第34話 行動

「事情……?」


 小首を傾げる充に、葵は頷いた。


「あなたがどうして、あの部屋にいて鞭打ちをされていたのか、理由を知りたいのです」

「それは……」

「言いにくいことですか? もし、誰かに話されると困るというのであれば、私は誰にも話しませんよ。約束します」


 そう言って、右手の小指を差し出す。


「ゆびきりしましょう」


 真剣な眼差しで言われるので、充は慌てて首を横に振った。


「あ、あの……! そこまでしなくても大丈夫ですっ! そうじゃなくて、僕の言っていることを誰も信じてくれないから、言ったって責められるんじゃないかと思っていただけで……」

「そうなのですか? 私には、ミツル君が嘘をついているようには思えませんけど」


 修ははっきりと言う。


「え?」


 どうしてそう思うんですか、と問う前に、修が説明してくれる。


「少なくとも私には、地主様に仕える人物が、自己判断であなたに暴力を振るったとしか思えません。大人が子どもに鞭打ちの罰を与えるなんて、おかしな話です」

「そうなんですか?」

「そうですよ。やりすぎです」

「でも、やっぱり僕が嘘をついているかもしれませんよ?」


 充は駄目押しで聞いたあとに、「しまった」と思った。周囲の人間を疑いすぎて、つい、しつこく聞いてしまったのである。充は修に「信じてほしい」と言っておきながら、自分が彼を信じていないと言っているようなものだ。

 だが、修は何故か痛そうな顔をすると「それはないです」と断言した。


「傷を見れば一目瞭然です」

「傷……ですか?」


 修は頷く。


「相当強く打たれたでしょう。もし、自分で自分を傷つけようとして鞭を振るったとしても、こんな風にはなりません。ましてやミツル君は力のない子ども。あり得ません」

「……」

「だから私は、ミツル君が言ったことを信じますよ」


 修の真摯な言葉は、充の心に沁みた。これこそが、充が求めてやまなかったものだと思うと、彼は目に浮かんだ涙を袖で拭い「実は……」と、これまでの経緯と家族のこと、そして次兄のことを語った。

 全て話したころには、とっぷりと日が暮れていた。


「そうでしたか……。辛かったですね」


 修の労わる優しさが、充を癒してくれるようだった。


(修さんの息子さんは、幸せだろうな……)


 充にくれた着物は「息子の使い古し」と言っていたので、子どもがいるのだろう。充はありもしない、修が父親だったらどういう生活になるだろうとふと考えてみる。


(きっと穏やかな毎日なんだろうな。日々の生活が大変でも、励ましたり慰めてくれたり、労わったりしてくれる誰かが傍にいてくれれば、乗り越えていけるのに)


 そう思ったとき、修がこんなことを尋ねた。


「ミツル君。あなたのおうちは、ここから遠いですか?」


 充はハッとする。急に現実に引っ張られてきたような感覚だった。


「あ、えっと……そんなに遠くはないと思います」

「どれくらいの距離があるかは分かりますか?」


 尋ねられ、首を横に振る。寺子屋に行っていれば少しは分かったかもしれないが、学んだことのない充には距離を示す方法がわからなかったのである。


「そうですか。分かりました」


 すると修は立ち上がると、障子戸を開けて近くの女中を呼んだ。すると気づいた一人が、入り口にひざまずき、頭を軽く下げながら話を聞いた。


「何か御用でしょうか」

「すみません、夕餉を用意していただくことになっているのですが、どれくらいで出る予定ですか?」

「あと半時(一時間)ほどかと思います」

「そうですか、分かりました。それと、使用人のたきさんを呼んでいただけませんか。急ぎの用事なので、できれば早く。もし彼がいなければ別の方を呼んでください」

「かしこまりました」


 女中は深く頭を下げると、丁寧な所作ながら素早く立ち上がり去っていく。彼女とやり取りをしてそれほど立たないうちに、この部屋に入る前に修と話していた、使用人の「滝」が障子戸越しに声をかけた。


「葵殿、滝が参りました」

「どうぞ、お入りください」


 部屋に入った滝は充を一瞥すると、正座をし修に一礼してから「何か御用でしたか?」と尋ねた。


「地主様は戻られましたか?」

「それがまだでして……。先程早馬が到着したのですが、このまま行くと夜の道になってしまうので、今宵は隣村の地主の家に泊めてもらうとのことでした」


(妖怪に襲われるからかな……)


 充は話を聞きながらそんなことを思った。

 日中は陽の光で、あやかしが姿を現すことがないというが、闇に包まれると動き出すため見つかったら襲われるというのだ。実際、時々であるが、体を無茶苦茶にされた死体が朝方に見つかることがある。それはきっと妖怪のせいなのだろう。

 そのため夜に出歩く者はほとんどいない。ただし、妖怪を追い払うという「祓い屋」がいるときは別だが。


「そうですか。では、丁度いいですね」


 すると修はすっくと立ち上がって、羽織を着た。


「すみませんが、この子と少し出かけてきます」

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