最終章

第50話 葵堂の役割

――――――――――

 充はその日の早朝、誰かが薬屋の店先で話す声で目が覚めた。天井近くの壁に取り付けられた窓を見ると、外はまだ薄暗い。


(皆、起きたのかな?)


 引き戸越しに途切れ途切れに聞こえてくる声は、母と兄が話しているのだろうかと思ったが、どうも二人だけではないらしい。時折、母の声よりも高い声が聞こえてくる。内容は聞き取れないが、緊迫した雰囲気が感じられたので、充は二度寝を諦めて布団から出ると身支度を始めた。


(何があったんだろう……?)


 藍染の着物に、下には跨着またぎ(綿素材のズボンのようなもの)をはきながら、どういう話をしているのか想像する。


(村人が密集しているところで問題が発生したのかな……。でも、問題って……火事とか? でもそれならなんで葵堂までくるんだろう。さすがにこっちまで影響はないだろうし……。あるとすれば火傷用の薬を取りに来た……とかかな?)


 充は着替え終わると、そっと自室の戸を開ける。すると店の玄関のところで、母と兄、そして鈴ののような細い声のぬしが話していた。そしてその主とは――。


「風流?」


 彫りの深い顔に、艶のある黒く長い髪。それは紛れもなく風流だった。今日は珍しく、首の後ろで髪をひとまとめにしているが、どうやら彼女は桜の変化術へんげじゅつを使っていないらしい。


(まあ、顔の彫りは深いけど、髪の色も黒いし、爪も長くないし、普通の人間に見えるから大丈夫だってことなのかな……?)


 充がそんなことを思っていると、彼に気づいた風流は「大変なの!」と叫んだ。

 よく見ると、髪には葉っぱが付いているし、転んだのか着物には泥が跳ねている。ただ事じゃない様子に、充は駆け寄ると「どうしたの?」と尋ねた。


「あのね」

「風流駄目だ。話さないでくれ」


 だが、切羽詰まった様子で話そうとする彼女を、真剣な表情の類が遮った。いつものにこにこ笑っている兄ではないので、充は驚いていた。


「類? 何言って――」

 風流は戸惑った様子で、類を見る。

「事情は分かったから、私が行く」

「え? え?」


 状況が読めず困惑する風流は、類、時子の順で視線を巡らせる。そして最後に充をすがるような目で見たあと、風流は類に言った。


「でも、お天道様が連れて来いっていったのは類じゃないよ……?」

「充を巻き込みたくない」


 類はそう言うと、居間に上がり充の脇を通って、棚に据え付けられた薬棚の引き戸を開ける。薬を準備しているのだ。

 充はわけが分からず、母の方を見る。すると驚くほど簡単に答えが出た。


「沙羅ちゃんが鬼になったのよ」

「え?」

「母さん!」


 充の驚きと、類のたしなめる声が重なる。充は二人を交互に見つめるが、時子は類に「言わなくちゃいけないときは言わないとね」とやんわり言うと、もう一人の息子を見て言った。


「鬼墨の話は桜ちゃんに聞いたわね? それによって鬼になる可能性があることも」

「は、はい……」


 充はこくりと頷く。


「沙羅ちゃんは、鬼墨のせいで堕突鬼きとつきになってしまった。堕突鬼きとつきは破壊の鬼。だから、彼女は自分の近くにあるものを全て破壊し、生物は皆殺しにする。でも……」

「でも……?」

堕突鬼きとつきといっても種類がある。沙羅ちゃんはそのなかでも『白寂はくじゃく』という鬼。寂しさを抱えた子。……だから、もしかしたら本当の家族を殺しに行くかもしれないわ」


 充は眉を寄せつつ、桜の話を思い出していた。


(そういえば沙羅って、鬼墨がついたあとに、生贄にされているんだよね……? でもそれは、鬼墨がついた沙羅を家族や村の人から引き離して、安全な状況にさせるための桜の作戦だったわけだけど……、普通そんな簡単に「はい、そうですか」って言って引き渡すかな……。あっ……)


 そのとき、充は自分の過去と沙羅の今の状況が酷似していることに気づいた。


(そうだ。僕が子どものときも、全く同じだった。父さんは僕よりも金に目がくらんであっさりと手放した。つまり、沙羅も僕と同じように家族に疎まれていたってことだ。それなら、辻褄は合う)


「だったら、急いで止めにいかないと……!」

「相手は鬼だ。人間の私たちにできることはない」


 類が冷たく言い放つ。普段の充なら、聞き分け良く「はい、分かりました」と言っているところである。しかし、それは「兄もいつも通り」というのが前提だ。少し怒りのような雰囲気をまとった兄の説明に、そうですか、と納得できるわけがなかった。


「でも、それならなんで風流はここへ来たの……? それにさっき風流が言っていたよね。お天道様が連れて来いって言ったのは僕だって。なんで類兄さんが代わりに行こうとするの?」

「危険だからだ」

「でも……!」


 充が食い下がろうとうすると、類が声を荒げた。


「私は可愛い弟に悲しい思いをさせたくないし、下手して怪我をさせたくない!」


 いつも冷静でにこやかな笑みを浮かべている兄の初めて見る姿に、充は目を見開きながらも、彼の言葉の意味について尋ねてた。


「……どういうこと?」

「……」


 どう答えていいのか悩んでいるのか、黙っている類の代わりに、時子が静かな声で言った。


堕突鬼きとつきは、陰術か陽術の術者が滅することになっているけど、旭村には常駐していないし、今から早馬を飛ばして呼んだところで、村に被害が及ぶ前に連れて来られるとは思えない。もし旭村に鬼の被害なんて出た日には、半妖たちが住む鷹山の存続は危ぶまれる……」

「それなら……どうするんですか?」


 心配そうに尋ねた息子に、時子は言った。


無透むとうさん――妖老仙鬼ようろうせんきが作った猛毒で殺すのよ」

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