第55話 充の危機
「茜、あのさ」
充が茜に話しかけようとすると、声に反応したのか、沙羅が
「え! うわ! 沙羅、ちょっと待って!」
充はそう言ったが、正気ではない沙羅は聞く耳を持たない。
「待ってって言ってるのに!」
やけくそで叫びながら逃げ出すと、代わりに「沙羅こっちだ!」と茜が沙羅を呼び、充から自分のほうに気を
充は安堵したが、沙羅の行動を目で追ってほっとしている暇もなかった。彼女は高らかに飛び上がると、大きく右腕を振り上げ、茜に向かって拳を振り下ろす。
「危ない!」
「分かってる!」
その瞬間、どーん! という地響きと共に土と枯れ葉が舞い上がった。
「口に、土がっ……」
充がしゃがみ込みぺっ、ぺっと土を吐き出していると、土埃で良く見えなかった景色があらわになる。するとそこでは目にも留まらぬ肉弾戦が繰り広げられていた。
「あ、茜……」
呆然と見ていると、茜が充に向かって突然叫んだ。
「そこでぼうっと座っているな! 危ないから逃げろ!」
言われてはっとする。自分はやるべきことがあってここに来たのだと。
「悪いが逃げられない! その代わり協力してくれ!」
「何⁉︎」
茜は沙羅の攻撃をいくつか交わすと「ごめん!」と言って、彼女の右わき腹に強烈な蹴りを打ち込む。すると沙羅は山小屋のほうへ吹っ飛んでいき、派手な破壊音が響いた。
「で、何するって?」
素早く充のほうに移動してきた茜が、肩で息をしながら問う。
「ちょっと待て。沙羅は無事なのか?」
あそこまで攻撃は、さすがに銀星の血で暴れているときでもしていなかったので、充は恐る恐る尋ねた。ただの人間があの攻撃を喰らったら、即死している。
茜はしゃがんだ充を見下ろしながら、「君、人よりも自分の心配をしなよ」と呆れた様子で言った。彼女の指摘は尤もである。今の沙羅が襲ってきたら、充はひとたまりもない。
「そうだけど……」
小さく呟く彼に、茜は大きく息を吐き出すと「大丈夫だろ」と言った。
「え?」
「大丈夫だ、と言った。
充は腑に落ちてはいないが、「分かった」と頷くと、立ち上がって「桃守香」が入った薬を見せた。
「薬か?」
充は「うん」と頷く。
「母さんから貰って来た。沙羅の口に放り込めれば、正気を取り戻させることができるかもしれない」
すると茜が深紅の瞳を見開いた。信じられない、といった様子である。
「本当か?」
「試したことはないから、効き目があるかどうかは分からないって言ってたけど、妖老仙鬼が作ったものだって言ってたし、少しでも可能性があるならやった方がいいと思うんだ。茜だって、沙羅が元に戻ることを望んでいるだろ?」
充の問いに、茜は少し笑った。
「当り前だ。こんな状態にさせておくのは胸糞悪すぎる」
「うん」
充もつられて笑ったあと、すぐに表情を引き締めた。
「作戦は? どうやって薬を飲ませる?」
「僕が沙羅の口に薬を入れる」
はっきりと断言したので、茜は目を見開くと少し心配そうな表情を浮かべた。
「できるか?」
「やるしかないんじゃないかな。だって茜が沙羅を抑えながら薬を口に入れるなんて無理だろ?」
すると茜はにっと歯を出して笑う。
「それじゃあ、任せたよ」
「ああ」
二人は頷き合うと沙羅がいる方向を見た。
「いいか、充はとにかく逃げろ。あたしが全て沙羅の攻撃を受け止める。とにかく捕まえて口を開かせるから、そのときに放り込め」
「分かった」
そして茜は山小屋のほうへ近づく。すると、屋根が内側から出てきた
「……来い!」
茜は沙羅を見て叫ぶ。
沙羅はしばらく屋根の上に立っていたが、突如として体の力が抜け倒れるかと思うと、そのまま屋根を駆け下りて下にいる茜に飛び掛かった。
「充、離れろ!」
茜は赤い髪を翻し、後ろを振り返って充に注意すると、自分は沙羅に殴られる前に横に避ける。だが、その瞬間沙羅の腕が横に流れ、茜の顔に確実に当たる。逃げようとする茜の速度を上回ったのだ。どうやら先程の茜の攻撃は、今の沙羅にとって痛くもかゆくもないらしい。
「うっ!」
低いうめき声が聞こえると、沙羅は態勢を崩した茜をここぞとばかりに突きと蹴りを入れてくる。茜は精一杯応戦するが、一度作った隙のせいで防御は不完全、攻撃も重いものが入れられていない。
「茜……!」
充は戦う茜の様子を見ながら、ぎりっと奥歯をかみしめた。苦しそうに戦う彼女の様子を見ていながら、自分に何もできないことが悔しい。
(僕も茜のように、沙羅の気を逸らすことができたらいいのに……!)
しかし、下手に沙羅の名を呼んでこちらに来られても、茜が苦労するだけである。沙羅が充に襲い掛かったら、守ってもらうことになるのだから。
(何とかできないかな……何とか……!)
充が打開策を考えていると、突然土埃が舞って視界が悪くなった。沙羅の攻撃が再び地面に当たったのだろうが、威力が先程のものとは非にならない。
(茜は無事だろうか。心配だけど、このままじゃまずい。茜たちがどこにいるか分からない……!)
二人の姿を見失うということは、下手をしたら戦いの邪魔になるということだ。そうなっては折角の作戦も意味をなさなくなる。
(視界のいいところに出ないと!)
充はそう思い、感覚的に北側にある山小屋から南側に向かって歩いていたときだった。突然人影のようなものが揺らりと見える。沙羅だったらまずいと思い、踵を返した途端、目の前に爪の鋭い手が現れ首を掴まれた。
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