第36話 修の問い

 充の父の問いに対し、修は否定した。


「まさか。善意でやったことです。私はただ、この子が怪我をしたこと、そして治療をしたこと。そしてしばらく働かせず休ませてやってほしいとお願いしに来たんです。あと、この子の言っていることを信じてほしいと」

「休ませるだぁ?」


 父はそう言って笑う。


「あんた、身分があるみたいだが馬鹿なお方なんだなぁ。俺たちは自分の畑だけではやっていけねえから、百姓のなかでも最も馬鹿にされてる『イーソ』って言われてんだ。イーソが何のことか知っているか?」


 修は感情の籠らぬ声で「……いいえ」と答える。父は勝ち誇ったように大口を開けて笑った。


「そんなことも知らねーで話をしてたんか!」


 父はひとしきり笑うと浮かべた涙を拭き、脇腹を押さえながら説明する。


「『依存』しているからだとよ。家族を養うためには、地主様の畑をきれぇに整えねえといけねえんだ。それには子どもの手も借りなきゃならねえ。今日、ミツルはそれをさぼった。怪我をしていようが何していようが、関係ねえ。明日から畑に出す。あんたの説教なんざぁ、糞喰らえだ。それとな、ミツルの怪我を治すことがゼンイって言うんなら、薬代を払わなくて当然だろ」


 すると、彼は妻の肩を指で強く叩いた。


「ほら、おめえもいつまでも頭を下げんな。ミツルもさっさとなかに入れ。じゃあな」

「失礼ですが――」


 修が何かを言おうとしたが、父に遮られてしまう。


「あんた、鼻に付くんだよ。俺たちみたいなやつらにテイネイな言葉をしゃべって、気味が悪りぃ。ほらミツル、来い」

「あっ……いたっ」


 父に無理やり右腕を掴まれ、背中に痛みが走る。しかしそれに気づいた様子もなく、父に家のなかに入れられようとしたところ、修が充の腕を掴んで止めた。


「あんた、まだうちに用があるんか?」


 父は振り返ると凄みのある声で、修に言う。しかし彼は、全く負けていなかった。


「お言葉ですが、あなた、お酒を飲んでいますね?」

「だから何ね?」


 説教されたくない、という様子で言い返す。


「そんなの俺の勝手だろうよ」

「お金がないという割に、何故酒が買えるのです?」


 修の指摘に、父はぴくりと眉を動かすと、これでもかと言うほど大声を出して威嚇した。


「うるせえ! 人の楽しみに口出すな!」


 しかし修は少しもひるまなかった。


「いいえ。あなたが酒を我慢したならば、あなたの奥様もお子さんたちももっとまともなものが食べられるのではありませんか? 体は資本。畑仕事を元気に続けるには、きちんとした体を作る必要があります。それには食事が必要です。成長期で栄養が必要な子たちに、きちんとした食事を与えないで働かせるとはどういう了見です?」


 修は息を切らさずにさらに言った。


「酒を買うことができるなら、私がこの子にしてあげた治療代を頂戴できるはずです。あなたが飲んでいるお酒、大徳利に入っているようですね。一升が入っているはず。もし中身がにごり酒なら、一合で五文。つまり一升なら五十文なわけです。十分治療費をいただける金額です。しかし、あなたは子どものためにお金を出せないと?」


 口をはさむすきがないほど早い説明だった。だが、父には分かったらしい。眉間の血管が浮き出ていた。


「なんだと……!」


「私がミツル君を助けたのは善意ですから、お金をいただく気はありません。しかし、あなたがそのような状態では子どもたちが可哀そうです。何故寺子屋に行かせてあげないのですか。あそこは金を払わなくても、学問を学ぶことができます。ミツル君が、地主様の屋敷から家までの距離を言えないのには驚きました。あそこに行っていれば、必ず学べることです。あなたは、ご自身のことを『イーソ』だとおっしゃいました。しかし、本当に貧しいものは働くことすらできずに死んでいくのです。あなたの話ぶりを聞いたり、私の話を理解しているところを見ると多少学があるのでは? あなたのご両親は、あなたに多少の学びを与えたのではありませんか?」


「最初から恵まれた生き方をしているお前に言われたかねえ……!」


 修の身なりを見て父は言った。それは間違えようのない事実であるのは確かである。


「私の境遇は、今のあなたからみれば恵まれたものであるのは否定しません。ですから、あなた方の生きている現状がいいとは思えませんが、それならなおさら子どもたちの将来を考えるべきです。一日、一刻(二時間)でも勉強する時間を作ってやれたら、それだけでこの子たちが得られる収入は変わる可能性があるのですよ?」

「うるさい! 説教たれめ! 地主様でもないおめえが、偉そうに言うな!」


 すると、修は凛とした声で言った。


「そこまでおっしゃるのなら、こちらにも考えがあります」

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