第24話 暗い影と麗人

「いつ……行くんだ?」


 父親の残した探し物。どういうものかを聞くのは、何となくはばかられたので尋ねなかったが、意志が固いように見えたので旅に出る時期などは決めてあるのではないかと想像する。

 だが、茜は肩をすくめ「分からない」と言った。


「もしかして沙羅のこと? でも今日みたいになっていけば、いつまでも茜が面倒を見る必要もないだろう?」


 すると茜は間髪を容れずに答えた。


「そうじゃない」

「じゃあ、何? 旅費の問題とか?」


 尋ねると、彼女は一度口を開きかけたが、すぐに閉じてしまう。


「どうかした?」


 茜は首を横に振る。


「いいや、何でもない。ちょっと複雑な事情があるのさ」


 そう言うと充に背を向け、山の奥に向けて歩き出す。


「茜? どこへ行くんだ?」

「どこだっていいだろう。鷹山ここから出るわけじゃないんだから」

「そうだけど……」


 沙羅はいいのか――という言葉が、口から出かかりそうなのを止めたとき、「ああ、それと」と茜は充を振り返り、いつになく素っ気ない口調で言う。


「沙羅は暴れていないし、暇なら帰ってもいいぞ」


 だがその表情には、これまでにはなかった暗い影があるように彼には見えるのだった。


――――――――――


 充は茜の気持ちがよく分からないまま、山道を下り、小屋のあるところまで戻って来た。置いて行った薬箱は縁側の奥に置いてある。どうやら誰かが入れていてくれたらしい。

 不機嫌だった沙羅のことが気になっていたので、小屋のなかを覗いて見る。しかし普段なら風流がいたり、小さな子たちがいたりするのだが誰もいない。


(沙羅どころか、誰もいないってどういうことだ?)


「仕方ない、帰るか」


 誰もいないし、茜もいない。何より診るべき沙羅がいないのなら、ここにいる必要はないだろう。そのため、帰ろうと薬箱を背負おうとしたときだった。強い風が吹く。


「うわっ」


 表面の乾いた土や、落ち葉が下から上に向かって舞った。充はそれらが目に入らないように、強く瞼を閉じる。

 暫く強く冷たい風が暴れていたが、徐々に収まると充はゆっくりと目を開け、ほっと息をついた。すると山を登って来るところの道から、人影があることに気付く。


(誰だろう?)


 そう思っているとその人は、ゆったりとした足取りで坂道を一歩一歩登ってきた。鷹山ではまだ見かけたことはない人物である。

 長い手足に、ほっそりとした体躯たいく。柔らかな風に靡く長い髪は桜色をしている。くすんだ白色の着物の上には、淡いよもぎ色の羽織を着ていて色白の肌に良く似合っていた。

 その人は坂を上りきると、ふいに充の方を真っ直ぐ見る。すると急に早足になって近づいて来た。何だろうと思っていると、もうその人は目の前にいて、縁側に座る充をじっと見下ろす。


「な、何か用でしょうか……?」


 充は視線を泳がせながら尋ねた。

 美しい輪郭に、すうっと通った鼻。そして桃色をした形のいい薄い唇。まるで花から生まれたのではないかと思うほどに、幻想的な美しさと可憐さがある。美人や可愛い人は今までに見たことがあるが、さすがにこれ程の人はお目にかかったことはない。そのためまじまじと見たいという気持ちが湧き出たが、そんなことをしたら麗人に失礼である。

 よって、充はできるだけその人を見ないように俯いた。


みつるだね?」


 男とも女ともとれるような、柔和な声が上から降り注ぐ。

 何故麗人が自分の名を知っているのか。それには驚いたが、懸命に冷静を装い顔を伏せたまま答えた。


「はい、そうです」


 じゃりっと麗人が一歩近づいた音がし、足袋に草履を履いた足が視界に入る。近づいた拍子に、爽やかな甘さの薫香がほのかにした。着物に香りでも焚き染めているのだろうか、と思っていたら突然、麗人が充を抱きしめた。


「えっ⁉」


 訳が分からず戸惑っていると、麗人は充の頬に自分の頬を犬のように摺り寄せ、そして耳元で囁いた。


「ああ、ようやく会えた……!」


 何がどうなっているのだ。

 驚きで硬直した充を、麗人は抱きしめたまま頭を撫でたり、髪を指で梳いたりする。くすぐったいし、下手したら押し倒されそうなのをひたすらに耐える。


「あ、あの……どちら様でしょうか?」


 たまらず声を出すと、麗人はゆっくりと体を引き離す。だが手は充の頬を包み込んでいたので、顔を上を向かせられた。夏の緑葉のような緑色の瞳が、柔らかな光を湛えている。


「私は天狐てんこ。名を桜と言う。花の『桜』と同じ字を書く」


 美しい形の唇は一言いうたびに丁寧に動く。そして麗人は充を見つめると魅惑の笑みを浮かべた。


「桜……さん? えっと、『ようやく会えた』ってどういうことですか?」


 分からず尋ねると、桜は再び充を抱きしめて言った。


「私はずっとそなたたちを見ていた。おさむと時子とるい。そして充……優しい子」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る