第51話 充の決意

 母の言葉に、充は息を吞んだ。


「葵堂は、半妖や半鬼を抱えた鷹山の恩恵を得る代わりに、もしものことが起こったら介入する役割を担っているのよ」


(そうか……。だから母さんは、鷹山のなかに半鬼や半妖がいても気にしなかったんだ。それが当然だったから……)


 充は次に、兄の方を向いて尋ねた。


「類兄さんはそれを知っていたんですか……?」


 すると彼は困った笑みを浮かべて、観念したように頷く。


「私はこの家の長兄だからね。知っていたし、そういう風にしつけられて育ってきたから当たり前だったんだ。でも、充は違う」

「言ってくれたらよかったじゃないですか!」


 充は兄が言った「違う」に対し、強い口調で言った。そうでもしないと、泣きそうだった。


「僕に言ってくれなかったのは、やっぱり養子……だからですか……?」

 

 すると、類は立ち上がると充の傍により、引き寄せて抱きしめた。


「類兄さん……?」

「ごめんね。言いたくなかったんだ。私も父さんも、母さんはちょっと……違うかもしれないけど」


 すると、土間にいる母が「類」とちょっと意地悪く名を呼ぶ。類はそれを聞いて少し笑うと「えっと、ごめん」と謝ってから続けた。


「私たちは、葵堂の本当の姿を言って……、例えば堕突鬼を殺すために猛毒を使う話をして、充にそんな顔をさせたくなかったんだ。だから言わないで、ここが普通の、人間のためだけの薬屋だと思わせていたんだ」

「何故……」


 充の問いに、類は弟の背をぽんぽんと叩きながら優しく言う。


「父さんにね、充をここへ連れて来たときに聞いたんだよ。『どうして連れてきたの?』って」

「それは……本当の家族に疎まれていて可哀そうだと思ったから」


 血のつながった兄に、身代わりをさせられ、信じてもらえなくなっていたから。それがあったから、充はこの家に来たのである。

 だが、類は首を横に振った。


「ううん。それだけが理由じゃないんだよ」

「え?」


 すると兄は充から体を離し、その代わり両肩に優しく手を置いて言った。


「充は、正しいことを正しいと言える。正しさというのは、時に自分も相手も傷つけることになる。だから、正しければなんでも言っていいってわけでもないけど、絶対に必要になるときがある。だからね、充が持っている清い心は誰かが守ってやらなくちゃいけないって言っていた。正しさを通すには、誰かの支えや、守ってあげられる人たちが傍にいなくちゃいけないと……。だから、父さんは充を守りたいって思って、葵堂に連れてきたと言っていたよ」

「……」


 充の瞳に、じわりじわりと涙が溜まっていく。


「でもね、充がうちに来てから、すごく愛情深い子だということも知った。充は、傍にいるものの心に寄り添える。なかなかできることじゃない」


 充は顔を俯けた。するとぱたたっ、と涙が床に落ちる。


「それは、僕がここで良くしてもらっていたから……」


 人の心に寄り添うことは、自分の心が満たされていなければとても難しい。

 本当の家族のもとにいたときは、環境が悪かったせいもあって、家族のために何かをしようとはあまり思えなかった。ここへ来たからこそ、充は家族のために、そして薬を求めている患者のために心を砕くことができたのだ。

 だからそれは自分の力ではない、と充は思ったのである。


「環境もあるのかもしれないけど、少なくとも私たちは、充がくれる温かな思いに心が満たされていた。だから葵堂が旭村の人々を守るために、時には誰かの命を奪うこともあることを知ったら、ひどく悲しむだろうと思ってね……。ずっと言えなかったんだ」


(そうだったんだ……。だから、僕には何も話さなかったんだ……)


「でも、私と修は決めていたわよ」


 時子は得意そうに言う。


「言いたくないって言ってたのは、類だけ。この子、充に怪我をさせたくないっていうんですもの」

「当り前じゃないか。大切な弟だもの」


 すると充は顔を上げて、ふふっと笑った。それを見て、類も時子も目を見開いていた。


「どうかした?」


 兄の問いに、充は「良かったなぁ……って思って」と言った。


「え?」

 不思議そうに見る兄に、充は申し訳なさそうに言った。

「僕、ちょっと前まで家を追い出されると思っていて」

「え⁉」


 驚く類に対し、話を聞いていた風流が「そう思うのも無理はないわね」と呟き、肩を竦めている。


「どうして?」

 何が原因なんだ、と問うてくる類の目に、充はふっと笑う。

「葵堂のことを、ちゃんと話してもらっていなかったからだよ。初めて鷹山に行ったとき、母さんがあまりにも半鬼や半妖のことが詳しくて疑問だったんだ。あと、『水薬みずくすり』のことも沙羅の一件で初めて知ったし」


 それを聞いて類は「これは母さんのせいだな」と思い、風流は「時子のせいね」と思っていたが、口にはせず、充の話を聞いた。


「でも、今の話でようやく分かったよ。僕が母さんにも類兄さんにも、父さんにも愛されているってことが。だからね、疑ってごめんなさい」

「充……」


 そして充は袖で涙をぬぐうと、今度は真剣な眼差しで言った。


「僕はもう大丈夫。兄さんが心配してくれるのは分かるけど、葵堂が担っているものを僕も背負うよ。いや、背負いたいんだ」

「……」

「そうしてもらえると、私も嬉しいわ。充にもっと色んなことを手伝ってもらえるし」

「精進します。でも、まず今は茜と沙羅のことを何とかしないと、ですよね。あの、堕突鬼になってしまったら、もう元には戻らないんですか?」


 充はすがるような気持ちで、母を見た。彼女は真っすぐに末の息子をじっと見つめる。


「これまで私が目にしてきたり耳にしてきた堕突鬼は、全て滅されるか殺されるか、もしくは私が殺してきた。元に戻すことを考えている間に、罪のない誰かを殺すかもしれない。だから、その前に殺してしまうのよ」


 充はごくりと唾を飲み「はい」と硬い声で頷いた。


「でも、戻せない可能性が、ないわけじゃない。これを」


 そう言って、母が充に渡したのは一包の薬だった。

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