第52話 「桃守香」という名の薬

 何が入っているのだろうと、充は包まれたものを開く。するとそこには粒状つぶじょうの、すももの色に似た薬が入っていた。


「これはどういうお薬ですか……?」


 充が問うと、時子は類のほうを見て、「類、教えてあげて」ときりっと言う。だが類は、充を危険に巻き込みたくないという気持ちがあるのか、まだ煮え切らないところがあるようだ。


「ですが……」

「弟が可愛いなら教えてあげることも必要よ。無知がいかに怖いことか、あなたもよく分かっているでしょう?」

「……」


 すべてを知っていた方がいいということもないが、薬屋の仕事をしていると、「知っていてよかった」と思うことばかりである。そしてこれから充が使うであろう薬のことも、その存在を知ってしまったのだから、やはりどういうものか教えた方が安全というものである。

 類は渋々と納得し、「分かりました」と言って頷くとその薬について話し始めた。


「その薬は、妖老仙鬼ようろうせんきが作ったもので、薬の名は『とうしゅこう』と言う」

「とうしゅこう?」

「『桃』に『守る』『香り』と書いて『桃守香とうしゅこう』」

「桃を使った薬ってことですよね。『桃核承気湯とうかくじょうきとう』とかありますけど、効用を考えると……鬼に効くんですか?」


 すると充のその問いに答えたのは、類ではなく風流だった。


「邪気にもく」


 類は頷いた。


「ああ。桃には邪気を寄せ付けない力がある。堕突鬼きとつきになったのは邪気の暴走によるのが大きいから、これを口に入れて飲ませれば、もしかすると正気に戻るかもしれない」

「暴れた鬼に飲ませる……。簡単ではなさそうですね」


 充の考えるような言葉に、時子は付け加えた。


「それと、まだ一度もやってみたことがないから、利くかどうかの確証もない」

「でも、ちょっとでも可能性があるなら、僕は試してみたいです」


 時子は力強く頷くと、じっと息子を見つめた。


「な、なにか……?」


 見ているだけで何も言わない母に、充は戸惑っていると、彼女は土間から居間に上がり、彼の前に立つ。


「母さん……?」

「充。あなたが沙羅ちゃんを助けたいと思うなら、その薬を使ってみなさい。ただし、一つだけ条件があるわ」


 勢いよく言われ、充は少し仰け反るようにしながら聞いた。


「は、はい……。何でしょうか」

「絶対に戻ってくること。それが条件。いい? 分かった?」


 充はそれを聞いて、ゆっくりと目を見開く。そして、大きく頷いた。


「も……もちろんですっ……絶対に、絶対に戻ってきます!」


 時子は、だったらいいわ、と言うかのようにほっとしたような笑みを浮かべると、ぱんっ!、と手を叩いた。


「やることが決まったなら、早く準備しましょう。そして類、あなたも一緒に行ってあげなさい」


 時子は、傍に立っていたもう一人の息子を見上げるとそう言った。


「ですが仕事が……」


 困ったように言う類に、時子は肩を竦める。


「どうせ心配で仕事が手に付かないんでしょうから、私一人で何とかするわ」

「しかし……」

「今日だけなら何とかなるわよ。それに充が失敗したときは絶対に毒で殺さなくちゃいけない。まだ充にはできないのだから、類が行くしかないでしょう。あなたがそう仕向けても来たんだから、けじめをつけなさい」


 そして時子は類の右腕を軽く叩く。それは、彼女なりの激励のようだった。すると類の表情は少し力が抜けたような柔らかい表情になる。


「そうですね」

「類もちゃんと帰ってくるのよ」

「分かっています」


 すると、話を聞いていた風流がおもむろに手を挙げると、「それなら、二人の代わりに私がお店を手伝うよ」と言った。


「見た目は人間だし、天狐の術を使わなくても大丈夫じゃないかしら?」


 おずおずと言う彼女に、時子は「いいわね。じゃあ、お願いするわ」と言って頷く。それぞれの動きが決まったので、早速充と類は支度をし始めた。


 風流はその間に、ここまでくる道中で転んでできた傷を時子に手当してもらうと、店の掃除や朝食の用意を手伝ってくれる。


 支度が済み、急いでご飯をかきこんだが、その頃には日が昇りだいぶ周囲が明るくなってきていた。


「間に合うといいけれど」


 時子はそう呟くと、支度ができた充と類を送り出すのだった。


――――――――――


 山小屋がある場所までは、半時(一時間)かかる。しかし、そう悠長にはしていられないので、充はいつもよりも早足で上に向かっていた。


(少しでも早く。でも、無理はしないように)


 充は兄の前を歩きながら、心のなかで自分に言い聞かせて歩みを進める。気は急いていたが、焦って失敗することはよくあることだ。平常心を保ちながら登っていたが、天つ日の祠がある道との分かれ道のところで、誰かが倒れているのが見えた。

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