第53話 邪気と妖気

「類兄さん、誰かが倒れてる!」


 充は振り返って兄に報告するなり駆け出す。類はその後ろを同じように走って追いかけた。急いで斜面を駆け上がると、白銀の髪がはっきりと認知できる。充はすぐに誰かが分かった。


「銀星!」


 白銀の髪を持つ者は、充が知る限り鷹山には一人だけ。うつ伏せになっているが、体格を見ても彼だろうと思われた。


「兄さん、銀星が……!」

「うん」


 類は静かに頷くと、白銀の髪をどかし隠れていた顔を見た。

 数日前は天狐の変化へんげ術で青年の姿をしていたが、今は本来の姿に戻っていて、充が以前見た時と同じく、犬耳に目尻には紅の化粧が施されている。しかし顔色が悪く、脂汗もかいている。また、どこか痛むのか何かに耐えているような表情をしていた。類はそれらを確認すると、銀星の首の脈を診る。


「鼓動が早いな……」

「もしかして……沙羅と戦って、怪我をしたとか?」


 充が心配そうな表情を浮かべながら呟くと、類は銀星を仰向けにし全身の様子を見ると「そうでもないかも」と言った。


「どうしてそう思うの?」

「胸のあたりの着物が乱れてる。まるで苦しくて掴んでいたみたいだ」


 見ると確かに、着物の重なった部分がよれており、ぎゅっと握ったような皺もできていた。


「何があったのでしょうか……」


 充が銀星の苦しそうな顔を見ながらぽつりと言うと、目を瞑っていた彼の瞼が震えゆっくりと開いた。薄茶色の瞳が、充と類を捉えた。


「銀星!」


 嬉しそうに充が言うと、銀星はふっと笑う。


「来た……のか」


 掠れた声で呟くので、類は彼を支えながらゆっくりと起こすと、竹筒に入った水を飲ませてやる。その間に、充は銀星に聞いた。


「どこか痛いところある?」


 すると銀星は首を横に振る。


「俺は……とりあえずいい……」


 そうは言うが、声も掠れていて何もしないわけにはいかなそうである。


「でも、倒れていたし大丈夫そうには見えないんだけど……」

「これ、飲んでください」


 類は竹筒に入った水を、銀星の口元に持っていく。彼は素直に「いただく」というと、少し水を飲んでくれる。充がその様子を見て少しほっとした表情を浮かべたので、銀星はちらと彼を見ると「実はな」と言って事情を説明した。


「……沙羅の邪気にやられた。正確には、沙羅に付いた鬼墨の邪気に……と言ったらいいか」

「攻撃を受けたということですか?」


 類の問いに銀星は「違う」と否定する。


「俺は鬼墨の邪気を抑えるために、沙羅に俺の血を飲ませている。血には俺の妖気があって、それが沙羅の邪気を抑えていたんだ……。例えると、邪気というものを麻袋のようなものに閉じ込めているのに近い……。だが、邪気が暴れたということは、その袋を破ったということ。つまり鬼墨の邪気は俺の妖気を内側から破ったということだ。人間の術で言えば、『呪詛返し』とか『術返し』とかいうらしいが、それに似たようなもので、俺はそれを食らったというわけだ……」

「痛みはありますか?」


 類が再び尋ねると、銀星は腹のあたりをさすった。


「腹にな……。キツいのを一発お見舞いされた」

「失礼します」


 類は一言断り銀星の着物を脱がせる。すると色白の肌のはずが、腹筋の広い範囲で青黒いあざとなり、所々皮膚が裂けて血が出ていた。


(青あざだけど……さすがにこの広範囲はまずいんじゃないか……? お医者さんを呼ばないと……)


 充がおろおろしながらも立ち上がろうとすると、類は銀星の着物を手早く戻し、弟の手を掴んだ。充はそれに気づくとびくりと体を震わせたが、「大丈夫」と類が言うので、彼は縋るような目で兄を見る。

 すると彼はにこっと優しい笑みを浮かべる。


「銀星のことは私が見ているから、充は先に行っていなさい」

「でも、その傷は誰か医者を呼んで来ないと……」


 充が困った様子でいると、銀星は大きなため息をついた。


「ぎ、銀星?」

「甘く見られたものだ」

「え?」


 すると少し生気が戻ってきた薄茶色の瞳が、充をじっと見る。


「俺は半妖だ。痛いが少し大人しくしてれば治る。それより、早く沙羅たちのところに行け。そのために来たんだろう?」

「どうして……」

「いつも昼過ぎから来ていたお前が、こんな朝早くに来るとしたら沙羅と茜のところに行こうとしているとしか考えられない」


 簡単なことだ、という風に銀星は言う。


「だから、早く行け。その代わり類を借りる。それでいいだろ」

「……うん」


 充はこくりと頷くと、兄の方を見る。


「類兄さん、頼みます」

「私も後から行くよ。充が何ともできなくなったら私がするからね」

「……はい」


 充は頭を下げた後、立ち上がって、再び斜面を登り始め足早に遠ざかっていった。

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