第48話 沙羅が決めたこと

 ――――――――――

 充が桜と話をした一週間後。

 冬の気配が増し、空気が冷たく感じる暗がりの朝。沙羅は山小屋の布団のなかで目を覚ますと、寝返りを打って隣に並べてあるはずの布団を見た。だが、すでに布団がなくなっている。視線をめぐらすと、足元のほうに畳まれた一式の布団が置かれていた。


(茜が出かけた……?)


 沙羅は、もぞもぞと布団に潜り込んで考える。

 ふた月前に、沙羅が銀星の血を摂取してからというもの、茜はほとんど傍を離れたことがない。しかしここ数日暴れるようなこともなかったこともあり、少しは大丈夫だろうと思ったのか、明け方にどこかへ行ったようだ。


(私のことを置いて、茜が唯一行く場所と言えば、彼女のお母さんのところ……)


 茜の母は、旭村で一人で暮らしている。それまでは沙羅と同じ村で家族で生活していたが、茜の父がいなくなったことで諸々の問題が生じ、そこでの生活ができなくなった。その後家族がばらばらに生活することを決めたようで、茜は定期的に一人で暮らす母のもとへ通っていたのだ。それがようやく再開した。そしてそのお陰で、沙羅は一人になれる機会ができる。


(だとしたら、行かなくちゃ……!)


 沙羅は、茜が用意してくれていた野良着のらぎと足袋、そして半纏はんてんとうさぎの毛でできた襟巻を布団のなかに入れて温めると、そのなかで器用に着替えはじめた。布団から出ると寒いので、少しでも体の暖かさを保つための、沙羅なりの工夫である。


「……」


 着替えが終わると、未練を断ち切るようにさっと布団から出る。空気は冷たいが着替えたお陰で思ったほどではない。その場をてきぱきと片付けると、沙羅から離れて奥で寝ている半妖たちを起こさないように、そっと土間に降り草履を履く。


(何かお腹にいれておこう)


 沙羅は、土間に置いてある水屋箪笥みずやだんす(主に台所で使われる収納のこと)の一番上の戸棚を開けると、籠に入っていた干し柿を手に取った。ここに入っているものは、鷹山のものなら誰が食べてもいいことになっているが、一番上の戸棚に入ったものだけは沙羅専用である。それは彼女がここに来たときに、茜が決めたことだった。


 ——私たち半鬼や半妖は、多少食べなくても生きていけるけど、沙羅は人間だからそうじゃない。一応食事は毎日二食は用意するけど、足りなかったら「おやつ」を入れておくから、いつでも好きなときに食べな。


 沙羅は、茜がそう言って頭を優しく撫でてくれたことを思い出す。そして、この戸棚に入った乾燥果実のお陰でこのふた月も何とか乗り切ることができた。


(血で暴れたあとは眠らされていたし、起きたらそれほど時間が経たないうちにまた暴れるから、ご飯がなかなか食べられなかったんだよね……)


 茜は沙羅がここへ来たときから、玄米を中心とした料理を用意してくれていたが、このふた月は用意されても食べられないことがほとんどだった。それは暴れていたせいもあったが、沙羅の心境の変化もあって口にできなかったのである。

 そのため、以前と比べると確実に体重が落ちているのが、自分でも分かる。


(折角用意してくれたのに……、ちゃんと食べなくてごめんなさい)


 沙羅は心のなかで謝ると、干し柿をぱくりと食べる。そして傍に置いてあった甕から水を飲むと、静かに山小屋を出て、薄暗がりのなかあまのところへ向かった。


「お天道様、いらっしゃいますか?」


 何とか迷わずに天つ日のほこらまでくると、彼女はその前で小さく尋ねる。すると祠が明かりが灯ったように明るくなり、眩しいと思って目を腕で覆い隠すと、低い女の声で「どうした」という問いが聞こえた。


 光が和らいだため、沙羅が顔を覆うのをやめると、祠のわきの小高くなった場所に白い着物を身にまとい、優雅な笑みを浮かべた女性が足を組んで座っている。美しいとかきれいとか、そういうものではなく、「神々しい」というような表現が合うような女性である。

 何度か見たことがあるのに思わず見とれていると、天つ日はもう一度ゆったりとした口調で問うた。


「我に何か用か」


 沙羅ははっとすると、ひざまき頭を垂れて言った。


「朝早くに申し訳ありません。以前、お天道様がわたくしに提案してくださったことについて、お伝えに参りました」


 すると天つ日はふっと笑う。


「そうか。で、どうすることにしたのだ?」

「お受けしようと思います」


 彼女は変わらぬ口調で感心する。


「ほう。それは良いことだの」

「有難きお言葉。勿体なく思います」

「して、何故受けようと思った? あのとき考えさせてくれと申したのは、決めきれない何かがあったのであろう? 何がお前を動かした?」


 沙羅はその問いに、毅然とした声で答えた。


「決めきれなかったのは、茜と過ごす時間を僅かでも長くするためでした」

「ほう。それは思っておらぬ答えであった」

「わたくしは、人間です。鷹山のなかでは異質な存在でしょう。それにもかかわらず、茜はわたくしに愛情を注いでくれました。それは……」


 沙羅は言葉を区切り、唇を噛む。そして、込み上げるものをぐっとこらえてから言葉を続けた。


「わたくしが家族に与えられていた以上のものでした。ですから、もう少し長くと……、身の程を弁えず我儘を申しました。ですがその一方で、恩返しをしたいと思っております。わたくしは元々家族から疎まれておりましたし、あとから聞いた話では、わたくしは茜にとって憎き男の娘とのこと。身を捧げるにはちょうど良いと思います。優しい茜に……、これ以上愛情を注がれる資格もない存在です」

「そうか。分かった」


 天つ日は、同じ調子で頷く。


「顔をあげよ」


 命令され、沙羅は顔を上げる。涙を拭いたあとはあるが、覚悟を決めた精悍な表情をしていた。彼女はそれを見て、ふっと笑う。


「では、鬼となるがいい」


 そう言うと、天つ日は右手の手のひらを沙羅に向けると、その上を滑らせるように、ふうっと吐息を吹いた。

 沙羅は何が起こるのだろうと思っていると、急激に体の内側から、外側へ向かおうとする得体の知れない力を感じる。それはまるで自分の体を突き破るかのような感覚で、沙羅はその痛みに膝から崩れ落ちた――その時だった。


「沙羅!」


 祠がある脇道に、茜が叫びながら入ってくる。沙羅は視界の隅で彼女の姿をとらえると、「何で……」と呟きながら気を失った。

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