第45話 邪気と沙羅の考え

「話をする前に先に聞いておくが、『邪気じゃき』のことは分かるか?」

「ええ」


 時子は頷く。

「邪気」とは、その名の通り「よこしまな気」のことだ。

「気」というのは、人間はもちろん、妖怪、鬼、植物などにも元々備わっているもので、生命を宿したものは必ず持っている。


「気」は主に、感情の方向や起伏によって状態が常に揺れ動くが、「気」は妖や鬼などには見えたり感じたりできても、普通の人間にとっては、感じ取れるものでもないし、あることすらも知らないことが多い。


 ゆえに使わずに終わることの方が多いが、これを生かしているものもある。人間でいえばその最たるものが「陰陽術」、現在では「陰術」「陽術」といわれているものだ。そして陰術から派生している「邪道」もこの「気」を用いており、「鬼墨」というのは鬼の気を使っている。


 そして「気」にはいくつかの種類があり、なかでも「邪気」というのは「気」のなかでも、触れてはいけない「気」のことを指す。


「邪気」となるのは、憤怒ふんど怨恨えんこん寂寥せきりょう、無念、悲痛といった、負の感情がひどく大きくなった場合に起こる。

 そして、絳祐の「鬼墨」には「邪気」がある。それは、思いがけず術にはめられたという悔しさや怒りのようなもののせいだろうと、銀星や桜はそう思っていた。

 

「ちょうど二か月くらい前のことだ。沙羅についた鬼墨の『邪気じゃき』の気配が、急に強くなった」


 時子は小首を傾げる。


「何故? それまでは何ともなかったんでしょう?」


 正確に言えば、何ともなかったわけではない。しかし、沙羅の心の状態が安定していたので、鬼墨の邪気は大きくなることはなく、現状維持をしていられたのだ。それについて、銀星には心当たりがあったので説明した。


「茜が甲斐甲斐かいがいしく世話をしていたからだろう」


 つまり、茜が沙羅に愛情を持って接していたので、負の感情が起こりにくく、沙羅の髪に付着した鬼墨の邪気が助長されることがなかった、ということだ。

 もちろん、鷹山のなかで苛めがなかったわけではない。しかし銀星が見守っていた限りでは、茜が彼女を庇っていたこともあり、沙羅は半妖の苛めにあっても我慢強く辛抱していたし、不貞腐れることはなかった。


「……だったら何故?」

「多分、天狐から茜の父親の話を聞かされて、あの子のなかの感情が負の方に動いたせいだろう。沙羅はあれで聡い。術のことも含め、全て話したと天狐は言っていた。そして自分に付いた、鬼墨のことも」


 時子は目を伏せる。


「そう……」


 自分を大切に扱ってくれている人の父親が、自分の父親によって術にはめられ、家族がばらばらにされたと知ったら、それは嫌な気持ちにもなるだろう。


「一応、大きくなった邪気を弱めるために、浄化の力を持つ天つ日の力を借りられたら良かったが、拒否されてしまった」


 時子は「そうでしょうね」と言って頷く。

 天つ日は、鷹山の山の主としてこの地に君臨しているが、妖でもなければ、鬼でもなく、天狐のような神獣でもない。

 人が崇め奉る「神」に近い、崇高で、稀有な存在。しかし、救いを求めている者全てを救うこともなければ、生かすこともない。悪の全てに裁きを与えるわけでもなければ、人間や妖怪の戦に介入し止めることもない。

 世を常に見守り、己の気まぐれか、世の均衡のために動く、大きな力を持った者。そのため天つ日自体が、誰かに指図をすることはあっても、されることはない。


「だから沙羅のことを監視していた俺と、天狐の判断で、荒療治ではあるが俺の血を沙羅に飲ませた。そうすれば俺の妖気が邪気を抑えられる。だがそれと引き換えに俺の血が沙羅の体のなかで暴れ、一時期狂暴化してしまった。本当は俺が時子たちを呼んでくるつもりだったが、行動は茜の方が早かったらしい。だから茜が時子たちを呼びに行き、妖老仙鬼ようろうせんきの薬をもって妖力を抑えたというわけだ。お陰で何とか二か月持った」

「茜ちゃんは、沙羅ちゃんの鬼墨には気づいていないみたいね」


 時子の問いに、銀星は頷く。


「鬼墨に含まれる父親の気が、茜自身の気と似ているせいだろう。妖怪は妖気、鬼は鬼の気を放っていて、それで俺たちは相手がどういう奴かを判断している。でも、茜は半鬼だし、俺とは違って鼻も耳も人間の倍程度しか察知できないから、確信は持てなかったみたいだ」

「銀星や桜ちゃんからは、話していないのね?」

「天つ日に釘を刺されたんだ。『言ったら、娘を殺す』と。あいつが何を考えているのか俺には分からないが、天狐は絳祐の鬼墨を少しでも残しておきたいと言うので、俺たちはそれに従っていた。だが、何も知らない茜も、さすがに沙羅の体から漏れ出る俺の気配を感じて、何かを悟ったらしい。沙羅が暴れ出してからというもの、睨まれている」

「沙羅ちゃんは、よく耐えているわ……」

「同感だ。血の『気』を通じて、苦しさが伝わってくる。だけど、あいつ、思ったよりも忍耐もあるし、賢い。時子も見ていたと思うが、俺の血のせいで暴れている沙羅は、体の制御が利かないから『鬼墨のせいで俺の血を飲んだ』ことを茜に言うんじゃないかと思っていたんだ。だが――」

「沙羅ちゃんは『妖』だと叫んでいたわ」


 時子は、沙羅が暴れて鷹山へ赴いたときのことを思い出し、はっとする。


「もしかして、茜ちゃんに気づかれないようにするため?」

「俺もそう思う。もちろん、本当のところは分からない。鷹山のなかで『人間だから』と苛められていたし、俺の血を飲んで妖怪になろうと考えたことがないとはいえない。だが、茜を誤魔化すためだとしても辻褄は合う」

「でも、銀星の血で抑えることも限界にきているってわけね?」


 すると、銀星の表情が苦悩に歪む。半妖の少年らしい姿とは違い、青年の姿だからだろうか、その悩みはより大きいように時子には見えた。

 彼は前髪を掻き上げると、「はぁ」と大きなため息をつく。


「ああ。結局俺の血を飲ませても、一時しのぎにしかならなかった。髪の色は変わって、鬼墨が消えたかと思ったら『邪気』はそのままだ。命にも関わることだから、術者に頼んで浄化させると沙羅に話したんだが、今度はあいつが頑として言うことを聞かなくなって……。下手したら鬼になるんだぞと忠告したんだが、それでもいいというんだ。血を飲む話をしたときは、すぐに理解して飲んだんのにどうして……」


 時子は顎に手を当てると少しばかり考え、「もしかすると……」と呟く。


「時子?」


 尋ねた銀星に、彼女は驚くことを告げた。


「沙羅ちゃんは、茜ちゃんに殺されようとしているのかもしれない」

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