第35話 ミツルの父と母

「はい?」


 滝は間抜けた声を出し、修を見上げた。


「早く終わらせたいので、馬も連れていきますね」

「ええ?」

「夕餉を作っていただいているのに勝手なことをして申し訳ないのですが、れ六つまでには戻ってきますから」


 矢継ぎ早にこれからやることを話す修に、滝はやっとのことで言った。


「え、あ、その、ちょっ! お待ちください! これから外へ出るのは危険です!」

「大丈夫ですよ。私に悪さをするあやかしはおりません」


 修はにっこりとほほ笑む。


「その自信がどこから来るのか分かりませぬが、どちらに出かけるというのです⁉」


 滝の意見に、充も心のなかで同意していた。


(今から、外に行くの……?)


 これから出かけると聞いて、急に怖くなる。修はいい人だと思うが、妖怪に襲われるかもしれない夜に出かけると思うと気が気でない。


「この子の家に行くのですよ」

「どうして……」


 戸惑う滝は、充のほうを見る。だが、困惑しているのは彼も同じだった。まさか、自分の家に行くとは思っていなかったのである。


「出かける理由を説明していると長くなるので、それは地主様が帰ってきた明日にでも必要であればいたしますよ。私の予想ですと、一仕事していただかなくてはなりませんしね」

「は?」

「とにかく、大丈夫です。必ずこの子と戻ってきますから」


 そういうと修は充を立ち上がらせ、子ども用の羽織を肩にかけてやる。どうやら彼は縦長の木の箱に、色々なものを持ち歩いているらしい。


「あ、あの……」

「ミツル君。あなたの家に行きますよ。案内してください」

「え……」


 充は困惑した。夜の危ないときに、何故わざわざ自分の家に行かなくてはいけないのだろう、と。こんなことになるなら、あの牢屋のような場所で、床下からくる冷えは辛くとも、うずくまって朝まで耐えていた方がまだマシというものである。


「でも、僕の家族は僕のことは心配していないと……」

「帰ってみないと分からないじゃないですか。あと、地主様や側役の人には私が後で話を付けますから、大丈夫です」


 修はにこっと笑う。こんな風に笑いかけられたら、最早「嫌です」とは言い出せない。


「さあ、いきましょう」


 高らかに宣言すると、修は戸惑っている使用人の滝を置いて、充とともに彼の家へ向かったのだった。


***


(もう着いた……)


 太陽の光が消え、闇が支配しつつある空の下、修が駆る馬に乗せてもらいながら充は自分の家に向かうと、あっという間に着いてしまった。道中、妖に襲われる心配をしたのが嘘のようだ。


「ここですね」

「はい……」


 馬を下り、提灯ちょうちんに火を入れて尋ねる修に、充は小さく答えた。謙遜の意味ではなく、本当のあばら屋の家である。生まれ育った場所ではあるが、修のような身分のある人が来るようなところではないなと、つくづく思った。


 彼はそれを見てふっと笑うと「大丈夫ですよ」と言った。何が大丈夫なのか充には分からなかったが、馬から降ろされると、修の隣に立って事の成り行きを大人しくしく見守ることにした。


 修は充の様子を確認したのち、「御免下さい」と言いながら粗末な木戸を叩く。

 すると「はい」と聞こえた後に、「こんな時間帯に誰だい?」という文句が聞こえてきた。まさか外に話し声が筒抜けになっていると思わなかったので、充はまさかこうなるとは思わず、恥ずかしさで顔を俯けた。


「はい、はい、お待ちくださいね」

 がらりと木戸が開くと、ほっそりとした長女が目をまん丸にして驚きの声を上げた。

「――え⁉ ミツル⁉ と、誰」

「……ただいま、姉さん」

「え? え? どういうこと?」


 長女は戸惑った様子で修と充を交互に見る。


「こんばんは。ミツル君の親御さんはいらっしゃいますか?」


 修がにこりと笑うと、彼女は「はいっ!」と言って、慌てて母親を呼びに行った。


 奥で「なんね?」という母の面倒そうな声が聞こえる。だが、娘から話を聞いて何か気づいたらしい。手拭いで手を拭きながら、入り口のところまで出てきた。


「はあ、ああ、あの、あなたさんはどなたで……?」

 母は目を丸くして尋ねた。

「この人は僕を助けてくれた人だよ」

「薬屋の店主をしています、葵と申します」


「息子を助けた」というのを聞いて、充の母は頭を下げた。


「こりゃご丁寧に……、ああ、えっと……そうだ、あんた! あんた!」


 母が父を呼ぶ。すると、奥から「なんだよ!」と機嫌の悪そうな声が聞こえた。


「お客様だよ、ちょっと出とくれ!」

「誰だよ!」

「薬屋さんだよ。いいからちょっと来とくれ!」


 母の説得で、父は渋々と出てくる。手にはいつも晩酌で飲んでいる、大徳利が握られていた。修が持った提灯で照らされた彼の顔は、火の光に照らされているというだけでなく、酒を飲んだせいかほんのりと赤い。


「誰だよ、こんな夜分によ……」


 着崩した格好で出てきた父は、さも面倒そうに修の前に立つ。充は何か悪いことが起きやしないかと、ハラハラしてきた。


「今晩は。夜分に突然お伺いしまして申し訳ありません。薬屋の葵と申します」

「薬屋が何の用だい?」


 丁寧に挨拶をする修を無遠慮に眺めながら、「そうだ、ミツル。お前の飯はないぞ。帰ってくるのが遅いから抜きだ」と言う。今言わなくてもいいことを平気で言うのが、彼の父なのだった。

 修はその様子を静かに眺めながら、柔らかだが芯のある声で「実は息子さんが怪我をされたので手当をしたんです」と言った。


「え⁉」

「な……っ!」


 すると、母親のほうはとっさに、充がやったように地べたにひざまずく。充よりも背の高いはずの母が、ひどく小さく見えた。日焼けした傷だらけの細すぎる手が震えていた。


「うちの息子が、大変なご迷惑をお掛けしたようで! ほんとうに、ほんとうに申し訳ねえ! しかし、この通り! うちは金がありゃせん! あんた様がどういう気持ちでこの子のことを助けたのか知りませんが、お薬代を払える金はありませんので、どうぞその子を使いっ走りでもなんにでもしてくだせえ! どうか、この通りです……! どうか……!」

「お母さま、顔を上げてください。そんなつもりは――」


 そう言って、修が充の母を起こそうとしゃがんだときだった。


「貧乏のうちの子どもを助けるとはどういうこった。金をせびるためか?」


 父が喧嘩腰のような態度で、修に突っかかったのである。




<補足>

*暮れ六つ……充が住んでいる村では不定時法が使われており、秋の「暮れ六つ」は「午後六~七時くらい」を指す。

 基本的に庶民が時間を知るのは、太陽の位置と寺が鐘を鳴らして知らせる音であるが、地主のように金を持つ屋敷などでは、燃焼時計が使われていた。

 また充が罰を受けていた地主の家には、寺の鐘の音は風向きによって届かないことがある。

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