第54話 獣

 充を見送った後、類は腕のなかにいる銀星を見下ろして睨みつける。


「どうした、類。気に喰わないことでも?」


 苦しそうにしつつもにやりと笑って嫌味を言う彼に、類は「大アリです」と言った。


「私のことを足止めするように言われましたか?」


 その問いに銀星ははっとすると、目を伏せる。


「言われてはいない……が、多分められた。悪い、こんなことになって……」

 素直に謝られてしまい、類は少しバツの悪い顔をした。つまり銀星もこんな風になるとは予想していなかったということだろう。

「……あなたの意志じゃないなら許します」


 そういうと、類は背負ってきた薬箱のなかから陶器の器を出し、「水薬みずぐすり」を入れる。色は白。類はそこに水を注ぐと銀星に言った。


「飲んでください。妖老仙鬼からもらった痛み止めです。内出血にも効果があります」


 類が銀星の口元に器を近づけると、彼は素直にそれを飲み、ほっとしたように大きく息をはいた。


「助かった。実は動けないぐらい痛かったんだ」

「やせ我慢せずに、最初からそうおっしゃってくださればいいのに」


 類はそう言って手拭いを取り出すと、脂汗で濡れた銀星の顔や首の後ろなどを優しく拭く。銀星は黙ってされるがままになっていたが、しばらくするとぽつりと呟いた。


「少しでも早く充を先に行かせたかったんだ。もしかしたら、あの子なら……何とかできるかもと……」

「銀星さんまでそういうんですか?」


 充にしかできない、ということは、確実に彼の身に危険が及ぶということである。類は代わってやりたくても、代わってやれない。それがもどかしい。


「悪いな、類……。全て天つ日にしてやられた……」

「……」

「それに……今日は……天狐がいな……」


 銀星は言い終わる前に、すうっと類の腕のなかで眠ってしまう。類は水薬の白を飲ませる際に、気づかれぬよう桃色の水薬も一緒に溶かしていたのである。桃色の水薬は睡眠薬。体に吸収される速度が速いためか、効果が表れたらしい。


「銀星さん、ごめんなさい。ここでちょっと寝ていてくださいね」


 襟巻にしていた肩掛けを外すと、それを枕にして銀星を寝かせる。そして、その辺りにある落ち葉を彼の体の上にかけると、類は再び薬箱を背負って上を目指すのだった。


――――――――――


(つ、着いた……)


 充は息を切らせつつも、山小屋のある場所まで辿りつく。だが、どこかいつもと違う。空気がぴんと張り詰めたように緊張していて、入ってはいけないような感覚がある。


「何でこんな状態になっているんだろう……」


 そう声に出した思ったとき、充ははっとして理由に気が付いた。


(そうか。音が聞こえないんだ。半妖の子どもたちの声も、鳥の声も、風の音すらも……)


 ゆえに、足がすくむ。しかし、山小屋のあるこの場所へ入らなければ、その先へ行くことすらもできず、沙羅を助けることすらもできない。


(よし、行こう)


 充は意を決すると、一歩、また一歩と山小屋に近づく。何かただならぬ嫌な雰囲気があるが、それでも彼は進み続け彼女たちの名を呼んだ。 


「沙羅! 茜! どこにいるの⁉」


 だが、返事はない。そしてほかの半妖たちがいる気配もしない。


(皆、どこかに避難したのかな……。それならそれでいいけど)


 と、その時だった。


「充、危ない!」


 そう言って、充に突進しそのまま倒れこんだのは茜だった。


「茜! 良かった! 見つけられないかと思ったよ!」


 茜の姿が見えて安堵した充に、彼女は怒鳴る。


「馬鹿! なんで来た!」

「何でって、二人のことが心配で」

「悪い!」


 だがまた攻撃が来たのか、充は茜に横抱きにされると、その場から飛び退すさる。


「うわっ!」


 説明をしようとするが、している暇がない。しかし茜に抱えられたお陰で、充は危険を回避できたようである。女の子に抱きかかえられて羞恥はあるが、先程までいた場所の地面が大きくえぐられているのを見ると、さあっと全身から血の気が引いて、そんなことはどうでもよくなってしまう。


「怪我はないか?」


 降ろされながら尋ねられ、充は「うん、ありがとう」とお礼を言った。そして自分と茜の前に立つ、異様な雰囲気を纏った人物を見る。


「……」


 俯いていて顔は見えないが、白く長い髪に、長い黒い爪、そして茜の胸くらいまである背丈を見る限り、その子が沙羅であることは容易に分かる。

 充はごくりと唾を飲みこむと、彼女に問うた。


「沙羅だね?」


 すると少女は顔を上げる。それを見た充は顔を引きつらせた。

 銀星の血を飲ませて暴れていたときとは非にならないほど、まがまがしさのある表情を浮かべていたのである。目は異様な光をたたえぎらぎらとしており、鼻の上には皺が刻まれ、にたりと笑った口の端から唾液が垂れ流れていた。


(けものだ。堕突鬼きとつきというのは、人間の理性を全て取っ払われた獣なんだ……)


 充は心のなかでそう呟いていた。

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