第33話 薬屋葵堂の店主

「すみません、痛かったですか?」


 涙を流している充を見た葵が、心配そうに尋ねる。充は「違います」と首を横に振て、理由を付け加えた。


「すごく優しくて……ほっとしたんです」

「そうでしたか。よかった」


 葵はそう言うと、再び充の背に薬を塗り、全て終わると「これを着てください」と言って着物を出してくれた。


「使い古しで悪いのですが、きれいに洗ってあります。背中の傷からは血も出ていましたし、こちらに着替えた方が気持ちいと思います」

「え⁉ で、でも……」


 充はそこまで言ってから顔を真っ青にした。


(もしかして、傷の手当ってお金がかかるんじゃ……)


「どうかしましたか?」


 優しく尋ねる葵に、充は傷の痛みも気にせず、床にひざまずき深く頭を下げ震える声で謝った。


「申し訳ありません……! 僕には治療費も薬代を払うお金はありません! 本当に申し訳ありません!」


 大人に信じてもらえなかったことと、鞭で打たれたひどい痛みから解放されたかったために、葵の優しさについ身を委ねてしまったが、考えてみたらこれまでの行為は医者がやるものだ。その上、薬も使われている。

 医者がすることには金がかかるし、その上「薬は高いもの」と聞いているので、充はどうやっても払えないと思ったのである。


(もし、治療代と薬代を父さんに求められたら、僕は本当に家族のなかでいらなくなっちゃう……!)


 充がどうしようと悩んでいると、葵は「顔を上げてください」と言って、彼の体をそっと起こした。


「言わなかった私もいけませんね、すみません。治療費も薬代もいりませんよ。あなたを治療したのは、私の気まぐれみたいなものですから」

「え……?」


 顔を上げると、葵は少し困ったような表情を浮かべている。


「放っておけなかったんです。ただそれだけです。さ、体が冷えます。これに着替えて」

「でも……」

「着物のお代も取りません。私の息子が着て古くなったものですし、薬売りをしているとき、時々村の子にあげることがあるんですよ。世の中にはいろんな方がいますからね。持ちつ持たれつです。ですから、気にしないでください」


 葵にやんわりと説得され、充はこくりと頷くと、彼が用意してくれた着物の袖に腕を通す。肌に生地が触れたときは、ごわごわとしているような感じがしたが、体温で温まっていくと次第に柔らかくなっていく。充にとっては、とても上質な着物のように感じられた。


「着られましたか?」


 葵は着替えているとことを見ないでいたらしい。充は変なの、と思いつつも「はい」と答える。振り向いた葵は、充を見るや否や「ちょうどいいですね。よかった」と安堵した。


「あの……ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして。あ、そうだ」


 葵は何かを思い出したように、はっとする。


「どうかしたんですか?」

「そういえば、自己紹介をしていなかったなと」

「『葵さん』、じゃないんですか?」


 充がきょとんとして尋ねる。使用人が「葵殿」と言っていたので、「葵」だと思っていたのだ。すると、彼はちょっと笑った。


「それは家の名です。薬屋の名前にもなっているので、取引している人たちからは『葵』と言われているんですよ」


 そして、葵は居住まいを正して言った。


「私は、薬屋葵堂の店主をしている、おさむと言います」


「オサムさん……?」

「はい」


 にこっと笑う修は、充に尋ねた。


「お名前は?」

「あ、えっと……ミツルです」

「そうですか。素敵な名ですね」

「すてき……?」

「ええ。文字はなんと当てるのですか?」

「あ……それは、分かりません。気づいたらミツルと言われていました」

「そうですか……」


 すると葵は左手を顎に当てて、考える仕草をする。どうしたのだろうと思っていると、「ところで、ミツル君」と名を呼ばれた。


「は、はい」

「私は薬の代金はいらないといいましたが、その代わり事情を聞く権利があると思うのです」

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