第56話 形勢逆転?
(く、苦しい……!)
首を絞める手は驚くほどの怪力で、その状態のままゆっくりと地面から浮かせられてしまう。
かろうじて首の間に両手を挟めたから抵抗できているものの、下手をしたらすでに折られていたかもしれない。
「く……うっ……!」
土埃が収まっていき、充は自分の首を掴んでいる人物を見る。
「さ……ら……!」
それは沙羅だった。目の前の獲物だけを着実に殺そうとする獣は、ぎらぎらと恐ろしい瞳で充を見つめ、口元には笑みを浮かべている。
「や……めて……く……れ」
充は苦しみと首筋に当たる爪が食い込む痛み、そして
(沙羅は、人を苦しめたりする子じゃないのに……)
以前正気に戻った際に話した際に、彼女が言った言葉を充は思い出していた。
—— 茜が可哀そうだから。
—— 優しい赤鬼と人間の子だから、私を捨てられない……。
何故そう言ったのか、桜に茜と沙羅の因縁について聞いてからなら分かる。
(父親を術にはめた男の娘を見なくてはいけないのは、あまり気分のいいものではないはず。沙羅はそう思ったから「可哀そう」だと言ったんだ……)
彼の目からは涙がこぼれる。息苦しさで出てきたものでもあったが、正気の沙羅のことを思い出すと悲しくて仕方がなかった。
(優しい子なのに……、茜を思っているのに……、どうして鬼になんてなって傷つけ合っているんだろう……)
だが、充が抵抗する手ももう限界だった。自分の体からみしみしと嫌な音がする。骨が折れるか酸欠で死ぬかは時間の問題だろう。
母に「絶対帰ってきなさい」と言われていたことが思い出されたが、充は心のなかで謝った。
(もう、無理……かも……、ごめんなさい……)
諦めかけたそのときだった。充の左側の視界に赤いものが見える。
(なん……だろう……)
そう思った途端、充の首を掴んでいる手が急に緩まる。お陰で彼はようやく呼吸が楽になり、その場に座り込むと足りなかった分を補うように大きく息を吸った。
「けほっ、げほっ……!」
助かった、と思って沙羅を見上げると、今度はぱたぱたと鮮血が降ってくる。驚いて視線を巡らすと沙羅が腕を怪我をした痛みで苦しんでいた。そしてその隣では茜が静かに立っている。
(あれ……茜?)
しかしその雰囲気は先程とどこか違う。また髪もまるで燃えているかのように赤く光っており、八重歯が伸びて牙になっていた。
「あか……ね?」
何かが変だなと思いつつ充が尋ねると、彼女は深紅の瞳でじっと充を見下ろした。
「茜?」
「すまなかった」
彼女はそう言って謝ると、痛みに唸っている沙羅の首を右手でむんずと掴み掲げると、充にしていたように締め始めた。
「茜! 何をしているんだ!」
充は茜に向かって叫んだ。
「こいつを殺す」
充は耳を疑った。先程まで沙羅を助けようとしていたはずだ。それなのにどうして急に気持ちが変わってしまったのだろうと思った。
「はぁ⁉ 何言ってんだ! ちょっと待てって!」
充は立ち上がると薬を準備し、必死になって茜を説得する。
「薬を飲ませるから、物騒なこと言うな!」
首を絞められている方の沙羅は抵抗ためか、首のあたりから黒い
(急がないと!)
充は袖に入れていた「桃守香」を自分の手に出すと、沙羅が苦しみで口を開けたすきに放り込んだ。
「よしっ!」
うまくいった。だが茜は沙羅の首を絞める手を緩めない。沙羅の苦しそうな表情を見る限り、むしろ強さを増しているようだった。
「茜! やめろ、手を離せ! 薬を飲ませたんだからいいだろう⁉」
「利くか分からぬものに頼るつもりはない」
「確かにそう言ったけど……っ! 茜だって、薬が効くことを期待していたじゃないか! いいからその手を緩めろ! じゃないと、薬が効く前に沙羅が死んでしまう!」
「構わない」
「馬鹿! このわからずや!」
充は意を決すると、沙羅の首を掴んだ茜の腕にしがみついて引きはがそうとする。
「止めろったら!」
しかし充が引っ張ろうが何しようがびくともしない。
(茜、どうしちゃったんだ? さっきは沙羅に力負けしていたのに、急に強くなってる。雰囲気も話し方も違うし……!)
「何でこんなに強いんだ……!」
充が文句を言いながら、茜の腕にぶら下がっていると、「茜が手を離せないのは、沙羅が茜に殺されることを望んでいるからだよ」と、緊迫したこの場に合わぬ、ゆったりとした口調の声がした。
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