第49話 天つ日の企み

「沙羅! しっかりしろ! 沙羅!」


 茜は気を失った沙羅を抱き起し、名を呼びながら体をゆする。だが、全く反応しない。


「お天道様! これはどういうことですか⁉」


 茜は、こちらを見下ろして黙っている天つ日を見て叫んだ。問われたほうは、つまらなそうに小さくため息をつく。


「沙羅が折角、ことを確認して出てきたのだから、最後までそのふりをしていたらいいものを」


 天つ日は全て分かっていた。茜が山小屋を出たふりをしていたことも、沙羅が茜が出て行ったと思って自分のところに来ることも、そしてここへ来る沙羅の後を茜が付いてくることも。


「何を企んでいらっしゃるのですか!」


 天つ日は、「人聞きが悪い」と言う様子で呆れた表情を浮かべた。


「企んでなどおらぬ。その娘が望んだことだ」

「望む? 沙羅が何を望んだというのです?」


 眉を寄せ、不信感を抱いた深紅の瞳で見つめる彼女に、天つ日はせせら笑った。


「お前を殺すことだよ」


 茜は表情を変えぬまま、硬い声で否定した。


「この子がそんなことを望むとは思えません」

「本当だよ」


 そして、ゆったりとした口調で尋ねる。


「茜は、沙羅と因縁があることを知っているだろう?」


 すると茜は苛立ちを含ませながら、その意見を突っぱねた。


「私と沙羅の間に因縁などありません。確かに私の父を術にはめる手助けをしたのは、沙羅の父です。しかし、それは一助に過ぎません。本来恨むべきは、父を鬼墨にした邪道の連中です。それでも因縁があるとするならば、私の父と沙羅の父の問題。ですから、私と沙羅にはないのです」


 しかし天つ日は受け入れない。


「そうかな?」


 茜は沙羅をぎゅっと抱きしめ、さらに眉間のしわを深める。


「……何をおっしゃりたいのです?」

「因縁がないと思っているのは、茜だけだろう」

「……どういうことです?」


 すると天つ日は、足を組んだ上に頬杖をついてふふっと笑う。


「沙羅は、茜のせいで家を追い出されることになったと思っているよ」

「……理由をお聞かせ願いますか」

「お前の父、絳祐が鬼墨になったことは知っているね」

「……はい」

「その墨が、沙羅に付いているんだよ」


 その瞬間茜は深紅の瞳を見開き、声を荒げた。


「馬鹿な! 誰がそんなことをするというのです⁉」


 彼女の言い分も当然のことである。

 絳祐の鬼墨を持っているのは、それを作った邪道。そして鬼墨を作ることができたのは、沙羅の父親のお陰。

 そう考えれば、邪道が沙羅の父に感謝こそすれ、沙羅の命に関わるような鬼墨を付けることなどあり得ないと容易に想像できる。

 しかし、天つ日は続けて言った。


「私は人間の考えることは良く分からないが、沙羅の髪に、絳祐の鬼墨が付いていることは間違いないよ」

「そんなまさか。ずっと傍にいたのに、気づかないなど……」


 さすがの茜も動揺を隠せない様子で、腕のなかにいる沙羅の顔を覗く。血の気が引いたその顔は、まるで銀星の血によって暴れた直後に似ていた。茜はそれが可哀そうに思えて、頬にそっと左手を添え温めてやる。


「いや、お前はいつまで経っても気づかなかっただろう。『半鬼』という、鬼として中途半端であるがゆえに、『気』に気づきにくい。その上、自分の血縁に近いものの気配には気づきにくいと見た。だからお前の父親がもととなっている鬼墨が付いていても、茜は自分の『気』だと勘違いをし続けたんだ」

「……」

「ふた月前、沙羅の鬼墨の気が邪気となったときはさすがに気づくと思ったが、銀星が血を飲ませて抑え込んだから彼の気が強くなり、また分からなくなったのだろう。しかし銀星の『気』には気づいた。だから、今朝はわざと沙羅の前からいなくなったふりをして、行動を探っていたんだろう? 自分が傍を離れれば、沙羅や銀星が動くと思ったから」

「……っ!」


 茜はそれでようやく合点がいった。


(沙羅が飲んだ血が銀星だということは、『気』の感じで何となく分かったが、鬼墨を抑えるためにわざと飲ませたのか!)


 そして彼女は悔しさで、ギリッと唇を噛んだ。


(ずっと傍にいたのに、何も分かっていなかった。何も気づいてやれなかった……!)


「鬼墨が人間に及ぼす効果について、知らないわけじゃないだろう。絳祐の鬼墨を探そうとしているくらいだから、茜も調べたはず。つまり、鬼墨のついた沙羅を家に置いておくわけにもいかない」

「しかし、それなら術師を呼んで浄化してもらえば……」

「するわけがない。何故なら、沙羅はあの家で嫌われていたからね」

「だったら、どうやって家族と引き離してここへ連れてきた――」


 そう言ってから、茜ははっとした。沙羅を自分に押し付けたのは、天狐の桜だった。


「桜が連れだしたのか……?」


 茜の呟きに、天つ日はぱちぱちと拍手をした。


「ご名答。『生贄に差し出さないと呪われる』というようなことを言ったらしい。家族は大歓迎だったようだ。しかも生贄に差し出したとなれば、地主の株も上がるだろう。村の人のために自分の娘を差し出したなんて言ったら、人間は涙ぐむんじゃないか?」


 面白そうに説明する天つ日を、茜はめつける。


「おやおや、怖いね」

「沙羅に何をしたんです?」

「鬼墨が沙羅の負の感情を糧に大きくなるよう助長してやったのさ。この子はきっと白寂はくじゃく堕突鬼きとつきになるよ」

「なっ……!」

「鬼になれば、沙羅は茜を殺せる。そして茜は、沙羅を殺す大義名分が得られる」

「貴様……!」


 茜の深紅の瞳のなかに、強い怒りの感情が現れる。だが、天つ日は気にした風もなく飄々ひょうひょうとしている。


「何を怒っている。絳祐で作られた鬼墨の行方を捜しに行きたいのだろう? 沙羅がいては邪魔ではないか?」

「それを決めるのは私です。あなたではない!」


 叫ぶ彼女に、天つ日は肩をすくめた。


「私は茜のために言っている。沙羅は、鬼墨という爆弾を抱えているんだ。いつ堕突鬼になってもおかしくない。それならさっさと殺してしまったほうがいいではないか」

「余計なことを!」

「さ、時間だ。せいぜい殺されないように頑張るんだな」

「……っ!」


 すると、気を失っていたはずの沙羅の瞼が一瞬にして開き、彼女の体から強い邪気が一気に放出された。それはまるで強い風のような作用を起こし、傍にいた茜を吹き飛ばしたのである。

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