第41話 「操墨」にとらわれた赤鬼

「そうぼく?」


 桜は頷く。


「そう。操る墨と書いて、操墨。墨に術を発動させる力があるんだ。例えばその墨を使って文字を書くと術が発動する。葉っぱなんかに『封』という字を書けば、封じのまじないが使えるという風に」

「なるほど……」


 充はあまりその手のことは詳しくないので、ぴんとは来なかったが、一つだけ思い出したことがあった。


(そういえば、僕が小さかったころ、地主様のところに出入りしていた祓い屋のおじさんが、縦長の紙に何か書いたものを、塀に貼り付けていたのは見たことがあるなぁ……。あれと同じことなのかな?)


 充は聞きたい気もしたが、話の流れを遮りたくなかったので、そのまま彼の説明を聞く。


「『操墨』は元々、陰術のなかにある一つの術に過ぎなかった。自由は利くが、術者の力を乗せにくいというものがあったらしい」

「力を乗せる?」

「威力や力の大きさの問題だよ」

「ふーん……」

「『操墨』を行うには、まず墨を作らなくてはならないんだが、その工程を『作墨さくぼく』という。大抵は力のある山の樹を切り出して、術を用いて墨を作る。だが、陰術を歪めて解釈した『邪道じゃどう』は違う。……充は、蟲毒こどくという言葉を知っている?」


 桜の問いに、充は頷く。


「気づかれないように毒を持って人を害すること、と父からは学びました」

「薬学としては、それが知っているべき意味だろうな。だが蟲毒には別の意味がある」

「別の意味、ですか?」


 なんだろう、と思って聞いていると、桜は思いがけないことを口にした。


「それは、多くの虫を一つの器のなかで飼い、共食いさせ、生き残った虫を用いて施す術のことを言う。邪道はこの虫を使って墨を作った」


 充は思わず唾を飲み込んだ。何とむごいことをするのだろう。


「それを『蟲毒の墨』と言う」

「蟲毒の墨……」

「そう。山から削り出した樹から生み出す墨よりも、『念』が強くなる。それに気がついた『邪道』は、今度は妖怪を捉えて使うようになった」

「妖怪たちも同じ器に入れられて殺し合いをするのですか?」


 充が問うと、桜は「いいや」と否定した。


「さすがに人間がその状況を作るのは難しい。しかし、妖一匹くらいは捕まえられるだろう。そいつを『作墨』に使えば墨が完成する。そして……鬼を使ったものは『鬼墨おにすみ』もしくは『鬼墨きぼく』と言われている」


 桜の静かで流暢な説明が一旦途切れ、歩みも止まる。充も立ち止まったが、最後の言葉に嫌な予感がしていた。


「鬼墨って……まさか……、茜のお父さんを使って、鬼の墨を作ったってことですか?」

「そのまさかだ。茜は、父親が沼に飲み込まれたと言っていなかったか?」


 桜が確認するように尋ねる。充は茜の話を思い出して頷いた。


「言ってました。それって……沼に入ることで鬼の墨が出来上がるということなのでしょうか?」

「やり方はいくつかあるだろうが、絳祐の場合は、妖で作られた操墨の術によって、作墨の術が仕込まれた沼のなかに取り込まれたんだと思う。操墨はとにかく、応用が利く。術者が傍にいなくても、仕掛けをしてさえいれば術を発動させることも可能だ。だから絳祐も術者がいることに気づかなかったんだろうが……、すまない、少し難しい説明だったが分かっただろうか?」


 充は頷く。

 要は、沼には二つの術がかけられていたということだ。一つは、茜の父を引きずり込むための操墨という術を、そしてもう一つが「鬼墨」を作るための作墨という術を仕掛けておき、術者は絳祐が子どもを助けたときに、術が発動するようにしていたということだろう。


「でもどうして鬼なんですか……?」

「鬼は、人間が一括りにしている『妖怪』のなかでも上位の存在だ。そのため取り込めば威力が増す。本来、陰陽術から派生した術では人間は殺せないが、鬼墨となれば人を殺めることもできる」

「そんな……邪道ってひどい人たちの集まりなんですね……」

「そうかもしれない。だが、邪道のなかにも色んな人間がいる。人々の寒心かんしんである、妖や鬼を退治している正義だと思っている者もいれば、ただただ戦いたくてやっている者もいる」


 妖怪が人間の生活を脅かす限り、「邪道」という存在も肯定されることがあるということだろう。

 しかし、妖怪を否定する人々からみれば茜の父は「排除すべき存在」なのだろうが、茜からしたら自分の父親であるし、桜からしたら親友である。

 誰かの物差しで、自分の存在意義を価値のあるものかそうでないかを判断されてしまうのは、充も経験があることだが、全く気分のいいものではない。


「あの、でも、どうして茜のお父さんなんですか? 鬼ならほかにもいるんじゃ……っていうのも変ですけど……。茜のお父さんが狙われた理由って何なんでしょうか?」

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