


 充は目を見開き絶句した。


「沙羅は茜の父の話を聞いたときから、自分はこの世に居ても仕方がないと思ったのだ。まあ、それなら自死してもよかったのであろうが、せめてもの罪滅ぼしとして、茜に殺されようと思ったのだろう」

「どうしてですか!」


 すると天つ日は笑う。


「我がそそのかした。半鬼は、鬼として中途半端。だが、堕突鬼きとつきと戦えば本当の鬼になり、強くなれると」

「じゃあ、まさか……茜が今の姿になっているのは……」

堕突鬼きとつきと戦ったからだ。だが、これは我が付いた嘘」

「え……?」

「本当は堕突鬼きとつきと対峙したところで、半鬼は半鬼のまま」

「それなら、どうして……!」


 充が理解できない、といった様子で悲痛な声で言う。しかし天つ日は淡々と語る。


「沙羅の体についているのは、茜の父、絳祐のもの。邪気化したとて、親子の血というのは切っても切り離せないようだ。どうやら、茜のなかにある鬼の血が共鳴して強くなっているらしい」

「あなたはそれを全て分かってやったというのですか?」

「その通り。だが、責めは受け付けぬ。そなたがどう思うとも、我はこの先、この地にとって必要なことだからやったまで」


 充は悔しさで下唇を嚙みしめる。

 しかしお天道様という存在は、人間の考えが及ばぬことをする存在なのだろう。彼女の言う通り、責めるのはお門違いなのは何となく分かる。だが、ここで諦めるわけにもいかない。


「……分かりました。あなたのことを責めることはいたしません」


 天つ日は驚いた顔をする。予想外のことだったらしい。


「でも、僕は二人を助けたいんです! お願いです、どうか二人が助かる方法があるなら教えてください!」


 すると彼女は何か面白そうなものを見つけたような、楽しそうな表情を浮かべると「分かった」と言った。


「本当ですか?」


 思った以上にすんなりと頷かれたので、充は拍子抜けした顔をする。


「ああ。その代わり、お前からは一つ約束してもらおう。我はただでは動かぬゆえ」


(なるほど、そういうことか)


 最初から何かを差し出す前提だったなら、納得である。

 しかし、充も全ては差し出せない。母に、兄に、必ず帰ってこいと言われている。そのため、彼はこう言った。


「自分ができることなら約束いたします」


 すると天つ日はふっと笑い、さっそく充に近づくと耳打ちをした。鈴の音色のようなきれいな声に背筋がびりびりと震えたが、彼はそれを聞くと、覚悟を決めた表情に笑みを浮かべる。


「——構いません。それに元々そうするつもりでしたから」

「よい覚悟だ。では、少し力を貸してやる。だが、は自分たちでなんとかせよ」


 すると、さあっと風が吹き、緑色の葉っぱが充の前を通り過ぎた。季節的に緑の草はほとんど見当たらないというのに、どういうことだろうと思っていると、それが突然眩い光を放った。


「うわっ……眩しっ!」


 充は目を覆うと、強すぎる光に何も見えなくなった。


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